住田功一のブログ

メディアについて考えること、ゼミ生と考えること……などをつづります

阪神・淡路大震災から30年 あの日肝に銘じたこと

2025-01-01 00:06:21 | 日記
1995年1月17日早朝の激震。
阪神・淡路大震災から30年を迎えようとしています。


(写真:高架が落ちて、駅のコンコースも押し潰された 1995年1月18日夕刻、JR六甲道駅で 住田撮影)

いくつかの番組や
シンポジウムのお誘いを受け、
素材を提供したり、編集をしたり、
進行役をしたり、構成を考えたり、
という、あわただしい年末・年始です。

「あの日」何があったかを
忘れず伝え続けていくことが、
神戸であの揺れを感じ、伝えた私の出発点なのですが、
30年前に、自分はなにを肝に銘じたのか。

もういちどそれを整理しながら
準備を進めていこうと思っています。

《NHKラジオ深夜便》
「明日へのことば〜阪神・淡路大震災30年・神戸で学んだこと、伝えたいこと」
1月4日(土)午前4時05分から4時45分
(NHKラジオ第一、NHK-FMで全国放送。らじる らじるで同時配信)
震災当時大学1年だった、神戸大都市安全研究センター教授 近藤民代さんの体験を
学生たちといっしょに聞いた公開録音です
番組ブログ:https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/shinyabin/673981.html

《アナウンサー百年百話》
「災害と向き合い続けて 阪神淡路大震災 ふるさとから伝えて(1)」
1月8日(水)午後10時00分から10時15分(NHKラジオ第二)
1月9日(木)午後5時40分から5時55分(NHK-FM)
1月12日(日)午後5時45分から6時00分(NHKラジオ第二)
阪神淡路大震災から30年。地震発生時どうアナウンサーは伝えたのか。
番組ブログ:https://www.nhk.jp/p/ana100/rs/MVYJ6PRZMX/

《神戸大学 阪神・淡路大震災30年シンポジウム》
1月11日(土)9時50分~12時半(第1部)
場所:神戸大学百年記念館六甲ホール(神戸市灘区六甲台町1-1)+オンライン
鼎談:映画監督/脚本家 安田真奈さん(神戸大学卒業生) 、奥村弘副学長、住田功一。
かつて映画研究部に所属していた学生が亡くなりました。
私と安田さんの共通の後輩です。
あの日、神戸大学周辺では何があったのか、あらためて振り返ります。
そしてあれから30年、社会はどうかわったのか、考えます。

《NHKラジオ深夜便》
「特集・阪神・淡路大震災 分かち合いたい30年〜語り継ぐ 語り直す」
1月16日(木)23時05分から17日(金)5時00分
(NHKラジオ第一、NHK-FM放送で全国放送。らじる らじるで同時配信)
兼清麻美アナウンサーと共に、ひさしぶりに進行役を務めます
被災した人たちは何を語り続けたのか、
そして30年たって何を語り始めたのか?

《ラジオ関西「モリユリのこころのメロディ」》
「阪神・淡路大震災30年特別番組・悲しみは悲しみで終わらない」
1月17日(金)20時05分から21時28分
(ラジオ関西 AM558KHz,FM91.1MHz Radiko同時配信)
当時神戸大法学部4年生だった森渉さんを失った姉・祐理さんは、
震災以来、ゴスペル歌手として活動してきました。
渉さんの亡くなった下宿跡や、神戸大学を訪ね、
新たな事実と向き合う祐理さんとともに、
災害による喪失と、新たな出会いによる心の再興を考えます。

    ◯     ◯

1月17日(金)ひる12時30分からは
母校の神戸大学の慰霊碑前では、追悼の献花式が行われます。
六甲台第一キャンパスの慰霊碑からは
犠牲になった学生の高齢のご遺族のために
そして、震災を知らない学生のために、
ニュースネット委員会のメンバーが
ライブ配信や号外配布を行う予定です。
私は、そのお手伝いをすることにしています。
皆さんも、配信をご覧ください。

【配信の案内】
 https://x.gd/27pRp





岡真裕美さんの『子どもを全力で守る本』 クラウドファウンディングで出版

2024-06-30 11:27:25 | メディア関連
 ラジオ深夜便でインタビューさせていただいた岡真裕美さん(@hinadori2016)が、指導教員と共に本を出した。
 『子どもを全力で守る本〜事故・ケガで我が子を死なせたいために』(中井宏・岡真裕美編著、いそっぷ社、2024年6月30日刊)だ。クラウドファウンディングで、多くの人の支援があって出版されたこの本には、ハッとする“気づき”がいっぱい詰まっている。


(写真:『子どもを全力で守る本〜事故・ケガで我が子を死なせたいために』<中井宏・岡真裕美編著、いそっぷ社刊>の表紙)

 ラジオのインタビュー「川で亡くなった夫が教えてくれたこと」(2020年9月5日放送、21年6月19日再放送)では、「心理学を基にした安全教育のプログラム」を社会に発信したいという、岡さんの強い思いがあふれていた。

