若い夫婦と其の子供さんが、庭で睦まじく遊んでいた。
年齢は20代後半から30代と云ったところだろうか。
微笑ましいなぁと遠目で眺めていた。
家が中々立派である。
周辺にも一軒家が立ち並んでいるが、他は皆同じ様相である。
併し、此の家は違う。
周りの安い家とは違い、デザインが全く似通っておらず、個人の趣味がフルに活かされているといった感じである。
シンプルな構造と色合いであるが、其れでいてインパクトを与える不思議な様相である。
家の周りは綺麗に清掃されており、バケツや其の他の住居品は綺麗に整頓されてある。
此のご夫婦にして、此の家在りである。
一軒家、我が城を持てる器量が在るからこそであろう。
整理整頓されてある家の横を通るのは清々しい。
家の大きさではない。
住む人の人格で家の格が決まる。
神社仏閣等でも、大きさを云う人がほとんどだが、そうではない。
其処を管理する住職や神職に携わる者の心の在り方で、其処に宿り守護する神仏の神格が決まる。
外観の大きさでは、決まらない。
家にも相が在る。
人間の顔と同じ。
其処に宿る主(心)に応じて肉体が変化し、容姿も変化する。
家も同じで、宿主である人間に応じて家が醸し出す雰囲気変わる。
易では、此の世の摂理を易で決め付けた条件に無理矢理当て嵌めて、型に嵌めて判断する。
人が作り上げた易の概念だからこそ、人の心の持ち方や言動で易の概念は打ち破る事が出来る。
吾は其れが一向に体現出来ぬのは、自身で勝手に限界を決め込み、強い信念と辛抱が皆無だからと自覚している。