チュニジアの素顔

チュニジアの魅力に取り付かれた管理人が伝えるチュニジア関連情報をお知らせします。

チュニジアの世界遺産:チュニスのメディナ2

2006-09-29 17:30:21 | 旅行記
1616年にアンダルシア出身者が設計して造られたシディ・ユセフ・モスクです。
八角形のミナレットは綺麗なタイルで装飾され、アンダルシアの影響を強く表した華やかな造りになっています。

フランス門から土産物屋街を通り抜けた反対側にあり、首相官邸の側にあります。

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チュニジアの世界遺産:チュニスのメディナ1

2006-09-28 21:57:47 | 旅行記
チュニスのメディナ(旧市街)は1979年に登録された文化遺産です。

この画像はフランス通りの突き当たりにあるフランス門で、以前はここから城壁が延びていましたが、現在はありません。
旧市街と、新市街が道路を隔てて結ばれており、新旧のコントラストに見ごたえがあります。
門の手前はビクトリア広場です。

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チュニジアの世界遺産:カルタゴの考古学的遺跡8

2006-09-27 15:50:48 | 旅行記
カルタゴの民や共同浴場で使う水は、60km離れたザグーアンから、132kmの道程を地下水路と水道橋によって運ばれました。
運ばれた水は先ずここラ・マルガの貯水槽に溜められました。

画像の左手には水道橋が続いています。

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チュニジアの世界遺産:カルタゴの考古学的遺跡7

2006-09-24 06:31:03 | 旅行記
ここはカルタゴが建国され、町の中心機能が置かれたビュルサの丘です。
丘に立てばカルタゴが一望でき、地中海も一望できます。
左手前の茶色のブロックは、ローマによって破壊されたフェニキア人の住居跡で、当時は数階建ての建物でありました。

現在丘には1890年に建設した神学校を改造したカルタゴ博物館があり、十字軍遠征に参加したルイ9世に捧げるためにサン・ルイ教会が建てられてあります。


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チュニジアの世界遺産:カルタゴの考古学的遺跡6

2006-09-23 07:00:06 | 旅行記
ローマは一日にして成らずのスタート点が、シチリア島でカルタゴとの間で起こったポエニ戦争であった。
118年間の戦闘でカルタゴは破れ、フランス、スペイン、モロッコ、アルジェリア等々の地中海沿岸の諸国はローマの支配下に移った。

ローマは1世紀後にカルタゴの再開発に乗り出し、アフリカ支配の足がかりにしたが、旧カルタゴ時代の住居等は全て破壊された。
破壊した跡にローマの施設を造ったが、当時の破壊したままの跡も幾つか残っている。

この画像はカルタゴの中心地があったビュルサの丘のすぐ下にある、旧カルタゴ時代(フェニキア)の住居跡である。
ここでは数階建ての建物が建てられており、下水も完備していました。
左上の建物は現在高級住宅地になっていますが、ローマ時代の住居や施設が造られたところであります。

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チュニジアの世界遺産:カルタゴの考古学的遺跡5

2006-09-22 00:16:24 | 旅行記
これはローマ劇場で、1万人を収容できたそうです。
現在では照明施設も付けられて、カルタゴ・フェスティバルや夏の各種フェスティバルに使われています。

この劇場の隣はローマ人の住居跡が残っています。
劇場の隣には現大統領のモスクも建設されました。

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チュニジアの世界遺産:カルタゴの考古学的遺跡4

2006-09-21 01:03:45 | 旅行記
ローマは118年に亘る3次のポエニ戦争に勝利し、大量の塩を撒いてカルタゴを徹底的に壊滅したが、1世紀後の紀元前29年に植民市として復興しました。
2世紀頃には巨大な建造物も造られ、ローマ帝国第3の都市になりました。

2世紀にアントニヌス・ピウスによって造られたのが写真の共同浴場です。
東京ドゥーム3個ほどの広大な敷地に、100を超える部屋が造られ、温浴、水風呂、サウナ、プール等々の施設が造られていました。
床はモザイク、柱には彫刻、壁には画等贅沢な造りでした。
現在の遺跡はユネスコの協力で1980~1988年に復元されました。

カルタゴで使う水は、60km離れたザグーアンから水道橋や地下水路で132kmの道程を運ばれました。

現在は共同浴場の隣が大統領官邸になっており、カメラを向けることが出来ません。
日本大使公邸なども近くにあり、この辺は高級住宅地になっています。

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チュニジアの世界遺産:カルタゴの考古学的遺跡3

2006-09-20 19:31:39 | 旅行記
カルタゴは地中海の殆どで広く交易をしていた地中海第一の海運国で、多くの軍艦も保有していました。

カルタゴの港は商業港と軍港に分けられ、入り口には長方形(500m×300m)の商業港があり、周りには多くの倉庫などが建てられていました。
商業港の奥には円形の軍港があり、敵が攻めてきた時などは鎖で軍港を封鎖し、敵船が入れないようにする設備もありました。

