おも〜か〜じ(面舵)‼︎

叔母家族の妄言による祖母への冒涜

「婆さんの一周忌? 毎日暑いしカネも無い。学校が夏休みに入って中学生の孫が遊びに来るし、小遣いもやりたいし、ご飯も食べさせたいから何か美味いものでもと思って色々と買い物するからカネがいる。そうそう、もう墓を始末したらどう?墓仕舞い。そうしたら墓参りする煩わしさも無いし。アンタが寺と相談して簡単に終わらせればいいじゃない」

先日、近くのスーパーに晩飯の調達に来ていた。

付図前を見ると、叔母が食品を物色していた。

今夏は祖母にとっては初盆(新盆)である。

寺からも通知が来ていた。

祖母が亡くなった当時の叔母の言動は当ブログにも書いた。

叔母は二言目には、「祖母には世話になったから、親孝行したい」

である。

吾は食品を物色していた叔母に声を掛けた。

いきなり声を掛けたからなのか、奇声を上げて驚いていた。

ついでだったので、祖母の初盆と一周忌をどの様にしようかと相談口調で聞いてみた。

其の答えが冒頭に在る台詞である。

叔母は、祖母が生前時には、何とか祖母の年金を手中に入れようと画策していた。

吾が祖母と暮らしているのが邪魔で仕方無かった。

其の為には祖母を自分の方に振り向くように、無い事ばかりのデマを祖母に吹き込んでいた。

・吾が仕事に行かずに、パチンコに入り浸っている。

・年金額を少なめに祖母に云って、差額をピンハネして懐に入れている

とかであった。

祖母の年金と云っても、2ヶ月毎に4万円である。

月に2万円。

ピンハネもクソもなかろう。

僅かばかりのカネでも何とかして手に入れようと云う、當に守銭奴そのものである。

アホらし。

何とかして祖母を懐柔しようとあの手この手を駆使していた様だ。

生前の祖母の内心はどう感じていたかは今となっては解らない。

祖母の聡明さを見れば、そんな叔母の気違いじみた妄言を聞き入れていたとは思っていないが其れは祖母のみぞ知るところである。

そんな素振りは一切見せなかったので信じたい。

吾としては、そんな気違いの叔母ではあるが、下手に出て見たのである。

こう云う答えが返って来たので、祖母に関する事では連絡を取るまいと決めた。

墓仕舞いといってもタダではない。

まとまったカネが要る。

叔母サイドは一切カネは出さないスタンスである。

抑も、吾は現段階では墓仕舞いは考えていない。

吾の身体が続く限り墓参をしようと決めている。

吾の跡継ぎはおらず、吾が世を去ればお家断絶となる。

其れにカネも無い。

何れは墓仕舞いをせねばならぬだろうから、其の時に向けてカネを蓄えるしかない。

だが、此の薄給で僅かな貯金額を捻出出来るかの当ても無い。

普段の叔母からすれば、今回の妄言には特に驚きはしなかった。

通常運転である。

家族(身内)とは何であろうか.....。

吾の身内だけがろくでも無いのだろうか。

吾は、是迄〇〇家を継承して頂いたご先祖に申し訳無い気持ちである。

吾の代で終わってしまうのである。

叔母サイドの連中に自分が継いでやろうと云う者は居ない。

叔母も、其の娘夫婦も孫等も、口には祖母に世話になったと云っていたが、口だけである。

祖母が居なくなればあとは知らぬである。


叔母家族は、九州から電車代のみであとは無一文と着のみ着のままで逃げ込んで来た。

祖父母はそんな叔母家族を暖かく迎え入れ、其れ迄積み立てていた蓄えを叔母家族に投げ打った。

住む所、衣服、箸や茶碗等、生活するに困らぬ程度まで揃えた。

働き口も、祖父母が口利きをした。

叔母の息子と娘の学校への転入から学費一式。

盆暮れには呼び寄せて飯を食わせ、小遣い迄も与えた。

当時は吾も、そんな叔母家族を不憫に思った時期も在ったので、僅かながらではあったがカネを支援した。

叔母がヘルニアの罹り、手術をした時の費用全てと入院費用も工面した。

叔母の息子と娘の成人式の衣装一式まで。

叔母の息子には五月の兜、娘には三月の雛壇。

祖母は吾に云っていた言葉を思い出した。

「あの子等には皆と同じ様な暮らしをさせたい」

と、祖母の慈悲の思いである。

吾は正直、其処迄する事はないだろうにと思った事も在った。

祖母は何の利害も無く、純粋に何とか叔母親子を何とか立ちゆく様にしてやりたいと云う一心な親心であった。

だが、そんな祖母の心を裏切り、踏み躙った叔母サイドの連中に激しい怒りを覚える。

吾が祖母の年金を思いの儘好き勝手に使い込んでいると吹き込んでいた。

度し難いとは此の連中に在る言葉である。

あの世に旅立った祖母は、叔母サイドの連中の言動を見てどう思って見ているのだろうか。

夢にも出て来ない祖母。

もうこの世に未練が無いからなのかも知れぬ。

だが、其れで良いのかも知れない。

煩わしい此の世の生活から解放されて自由になった祖母。

吾も祖母には言葉にならぬ程に世話になった。

せめて吾は、祖母に対しての返しは殆ど出来ぬが、出来る限りの墓参を続け、祖母への感謝を忘れずに実生活を送る事である。






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