自分らしく生きる事である。
長生きするには、食習慣でも生活習慣を整えるだけではない。
寧ろ余り関係無い。
亡くなった祖母の生き様を見て来てそう思った。
頑固で、一概で、一直線で、四角四面で、先ずは他人を常に考えて行動する。
此れを見ると、窮屈で心休まらず、ストレスフルで健康に悪影響だと思うだろうが、違う。
自分を貫いて生きている人はストレスフリーである。
笑顔な人は其れが自分らしさなら其れでいい。
顰めっ面が自分らしさなら其れでいい。
社会で自分らしく生きるのは困難である。
こうあらねばならないと云う生き方は無い。
他人を深く傷付けたり、殺めたりする事は別である。
吾は祖母が亡くなる迄、他人を線引きして、色眼鏡で見ていた。
他人と話し辛い人は、其れが個性であるから其れでいい。
ネガティブな人は其れが個性であるから其れでいい。
陽気な人は其れが個性である。
陰気で辛気臭い人は其れが個性である。
こうでなければ他人に伝わらぬと云う事は無い。
其々の立ち位置での発信、伝え方が在る。
まぁ、ありのままでいい。
併しありのままと云われても、自分らしさと云われても、何れが自分のありのままの姿なのか、自分らしさなのか解らなくなる。
人は環境で性格が形成され、捻じ曲げられる。
埋もれてしまう。
家庭、学校、職場で揉まれて、人は形成・改変される。
他人から云われた評価が其の人の「らしさ」であるのではないかと思う。
其れは到底容認出来ぬ真逆の評価を受ける事が在る。
其れは自分自身が知らず、気付いていなかっただけである。
其の都度変化する自分自身。
変遷を繰り返すが、過去も今の自分も其の人自身。
「自分探しの旅に出る」と云う人がいるが、「変えたいと思う嫌な自分」も自分である。
探す必要は無い。
否定せずともよいではないか。
色んな自分が在るのは、が引き出しが多いと思えばそんな自分自身も愛せる。
自分自身を否定する生き方は苦しくなる。
吾は他人からよく云われるのが、
「近寄り難く、話しがし難い」
そう云われれても、敢えてそうしている訳ではない。
いつだったか、其の言葉に反応して自分の顔を鏡にうつし、口角を上げ、目尻を下げ笑顔を作ってみた。
其の顔は、最早変顔であった。
こんな変顔状態を維持して表を歩けない。
作り笑顔を鏡で見た瞬間、もうやめた。
皆さん、今の自分でいいんですよ。
此れから更に寒くなる。
身体も心も、今の自分自身もご自愛下さい。