4/19のことを書く前に、前夜のことを追記。
弁当つくり隊のSさんは帰宅途中にカイロと飲み物を持って、再度、公園にいる足の悪いホームレスに会いに行った。必要な物は無いか聞くと、「散乱している私物を入れる為の大きな入れ物がほしい。ゴミ袋でも構わない」と言う。24時間営業のスーパーにも無かったので、Sさんは一度帰宅。私物の大きなキャリーバッグを持って来て、彼にプレゼントしたらしい。再び励まして、別れたとのこと。
4/19(月)
そして19日の朝。私は彼があの荷物を片付けられたのか、怖気づいて逃げたりはしないか、役所まで同行する支援者と無事に落ち合えるか心配になり、公園へと向かった。昨夜ベンチにいっぱいだった彼の荷物は、すっかりバッグの中にまとまり、身支度はできていた。まだ集合時間より、だいぶ前なのに、立ち上がって、何度も公園の時計を見て、時間を気にしていた。
私もSさんも誰にも相談せずに単独行動をした。小学生女子とその母親の献身的な支援活動に、無意識に突き動かされてのことだろうか。「おはようございます」車が到着するまで、彼と話しをした。役所ヘ行くのが不安で、一睡もできなかったらしい。「忘れてた」考え事をしていたのだろうか、ヒゲを剃り忘れている。役所でどんなことを聞かれるか、これからどうなるか、できるだけ具体的に話した。
「現況を正直に話せばいいだけです」彼は私にも身の上話をしてくれた。「親は生きてるかどうか分からないです、しばらく連絡とってないし…でも親や兄弟には絶対に知られたくないです。バレたら殺される」興奮しはじめたので、扶養照会は拒否できると伝え、心を落ち着かせた。話の中で「いつか……故郷に帰りたいと思っているんです」何も考えられないと話していた彼の口から、初めて未来への希望を聞くことできた。前向きな言葉を聞くことができた。「治療して、お金を貯めて…そうすれば帰れますよ、きっと」
支援者が現れたので、車まで荷物を運ぶのを手伝った。彼は傘を杖代わりにして、一歩いっぽ必死に歩く。夜のうちは気にならなかったが、痛めた足には季節外れのハエがまとわりついていた。かなり状態が悪いのだと、あらためて気づいた。「人を頼って、あちこちを転々と移動してきました。赤羽の、この公園で、皆さんと知り合えて、本当によかった」と彼は言い、車ヘ乗りこんだ。二度と路上で寝ることがありませんように、痛めた足が完治しますようにと願い、私は車を見送った。
10:30過ぎに、同行した支援者からメールが届く。相談員に話を聞いてもらった後に申請書を提出し受理されたこと。無料低額宿泊所に移送され、その後に病院ヘ行き、足の治療に入る予定だということ。すぐにスタッフ皆にメールを転送した。
今日は、無料弁当の活動を通して、3人目の路上生活者を、路上から脱出させた記念日。
夜、弁当づくりをする我々の元へ、同行した支援者である区議が報告に訪れた。我々は、それぞれ交流した情報を皆で共有した。小学生女子とその母親に初めて対面した区議は「素晴らしいです。皆さんは立派なソーシャルワーカーです」と、親子の献身的な活動や我々の毎晩の弁当づくりを称えてくれた。「今後、彼には気軽に会いに行けなくなるだろうと思います。けれど、赤羽の宿泊所に入るので、昼間は公園に来るかもしれません。町で出会ったり、彼から電話連絡が入るかもしれません。今後も見守ってあげて下さい」
小学生女子は、力強く頷いた。
(4/20のTwitterより 一部修正)
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