ここはローマ以前からポエニ人やベルベル人が居住していました。
188年にローマの市民権が与えられ発展していましたが、4世紀になってキリスト教会が幾つも建てられ、宗派の対立で町は衰退し、7世紀にアラブが侵攻後は居住者も無く、忘れ去られました。
写真はオリーブオイル製造所跡(丸い黒い所)が残る遺跡です。
キャピトルの中にもオイル製造所がありました。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。チュニジアの素顔
188年にローマの市民権が与えられ発展していましたが、4世紀になってキリスト教会が幾つも建てられ、宗派の対立で町は衰退し、7世紀にアラブが侵攻後は居住者も無く、忘れ去られました。
写真はオリーブオイル製造所跡(丸い黒い所)が残る遺跡です。
キャピトルの中にもオイル製造所がありました。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。チュニジアの素顔