「身に起こる問題(壁)は、乗り越えられる事しか起こらない」
「努力は裏切らない」
なる言葉は無責任の最たるものである。
「此の世には、乗り越えられない壁が在る」
「努力は裏切る」
祖母の死去、両親との相続放棄の手続き、気違い叔母と其の娘と孫の輩との対峙で、流石の吾もほとほと疲れ果てた感が在る。
時間が解決するのであろうが、吾の場合1年では未だ足らぬ様だ。
睡眠障害と云う形で、其の余波が襲って来ており眠剤は欠かせない。
其れでも時折、眠剤を飲まなくても眠れる時が在る。
徐々にではあるが、回復へと向かっている。
何故心の状態がなかなか軌道修正しないのかと云えば、心は慣性の法則(働き)を持つからである。
心は、一度或る方向に向かうと其の方向に一気に突き進む。
気付いてブレーキをかけても、暫く其の方向に進む。
良い事が在った時は「余韻」として波紋が広がり、ショッキングな事が在った時は解決しても「尾を引く」として暫く影響を及ぼし続ける。
此の両者とも、波紋であるから、時間が経てば軈て水面は穏やかになる。
此れは個人差と出来事の大きさで変わって来る。
毎日の暮らしの中で、大小に関わらず色んな出来事が絶えない。
其の度毎に波紋が現れ、現れては消えている。
吾々は、波紋に揺さぶられ、翻弄されながら生きている。
起こる現象は容赦無い。
「身に起こる問題(壁)は、乗り越えられる事しか起こらない」
などと誰かが云っていた。
だが、身に起こる出来事で自ら命を絶った人が大勢いるが、そうせざるを得なかった人達に此の言葉は余りにも無責任ではないか。
何とかしようと抗って、打開しようと奔走してもどうにもならなくなり力尽きてしまった人達も居る。
此の世で生きてると、努力しても、自己暗示をかけても実現しない事の方が殆どである。
「努力は裏切らない」
などと云う人も居るが、実現させられなかった人は努力が足らなかったとでも云うのだろうか。
実現させられなかったが努力を続けて来た人達に、此の言葉も無責任な言葉である。
こう云う事を云う者達は、結果論で云っているに過ぎない。
努力して自己暗示をかけて、偶々そうなったからこんな事が云えるのである。
「身に起こる問題(壁)は、乗り越えられる事しか起こらない」
「努力は裏切らない」
此れは偶々、偶然にも乗り越えられて、ラッキーな事に努力の甲斐が在った者だけが云う無責任な妄言、暴言である。
此の無責任な暴言を、疲れ果て志半ばで命を絶った方の墓前で云ってみろ。
得意満面な顔で云えるか?
此の様な無責任な妄言、暴言を、万人に値するかの様にしたり顔で声高に云うのはやめた方がよい。