杉田劇場から

2005年2月5日にオープンした磯子区民文化センター杉田劇場のスタッフが綴るブログ。公演案内の他に美味しい情報も♪

昭和22年に美空ひばりが出演した湘南映画劇場

2023-01-06 | 地域の歴史

 これは昭和22年(1947)7月1日の神奈川新聞に掲載された映画案内。美空和枝が「ハマが生んだベビースイング歌手」として湘南映画劇場の舞台に立ったことが分かる史料だ。

 当時の映画館では映画上映のほかに、実演も行っていた。美空和枝は楽団スター ミソラ ハワイアンズをバックに、7月5日、6日の2日間、ここの舞台で歌ったのである。

 ところで、この映画館はどこにあったのだろうか。こういう時に頼りにしているのが「消えた映画館の記憶」というサイト。そこには以下のように書かれている。

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湘南映画劇場/辻堂東映/辻堂東映劇場/ツジドウ東映/ツジドウ東映劇場

所在地 : 神奈川県藤沢市辻堂若松町2233(1954年・1955年)、神奈川県藤沢市辻堂町1917(1956年)、神奈川県藤沢市辻堂若松2233(1957年・1958年・1959年)、神奈川県藤沢市辻堂2233(1960年)、神奈川県藤沢市辻堂若松2233(1961年・1962年)、神奈川県藤沢市辻堂2233(1963年・1964年・1966年・1969年)

開館年 : 1953年頃 閉館年 : 1969年頃

『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1954年・1955年・1956年・1957年・1958年の映画館名簿では「湘南映画劇場」。1959年・1960年の映画館名簿では「辻堂東映」。1961年・1962年の映画館名簿では「辻堂東映劇場」。1964年の映画館名簿では「ツジドウ東映」。1966年の住宅地図では発見できず。1966年・1969年の映画館名簿では「ツジドウ東映劇場」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。

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 記録によると、名称は湘南映画劇場、辻堂東映、辻堂東映劇場、ツジドウ東映、ツジドウ東映劇場と変わって来たようだ。

 しかし、1953年の名簿には掲載されていないとのことだが、別のページ《1947年の映画館(関東地方)》では、1947年の情報として、【藤沢市】2館 オデオン座(南仲通り1011)、湘南映画劇場(辻堂町)というのが掲載されている。

 さらに1950年の情報として、【藤沢市】3館 藤沢映画劇場(藤沢223)、藤沢オデオン座(藤沢1011)、辻堂湘南映画劇場(辻堂若松町)が載っている。

 これらを合わせて湘南映画の住所を並べてみると、下記のようになる。

辻堂町(1947)

辻堂若松町(1950)

藤沢市辻堂若松町2233(1954~1955)

藤沢市辻堂町1917(1956)

藤沢市辻堂若松2233(1957~1959年)

藤沢市辻堂2233(1960)

藤沢市辻堂若松2233(1961~1962)

藤沢市辻堂2233(1963~1969)

 そこで、この住所が現在のどこに当たるのか、また映画館のその後について、茅ヶ崎在住の友人に調査をするよう依頼した。

 その結果判明したことは…

  • 藤沢市には若松町の地名はない【辻堂図書館】
  • 茅ケ崎市には若松町があるけれども、藤沢市に所属していたことはない【茅ケ崎市戸籍課】
  • 過去に辻堂若松町2233という住所は無かったが、辻堂2233というのはあった。その住所は現在、辻堂新町1丁目9-3から9-13である。1962年までの辻堂繁華街の地図には映画館が載っていたが1971年の地図には無くなっている。この住所には最近まで「パサージュ辻堂店」というパチンコ屋があった。近隣の商店街には、過去に銭湯「若松湯」があったため、辻堂若松町2233という通称名となったと思われる。【藤沢市文書館】
  • 2022年12月21日現在、パチンコ店は取り壊されて更地になっている。【現地調査】

 以上のことから、美空和枝が歌った湘南映画というのは湘南映画劇場のことであり、1947年当時は辻堂町にあったことが分かった。そして、その住所は辻堂2233だったが、その後の住居表示によって「辻堂新町1丁目9-3から9-13」に変更されている。

 昭和41年の地図。辻堂2233番地に「辻堂東映」が載っている。そしてその一画に「トーエイパチンコ」が組み込まれている。これが最近まであったというパチンコ「パサージュ辻堂店」の前身なのであろう。

 ちなみに3軒隣に「若松湯」がある。過去に銭湯「若松湯」があったため、辻堂若松町2233という通称名となったという話だが、これがその銭湯なのだろう。

 さて、「辻堂東映」の一画にパチンコ店が入り、その後、建物の全部がパチンコ店になった経緯を見て、思い出したのは杉田の聖天橋交差点角にあるパチンコ店「平楽会館」。ここもかつては「杉田東映」という映画館だったのである。

 昭和36年の地図。市電の聖天橋電停前に「杉田東映」があった。この頃はまだ根岸湾も埋め立てておらず、聖天川の河口が電車道から見えていた。

 昭和38年の地図。この頃、根岸湾は埋め立てられたが、一部だけ埋め残されて運河状になっている。

 上の地図を拡大。「杉田東映」の一画に「パチンコ東映センター」が入っている。昭和41年の「辻堂東映」と同じような状態だ。パチンコ店の名前に「トーエイ」「東映」が使われているのも同じ。

 

 昭和44年の地図。映画館の跡は完全にパチンコ店になっている。市電の停留場も消えているところを見ると、かなり早い段階で路線が廃止されたようだ。

 運河は残っているが、昭和38年には見えていた聖天川も埋め立てられて(暗渠化されて)、広い道路が出現した。このあと、運河も暗渠になるのだが、ここが現在の広い歩道なのであろう。

 さて、話を「湘南映画劇場」に戻そう。劇場はパチンコ店に転換されたあと、友人によると最近まで「パサージュ辻堂店」として残っていたが、昨年末に解体されて更地になってしまったという。

 パチンコ店として建物は残っていた。(グーグルストリートビューから)

 上空からの写真。いかにも映画館だったことを感じさせる建物だ。

 パチンコ店が閉店したあと、看板などが取り除かれて、もとの姿が出現したみたい。

 やがて建物も解体されて……。

 このような更地が出現している。

 こうして、昭和22年7月5日と6日に美空ひばりが舞台に立った「湘南映画劇場」の建物は消えた。

by うめちゃん



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1 コメント

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Unknown (ohnothimagain)
2024-09-07 10:12:13
初めまして。母の子供の頃の話に出てきた映画館の素性を調べていた所辿り着きました。こちらのサイトを教えた所喜んでいました、ありがとうございます。質問ですが、昭和41年の住宅地図はどのように入手されたのでしょうか?市役所等ですか?
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