昨年はチュニジアと日本が国交樹立50周年でした。
50周年を記念したイベントの一つに桜の植樹があります。
チュニジアの春は乾季に向かう時期で植樹には適しませんが、チュニス市が管理する公園に3月末に取り敢えず30本程を植樹しました。
秋には北部地方を中心に700本が植樹されました。
写真は桜の植樹祭に参加する我々日本人を迎えてくれた現地の人達です。
このイベントにはチュニジアの民族舞踊団とボーイスカウトの人達に協力いただきました。
2002年のW杯ではチュニジアチームが奈良県橿原市でキャンプをしました。
それを縁に桜の苗木を寄贈して頂いた橿原市の安曽田市長(右から2人目)がテレビのインタビューを受けているところです。
通訳は現地アトランティス・ボヤージュの日本人スタッフと同日本担当責任者(右)です。
50周年を記念したイベントの一つに桜の植樹があります。
チュニジアの春は乾季に向かう時期で植樹には適しませんが、チュニス市が管理する公園に3月末に取り敢えず30本程を植樹しました。
秋には北部地方を中心に700本が植樹されました。
写真は桜の植樹祭に参加する我々日本人を迎えてくれた現地の人達です。
このイベントにはチュニジアの民族舞踊団とボーイスカウトの人達に協力いただきました。
2002年のW杯ではチュニジアチームが奈良県橿原市でキャンプをしました。
それを縁に桜の苗木を寄贈して頂いた橿原市の安曽田市長(右から2人目)がテレビのインタビューを受けているところです。
通訳は現地アトランティス・ボヤージュの日本人スタッフと同日本担当責任者(右)です。
赤いベストにスカート姿の一団が見えました。
民族舞踊団の一行です。
愛知万博でも披露された頭上に壷乗せの演技です。
音楽に合わせて踊っています。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
民族舞踊団の一行です。
愛知万博でも披露された頭上に壷乗せの演技です。
音楽に合わせて踊っています。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
チュニジアは各地でフェスティバルが開催される。
特に夏になるとホテルでも深夜まで演劇やトークショーが行われる。
これは3月に行われたタタウィン・フェスティバルの光景です。
観客の中から遠慮しながらシャッターを切っていると、警察官が前に出て写すように案内してくれた・・・感謝!
行進して来たのは土地柄ベルベル人の一団か?・・・それともアラブ人か?
行進して来た一団は一斉に踊りだした。
剣の舞は何を意味しているのだろうか?
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
特に夏になるとホテルでも深夜まで演劇やトークショーが行われる。
これは3月に行われたタタウィン・フェスティバルの光景です。
観客の中から遠慮しながらシャッターを切っていると、警察官が前に出て写すように案内してくれた・・・感謝!
行進して来たのは土地柄ベルベル人の一団か?・・・それともアラブ人か?
行進して来た一団は一斉に踊りだした。
剣の舞は何を意味しているのだろうか?
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
ザグーアンから132kmの道程を送られてきた水は、カルタゴのラ・マルガが終点です。
ここラ・マルガの広大な貯水池からカルタゴ市街に送水され、主にアントニヌスの共同浴場で利用されました。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
ここラ・マルガの広大な貯水池からカルタゴ市街に送水され、主にアントニヌスの共同浴場で利用されました。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
これは修復をしていない水道橋です。
水の通過する部分は結構広いのですね。
高さも土地の高低に合わせて調整されています。
写真はバルドーの街中を走っている水道橋です。
メトロからも見ることが出来ます。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
水の通過する部分は結構広いのですね。
高さも土地の高低に合わせて調整されています。
写真はバルドーの街中を走っている水道橋です。
メトロからも見ることが出来ます。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
モハマディアに残っている水道橋です。
送水部分が壊れています。
送水部分の補修が完了した水道橋で、この先から右折しカルタゴに向かいます。
道路沿いに延々と続く水道橋です。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
送水部分が壊れています。
送水部分の補修が完了した水道橋で、この先から右折しカルタゴに向かいます。
道路沿いに延々と続く水道橋です。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
水源であるザグーアンからカルタゴまで、132kmの道程を地下水路と水道橋によって水が運ばれました。
これをザグーアンの水道橋と呼称されており、現存している水道橋は約20km有ると言われています。
造られたのは2世紀です。
写真は水道橋の原点になるザグーアンの山々と集水槽です。
現在は屋根がなくなっています。
ザグーアンに降った雨はこの集水槽に集められ、沈殿槽を経てカルタゴに送られました。
集水槽の手前に一段低くなっているところが沈殿槽です。
沈殿槽を経た水はこの枡から配水されました。
ここから地下水路と水道橋によってカルタゴまでの旅が始まります。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
これをザグーアンの水道橋と呼称されており、現存している水道橋は約20km有ると言われています。
造られたのは2世紀です。
写真は水道橋の原点になるザグーアンの山々と集水槽です。
現在は屋根がなくなっています。
ザグーアンに降った雨はこの集水槽に集められ、沈殿槽を経てカルタゴに送られました。
集水槽の手前に一段低くなっているところが沈殿槽です。
沈殿槽を経た水はこの枡から配水されました。
ここから地下水路と水道橋によってカルタゴまでの旅が始まります。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
ブル・ギバ通りの広い歩道は格好のオープン・カフェになります。
特に夏になるとオープンする店が多くなります。
ここはブル・ギバ通りから中に入った通りで、道路にはスークが開かれていました。
ブル・ギバ通りの街路樹は、コック一つで散水されるようになっています。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔
特に夏になるとオープンする店が多くなります。
ここはブル・ギバ通りから中に入った通りで、道路にはスークが開かれていました。
ブル・ギバ通りの街路樹は、コック一つで散水されるようになっています。
詳しくは「チュニジアの素顔」をご覧ください。
チュニジアの素顔