考え込んだり、悩むのは此れ程に気力と体力が要るのだと歳を重ねて思った。
実生活で何も問題が無い訳ではなく、毎日必ず一つはやらかしてしまう。
其の度に、「嗚呼…しまった…」と頭を抱える。
仕事をしている時に一つの事に頭を煩わせていては、目の前の業務が疎かになってしまう。
そうこうして仕事に忙殺されている内に先刻の大失敗、日頃の問題に対する煩いがどうでもよくなる。
日々を過ごす過程に於いて、一つの事に捉われていても先行きが出来ない。
仕事でも、最前にやらかした失敗に引っかかってフリーズしても解決は見ない。
吾は悩む程のゆとりと云うか、余裕が無い。
一々、悩む暇が無い。
やる事は控えており、次々に熟してゆかねばならず、停滞は許されない。
業務に忙殺されていると、「あれ? 何に悩んでたんやろか…」とどうでもよくなって、何時の間にか通り過ぎた過去の事に変わっている。
忙しいのも良いものである。
悩む、考え込むのは人の特性も在るので、一概には云えぬ。
吾の悩みの解決法は、「留まって考え込まず心身をフル回転させながら次々と業務にあたる」
である。
相撲の力士は、稽古しながら怪我を治すと云うが、まぁ其の表現に近い。
じっと留まってしまうと、要らぬ取越苦労を重ねてしまい、1の事が6や7になってしまう。
起こった問題の大小にもよるが、生死に関わる事でないのであれば、大抵は乗り越えられる。
吾は過去に、他人のせいで自己破産せねば日常を取り戻せなかった程に追い込まれた時が有り、自ら裁判所に出向き、書類を揃え、何故破産に陥ってしまったかの経緯をまとめ、今後金銭の扱いにどう向き合うかを整理して書き記して提出した。
数週間後、破産が認められた。
其れが今から、10年前である。
其れからと云うものの、ローンはおろか、携帯電話の月賦払いも不可となり難儀した。
欲しい物が在れば、カネを貯めてニコニコ現金払いである。
だが、其のお蔭と云うか、無闇に物を買う事が無くなり、収入と支出を以前より考える様になった。
元々、散財や衝動買い等はしては来なかったが、他人のせいとは云え、自己破産の経験は色んな事を教えてくれたし、生活を律する事を教えてくれた。
何が其の人に気付かせてくれるか解らぬものである。