これは昭和22年(1947)7月1日の神奈川新聞に掲載された映画案内。美空和枝が「ハマが生んだベビースイング歌手」として湘南映画劇場の舞台に立ったことが分かる史料だ。
当時の映画館では映画上映のほかに、実演も行っていた。美空和枝は楽団スター ミソラ ハワイアンズをバックに、7月5日、6日の2日間、ここの舞台で歌ったのである。
ところで、この映画館はどこにあったのだろうか。こういう時に頼りにしているのが「消えた映画館の記憶」というサイト。そこには以下のように書かれている。
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湘南映画劇場/辻堂東映/辻堂東映劇場/ツジドウ東映/ツジドウ東映劇場
所在地 : 神奈川県藤沢市辻堂若松町2233(1954年・1955年)、神奈川県藤沢市辻堂町1917(1956年)、神奈川県藤沢市辻堂若松2233(1957年・1958年・1959年)、神奈川県藤沢市辻堂2233(1960年)、神奈川県藤沢市辻堂若松2233(1961年・1962年)、神奈川県藤沢市辻堂2233(1963年・1964年・1966年・1969年)
開館年 : 1953年頃 閉館年 : 1969年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1954年・1955年・1956年・1957年・1958年の映画館名簿では「湘南映画劇場」。1959年・1960年の映画館名簿では「辻堂東映」。1961年・1962年の映画館名簿では「辻堂東映劇場」。1964年の映画館名簿では「ツジドウ東映」。1966年の住宅地図では発見できず。1966年・1969年の映画館名簿では「ツジドウ東映劇場」。1970年の映画館名簿には掲載されていない。
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記録によると、名称は湘南映画劇場、辻堂東映、辻堂東映劇場、ツジドウ東映、ツジドウ東映劇場と変わって来たようだ。
しかし、1953年の名簿には掲載されていないとのことだが、別のページ《1947年の映画館(関東地方)》では、1947年の情報として、【藤沢市】2館 オデオン座(南仲通り1011)、湘南映画劇場(辻堂町)というのが掲載されている。
さらに1950年の情報として、【藤沢市】3館 藤沢映画劇場(藤沢223)、藤沢オデオン座(藤沢1011)、辻堂湘南映画劇場(辻堂若松町)が載っている。
これらを合わせて湘南映画の住所を並べてみると、下記のようになる。
辻堂町(1947)
辻堂若松町(1950)
藤沢市辻堂若松町2233(1954~1955)
藤沢市辻堂町1917(1956)
藤沢市辻堂若松2233(1957~1959年)
藤沢市辻堂2233(1960)
藤沢市辻堂若松2233(1961~1962)
藤沢市辻堂2233(1963~1969)
そこで、この住所が現在のどこに当たるのか、また映画館のその後について、茅ヶ崎在住の友人に調査をするよう依頼した。
その結果判明したことは…
- 藤沢市には若松町の地名はない【辻堂図書館】
- 茅ケ崎市には若松町があるけれども、藤沢市に所属していたことはない【茅ケ崎市戸籍課】
- 過去に辻堂若松町2233という住所は無かったが、辻堂2233というのはあった。その住所は現在、辻堂新町1丁目9-3から9-13である。1962年までの辻堂繁華街の地図には映画館が載っていたが1971年の地図には無くなっている。この住所には最近まで「パサージュ辻堂店」というパチンコ屋があった。近隣の商店街には、過去に銭湯「若松湯」があったため、辻堂若松町2233という通称名となったと思われる。【藤沢市文書館】
- 2022年12月21日現在、パチンコ店は取り壊されて更地になっている。【現地調査】
以上のことから、美空和枝が歌った湘南映画というのは湘南映画劇場のことであり、1947年当時は辻堂町にあったことが分かった。そして、その住所は辻堂2233だったが、その後の住居表示によって「辻堂新町1丁目9-3から9-13」に変更されている。
昭和41年の地図。辻堂2233番地に「辻堂東映」が載っている。そしてその一画に「トーエイパチンコ」が組み込まれている。これが最近まであったというパチンコ「パサージュ辻堂店」の前身なのであろう。
ちなみに3軒隣に「若松湯」がある。過去に銭湯「若松湯」があったため、辻堂若松町2233という通称名となったという話だが、これがその銭湯なのだろう。
さて、「辻堂東映」の一画にパチンコ店が入り、その後、建物の全部がパチンコ店になった経緯を見て、思い出したのは杉田の聖天橋交差点角にあるパチンコ店「平楽会館」。ここもかつては「杉田東映」という映画館だったのである。
昭和36年の地図。市電の聖天橋電停前に「杉田東映」があった。この頃はまだ根岸湾も埋め立てておらず、聖天川の河口が電車道から見えていた。
昭和38年の地図。この頃、根岸湾は埋め立てられたが、一部だけ埋め残されて運河状になっている。
上の地図を拡大。「杉田東映」の一画に「パチンコ東映センター」が入っている。昭和41年の「辻堂東映」と同じような状態だ。パチンコ店の名前に「トーエイ」「東映」が使われているのも同じ。
昭和44年の地図。映画館の跡は完全にパチンコ店になっている。市電の停留場も消えているところを見ると、かなり早い段階で路線が廃止されたようだ。
運河は残っているが、昭和38年には見えていた聖天川も埋め立てられて(暗渠化されて)、広い道路が出現した。このあと、運河も暗渠になるのだが、ここが現在の広い歩道なのであろう。
さて、話を「湘南映画劇場」に戻そう。劇場はパチンコ店に転換されたあと、友人によると最近まで「パサージュ辻堂店」として残っていたが、昨年末に解体されて更地になってしまったという。
パチンコ店として建物は残っていた。(グーグルストリートビューから)
上空からの写真。いかにも映画館だったことを感じさせる建物だ。
パチンコ店が閉店したあと、看板などが取り除かれて、もとの姿が出現したみたい。
やがて建物も解体されて……。
このような更地が出現している。
こうして、昭和22年7月5日と6日に美空ひばりが舞台に立った「湘南映画劇場」の建物は消えた。
by うめちゃん