 きっかけは2012年春。大手電機メーカー研究員のご主人・隆司さん(当時34)が、川で溺れている子どもを助けようとして亡くなったことだった。
 川面を横切るように並んだ護床ブロック。その上で遊んでいた子どもが、転落し溺れている場面にジョギング中に遭遇したのだ。私たちの日常に、ふと入りこんでくるのが、こうした子どもの「事故」だ。

 岡さんは、やり場のない思いから、河川の安全策を訴える声をあげ始めたが、行政は「これまでもパトロールはしていた」、「河川は自己責任の中での自由使用」というばかり。
 ようやく、川のそばに『川に気をつけて』という看板が立てられたが、「どう危ないのか。どうすれば危険を回避できるか」には触れられていなかったという。
 その経験から、大阪大学の大学院「人間科学研究科」の門をたたき、安全行動学の研究を始めた。

 2020年、子どもの事故防止をわかりやすく伝える本の出版を企画し、クラウドファウンディングを行なった。その成果が、今回の『子どもを全力で守る本』だ。

 上田バロンさんの楽しく豊富なイラストで、家族が遭遇するさまざまな「ひやり」の場面が描かれる。「これ、あるある」、「うちと同じ」と読み進むうちに、危険が身の回りにたくさんあることに気づかされる。
 データや法令もきちんと押さえられている。

 「車から降りるのは、だれから降りるのが安全か?」では、降りる時は大人が先、乗る時は子どもが先。当たり前のように感じるが、急いでいる時や、何かに気をとられた時に、この原則が崩れる。

▽チャイルドシート・シートベルトはなぜするの?
▽交通事故多発!! 〝魔の7歳〟とは
▽危険を感じたら〝プラン変更〟!!
▽引っかかりを防げ!!  遊ぶ時は手ぶらで身軽に
▽楽しいはずの駅には危険もいっぱい!?
▽思わぬ〝はさまれ〟にご用心
▽手すりが背丈より高くても
などの項目は、日常の生活周辺の事例ばかり。

 「祖父母の家や大人だけの場所は要チェック」と言う指摘は、自分の幼い頃のことも思い出してしまう。
  俺も子育てを…という父親には、思わぬ落とし穴があることも指摘されていて、ヒリヒリする。

 「自宅車庫での事故」、「ベランダからの転落」、「お泊まり保育での水死」、「送迎バスや園舎内での熱中症」などニュースで伝えられる事故は、自宅や、安全と思い込んで任せた場所で起きている。

 この本では、まず子どもの特性を知ることから始める。
 子供は想定外の遊びの天才。一方で、学んだことの応用は苦手。
 「気をつけて」「注意して」といった、漠然としたアナウンスは彼らには通じないと言う。
 何に、どう気をつけるのか。具体的に理由も説明しないと、伝わらない。
本当にそうだ。

 まずは、家族で「ヒヤリハット」を感じる<心と目>を身につけ、子どもと共に学ぶ。そして、それを実家の親や保育園・幼稚園、社会へと周囲の人々にも広げていく。
 そのきっかけになる、大切な一冊になるはずだ。

【編著者】
▽中井宏
1982年香川県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科 安全行動学研究分野 准教授/同研究科附属 未来共創センター 子どもの安全ラボ 代表。

▽岡真裕美
1980年香川県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科附属 未来共創センター 子どもの安全ラボ所属。現在、全国の保育・教育関係者、子育て中の保護者等に子どもの事故予防について講演や啓発活動を行う。


『子どもを全力で守る本 事故・ケガで我が子を死なせたいために』
いそっぷ社(https://isopsha.com)、1500円税別



「#つぶやき市長と議会のオキテ」 関西でも上映が始まった

2024-06-29 23:59:59 | メディア関連
 広島ホームテレビが安芸高田市の前・石丸伸二市長を追ったドキュメンタリーの劇場版『#つぶやき市長 と議会のオキテ』(https://tsubuyaki-mayor.com)の上映が、関西でも始まっている。同氏の東京都知事選立候補の注目度もあってか、初日は満席になる盛況ぶり。大阪・第七藝術劇場は7月5日(金)まで。京都シネマは11日(木)、神戸・元町映画館は12日(金)まで上映中。


(画像:劇場版『#つぶやき市長 と議会のオキテ』のリーフレット)

 広島県北部の安芸高田市。2019年の河井克行・案里夫妻による大規模買収事件で当時の市長が辞職し、2020年8月の市長選で選ばれたのは、政治経験ゼロの元銀行マン石丸伸二(37)氏。
 ツイッター(現X)で次々に情報を発信する若い石丸市長に、年長者たちの市議会は紛糾。その対立に注目するメディア、若手議員の誕生、市長と地元新聞の対立など波紋は次々に広がっていく。
 2021年11月に30分枠のテレビ朝日系「テレメンタリー」で放送。翌春に50分版を放送、そのアーカイブ配信は900万回以上再生されたという。


