この公園は山と湿地帯と湖から構成されていますが、イシュケウル湖はビゼルトから海水が入り込み、真水と海水が混ざり合って豊富な魚種に恵まれています。
水辺には水鳥が戯れていました。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
水辺には水鳥が戯れていました。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
冬になるとヨーロッパから渡り鳥が飛来し、イシュケウル湖の畔では多数の渡り鳥が越冬します。
この湖はビゼルトから海水が入り込み、真水とミックスして多数の種類の魚が生息しています。
向かいの山はイシュケウル山です。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
この湖はビゼルトから海水が入り込み、真水とミックスして多数の種類の魚が生息しています。
向かいの山はイシュケウル山です。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
511mのイシュケウル山です。
公園の中心的存在で、野生動物も沢山いるそうですが、なかなか見ることが出来ませんでした。
野生動物はなかなか人前には現れませんし、現れると危害が加えられることがあるのでこちらが心配にもなります。
その為に受付で氏名や国籍、注意事項の承認等の手続きをして入園するのです。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
公園の中心的存在で、野生動物も沢山いるそうですが、なかなか見ることが出来ませんでした。
野生動物はなかなか人前には現れませんし、現れると危害が加えられることがあるのでこちらが心配にもなります。
その為に受付で氏名や国籍、注意事項の承認等の手続きをして入園するのです。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
チュニジアの世界遺産で唯一の自然遺産(危機遺産)です。
1980年に登録されました。
ここはイシュケウル山と海水も流れ込むイシュケウル湖、それに湿地帯から構成されています。
写真はイシュケウル国立公園の入り口です。
門の左にある事務所で、氏名や国籍等の申告をして入園の手続きをします。
ここから約2km先の駐車場まで車で行くことが出来ます。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
1980年に登録されました。
ここはイシュケウル山と海水も流れ込むイシュケウル湖、それに湿地帯から構成されています。
写真はイシュケウル国立公園の入り口です。
門の左にある事務所で、氏名や国籍等の申告をして入園の手続きをします。
ここから約2km先の駐車場まで車で行くことが出来ます。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
ドゥガの遺跡も広大ですが、まだまだ未発掘の場所が沢山あります。
現在公開されている場所でも、掘れば沢山の遺跡が出てきますが、写真のようにオリーブ畑にも沢山あります。
根によって遺跡が破壊されないよう祈るのみです。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
現在公開されている場所でも、掘れば沢山の遺跡が出てきますが、写真のようにオリーブ畑にも沢山あります。
根によって遺跡が破壊されないよう祈るのみです。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
写真はオリーブ畑にあるリブコ・プニック廟です。
紀元前3世紀のヌミディアの指導者を記念して建てられたものだが、ローマによって破壊されることも無く、ローマ以前の建物として現在に残りました。
但し、1842年に英国の領事により碑文が持ち出される際に壊れ、フランスによって再建されたものです。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
紀元前3世紀のヌミディアの指導者を記念して建てられたものだが、ローマによって破壊されることも無く、ローマ以前の建物として現在に残りました。
但し、1842年に英国の領事により碑文が持ち出される際に壊れ、フランスによって再建されたものです。
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チュニジアの素顔
写真はローマ時代の売春宿です。
現在はクローバの葉が模られてありますが、これは観光客のことを思って名前も替え、ペニスのレリーフも隠されました。
隣のキクプロスの浴場から、人目につかずに入ることが出来るようになっています。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
現在はクローバの葉が模られてありますが、これは観光客のことを思って名前も替え、ペニスのレリーフも隠されました。
隣のキクプロスの浴場から、人目につかずに入ることが出来るようになっています。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
この像は風の広場にある首無し像です。
ローマの皇帝が替わるたびに像を作ることは大変であり、首だけを挿げ替えました。
その際に首を外したままでローマが滅びたか、首だけ持ち去られたか・・・何らかの事情で首だけが無くなっています。
ここだけではなく、各地のローマ遺跡で見られます。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
ローマの皇帝が替わるたびに像を作ることは大変であり、首だけを挿げ替えました。
その際に首を外したままでローマが滅びたか、首だけ持ち去られたか・・・何らかの事情で首だけが無くなっています。
ここだけではなく、各地のローマ遺跡で見られます。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
フォーラムの横にある破壊された像です。
ここの遺跡に関わらず、各地で破壊された像を見かけますが、破壊されているのは男の顔と男性器です。
これはザビンチンがローマ帝国を滅ぼした際に、全てを破壊しようとしたが余りにも勿体無く、ローマ人の誇りである男性の鼻と男性器を破壊するのみにとどめたためです。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
ここの遺跡に関わらず、各地で破壊された像を見かけますが、破壊されているのは男の顔と男性器です。
これはザビンチンがローマ帝国を滅ぼした際に、全てを破壊しようとしたが余りにも勿体無く、ローマ人の誇りである男性の鼻と男性器を破壊するのみにとどめたためです。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
ここはフォーラム(公共的広場)です。
キャピトルの隣にある所が多く、ここでもキャピトルの隣です。
多くの石柱(35本)で囲まれた巨大な屋根がありましたが、現在は石柱の基礎部分しか残っていません。
ここでは住民集会など色々な行事を行い、色々な住民間の取り決めを決めたりしました。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
キャピトルの隣にある所が多く、ここでもキャピトルの隣です。
多くの石柱(35本)で囲まれた巨大な屋根がありましたが、現在は石柱の基礎部分しか残っていません。
ここでは住民集会など色々な行事を行い、色々な住民間の取り決めを決めたりしました。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
ドゥガには幾つかの貯水場がありますが、この貯水場は浴場の近くにあるものです。
屋根が落ちていますが、当時の土木技術を見ることが出来ます。
内部は各層が空間で繋がっており、それも馬蹄形に作られ強度を保っています。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
屋根が落ちていますが、当時の土木技術を見ることが出来ます。
内部は各層が空間で繋がっており、それも馬蹄形に作られ強度を保っています。
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チュニジアの素顔
これはローマ時代の公衆トイレです。
同時に12名が利用できる水洗トイレで、便座の下には水が流れるようになっています。
でもローマ人は羞恥心が無いのかな??
手を洗う水道もあります。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
同時に12名が利用できる水洗トイレで、便座の下には水が流れるようになっています。
でもローマ人は羞恥心が無いのかな??
手を洗う水道もあります。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