軍港は直径300mに220艘の軍艦が係留できました。
カルタゴ軍は第1次ポエニ戦争(紀元前264~前241)当時5段層軍団を120艘保有しており、1艘に漕ぎ手が300人、戦闘員が300人乗船できる大型でした。
当時のローマは軍艦や輸送船団さえ保有していなかったのですが、ローマ連合(3段層軍団まで)の支援を受けてシチリア島に渡ることが出来、「ローマは一日にして成らず」のスタート点となったのです。

この画像は軍港のドックで、軍艦を修理や陸に上げての係留に使われました。

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チュニジアの世界遺産:カルタゴの考古学的遺跡2

2006-09-19 07:56:09 | 旅行記
本日ご紹介するのは、ポエニ人の墓地となっているトフェです。

ここはローマ以前のポエニ時代に、フェニキアの古代宗教の神バール・ハモン神とカルタゴの守護神タニト神が祀られていた聖域です。
カルタゴはフェニキア人が建国したため当然両神が祀られます。

ここでは幼児の骨が炭化して見つかっており、1862年の小説サランボーで生贄のシーンを描写したため、幼児を殺して神に捧げたとも言われています。
しかし、当時の医術では多くの幼児が死亡したとも考えられ、生贄説にも疑問がもたれています。

チュニジアの世界遺産:カルタゴの考古学的遺跡1

2006-09-18 21:12:20 | 旅行記
カルタゴの考古学的遺跡は、1979年世界遺産(文化遺産)に登録されました。

本日ご紹介するのはローマ時代の円形闘技場です。
36000人収容できた規模で、ブェローナの円形闘技場に匹敵する大きさであるといわれています。
当時はアーチの上に更にアーチを重ね、様々な彫刻を施した豪華な施設でした。

その後は何世紀にも亘って石材が持ち出され、各地の建造物や海外に運ばれました。
現在残っているのは基礎部分だけで、これが円形闘技場の跡だと教えられなければ一見判らないような状態になっています(エル・ジェムの円形闘技場・・・世界遺産は保存状態が良く残っていますので後日紹介します)。

ローマ帝国は、民衆の心を結びつけるため各地に円形闘技場を造り、囚人や奴隷などによる猛獣との戦いや剣闘を繰り広げました。
ここではキリスト教徒の処刑も行われたそうです。

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チュニジアのコウノトリ

2006-09-17 21:59:45 | 旅行記
チュニジアの北西部に行くと、沢山のコウノトリが営巣しているのを見かけます。
時には工場のクレーンや鉄骨または使用していない煙突にまで営巣し、50m平方に20近くの営巣も見かけました。

殆どが電柱の上に営巣しており、営巣が予想される附近の電柱には金網が敷かれて居ます。
無論金網が無い電柱にも営巣しますが、チュニジアの真剣な保護状態が見られます。

日本では田圃に泥鰌や蛙が繁殖するよう心掛けているようですが、チュニジアには田圃はありませんし殆どが畑です。
春から秋までは乾季でもあります。
食べ物が考えられるのは昆虫だろうと思いますが、日本でも参考にして繁殖活動をされると良いでしょう。


チュニジアのラクダツアー

2006-09-15 21:46:36 | 旅行記
チュニジアの各地でラクダツアーが行われていますが、大々的に行われている主な場所はドゥーズやクサール・ギレンが良いでしょう。

ドゥーズでは時間ツアーから野宿のツアーまで行っていますが、殆どが草の生えた砂漠で、砂の砂漠はツアーの出発点だけです。

その点クサール・ギレンは、砂の砂漠が広範囲に亘っていますので砂漠の雰囲気を満喫されるでしょう。
この画像はクサール・ギレンのツアー風景です。

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チュニジアで女性に人気の町

2006-09-14 21:46:34 | 旅行記
チュニジアで特に女性に人気の町は、ここシディ・ブ・サイドでしょう。

チュニジア各地でも白の壁に青の窓枠やドアは多いですが、ここでは街並み保存地区に指定され、町全体が白の壁に青の窓枠やドアで彩られています。
高台にある町は遠くから見ても鮮やかに見えます。

メインストリートは坂道になっており、道の両側に土産物屋が建ち並らび、突き当りには町のシンボル的存在となっているカフェ・デ・ナットがあります。
18世紀に出来たマグレブ風の内装で足を伸ばせる室内には、赤と緑の斜線模様の柱があり、独特の雰囲気で飲むミントティは格別です。

この町を歩いていると時々日本人の旅行者に会うことが出来ます。

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チュニジアの食材5

2006-09-13 22:01:42 | 旅行記
チュニジアではお菓子が大変好まれています。
そして大変美味しいです。
各家庭でも数種類のお菓子を作りますが、お店にも沢山の種類の菓子が売られています。
ホテルによっては30種類くらいのお菓子が、ディナーに並ぶこともあります。
でも、お菓子は大変高く、1kgあたり20~30ディナール(1700~2550円)します。

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