何故、今回そう思ったかと云えば、ウクライナの裏が少しずつ見え始めたからである。
色んな裏の顔が見え始めると、名前が無かった事は寧ろ良かった。
さて、此の両者の戦争から、色々思う事が湧き出て来る。
我が国が幾らカネや人の人道支援をしたとて、武器供与に優るものは無い。
戦闘を繰り広げ、砲弾や銃弾が飛び交う最中に、カネを差し出した処で尻拭きにもならぬのである。
カネや人の支援は、戦争が終結して復興時に援助するのなら喜ばれる。
タイミングである。
矢張り此処は、戦力(兵器)の支援である。
ウクライナは基本的にロシア製の戦闘機と戦車を使用している。
アメ公が何故未だに戦闘機や戦車を提供せぬかと云えば、仕様が違う為訓練が必要となるからである。
ウクライナにそんな悠長な事をしている暇は無かろう。
なので、其れ以外の兵器を提供している。
我が国は、「武器輸出三原則」から改められた「防衛装備移転三原則」が在る。
条件として、我が国日本の安全保障に益すると云うのが条件に据えられている。
ウクライナ支援が我が国の安全保障に益すると云う解釈は出来ない。
こう云うまどろっこしい縛りが無ければ、アメリカと同様に戦闘機や戦車以外の兵器(銃弾、砲弾付き)を提供する事も出来ただろう。
だが、昔から日本を忌み嫌っていたウクライナである。
そんな国に国民の血税でもある武器を提供されても最下層の愚民である吾は複雑である。
其れにナチス信奉者の寄せ集めであるアゾフ大隊(アゾフ連隊)へ手を貸すのは、其の片棒を担ぐ事になるので、せぬがよい。
ロシアとウクライナは内紛みたいなものである。
奴等の内輪揉めに、余所者が鼻息を荒くする必要も無いし、同情する事もない。
ロシアがウクライナとの内輪揉めで、弱体化若しくは足腰が立たぬぐらいに疲弊してくれればよいが、例えウクライナとロシアが共倒れになろうが知ったこっちゃない。
まぁ、ロシアが八方塞がりになり疲弊すれば、支那がロシア支援に動く。
カザフスタンを経由してロシアに武器が渡る。
支那はいつ動くか、其のタイミングを見計らっている。
そんなきな臭い世界情勢よりも、今此の吾の明日の補償が無い人生をどう生きるかの方が先決である。
吾自身の実生活の方が余程切迫している。
ウクライナを心配して、行動する人が多勢いるが、皆余程余裕が在るんだなぁと.....。
他人の心配が出来る程の余裕の実生活を送ってみたいものである。