(写真:大阪十三の「第七藝術劇場」でも上映が始まった 2024年6月22日撮影)

 この作品の公開が、6月22日から大阪で、翌週には京都、神戸でも始まった。
 大阪・第七藝術劇場の初日上映には、106分のドキュメンタリーにも関わらず93席がほぼ満席。会場整理の劇場関係者は、「初日の監督舞台あいさつ付きですけど、どの作品も満席になるわけではないですよ」といいながら、思わず顔がほころぶ。50代、60代以上の客が多いが、なかには20代、30代と思われる若い人の姿も。


(写真:「第七藝術劇場」の舞台挨拶。会場はほぼ満席 2024年6月22日撮影)

 上映後の舞台挨拶では、監督を務めた岡森吉宏・記者がステージに上がった。地元局2020年入社で、警察担当だったが、立川直樹プロデュサーの指示で安芸高田に通ったという若手記者だ。20代後半のスーツ姿に、客席から次々に質問が飛んだ。
 4年間の取材のスタンスについては、「議員と市長、双方との距離感を大切にした」という。仲良くなって情報をゲットするのではなく、等しい距離を置きながらの取材に腐心したと明かした。


(写真:舞台挨拶で語る岡森吉宏監督 2024年6月22日撮影)

 都知事選立候補表明後をどう見るかについては、「石丸がんばれ、けしからん、と両方盛り上げっているけれど、切り取り動画だと市政で起きたことは伝わらないのでは」といい、「もう少し色々な視点で石丸市政をみてほしい」と答えた。

 30分サイズを全国放送した後、50分番組を制作してもなおこぼれ落ちる部分が多かったので、映画制作を考え始めたという岡森監督。
 テレビ用の番組と違って、映画版ではナレーションなしのスタイルを選択したことで、状況の説明を画だけで見せていくことに苦労したと振り返った。

 ドキュメンタリー作品の配給で知られる「きろくびと」による全国上映が決まったあと、5月17日に石丸氏が東京都知事選への出馬を表明。
 東京での上映期間は短縮されたが、7月7日の投票を前に、石丸氏を追ったこの作品への関心がさらに高まっている。

《上映スケジュール》
▽大阪・第七藝術劇場(大阪市淀川区十三本町1-7-27サンポードシティ6階)
http://www.nanagei.com
6月22日(土)15:40 ※舞台挨拶あり
6月23日(日)17:25
6月24日(月)〜29日(土)16:55
6月30日(日)16:10
7月 1日(月)〜 5日(土)12:30

▽京都・京都シネマ(京都市下京区水銀屋町620 COCON KARASUMA3階)
https://www.kyotocinema.jp
6月28日(金)12:20 ※舞台挨拶あり
6月29日(土)12:10
6月30日(日)〜7月4日(木)12:20
7月 5日(金)〜11日(木)18:05

▽神戸・元町映画館(神戸市中央区元町通4丁目1-12)
https://www.motoei.com
6月29日(土) ※舞台挨拶あり
6月30日(日)〜7月5日(金)12:30
※6月30日(日)上映後の14:30~「オープンダイアローグ」開催。@まちラボ(映画館から西へ100m、こうべまちづくり会館4階)。

(画像下:劇場版『#つぶやき市長 と議会のオキテ』のリーフレット裏面)




広島でゼミ合宿 メディア関係者とも交流

2023-08-31 23:59:59 | ゼミ関連
8月29日から31日にかけて、広島でゼミ合宿を行いました。
ジャーナリズム研究会と合同で実施しました。

今回の合宿は、
被爆の実相を再確認するため
原爆資料館を訪れました。
多くのゼミ生にとって
中学・高校時代の修学旅行以来の訪問となりました。


(写真:原爆慰霊碑で手を合わせる。後ろは原爆資料館の本館。一部画面を加工しています)

きっかけは、
今年5月に開催されたG7広島サミット関連の
中継映像やドキュメンタリーをみて
ディスカッションしたことでした。

岸田文雄首相は広島サミットを前に、記者団に対して
「被爆の実相に触れて頂くことは、核軍縮に向けたあらゆる取り組みの原点だ」
と述べています。

その原点を知ってもらう意味で、
原爆資料館をG7の首脳たちに見てもらうことは
大切なプログラムだったと思います。
しかし、その模様は非公開で、
資料館のガラス外壁を白いフィルムで覆い隠したことには
ゼミ生たちも違和感を感じていました。

   ○    ○

今回は、地元局の
ドキュメンタリー制作者とディスカションする機会に恵まれました。
逆に、制作者から
メディアの報道姿勢やZ世代の平和への関心などについて
問いかけられる場面もあり、
ゼミ生にとっては新鮮な経験だったと思います。

また、広島出身の地元局関係者との懇談では、
自らの肉親の生々しい被爆体験を聞くことができました。

地元新聞社では、広島出身で大阪芸大OBのカメラマンから
被爆直後の同社の報道活動の様子を聞きました。
社屋は全焼し、輪転機や活字などを失い、
社員の3分の1にあたる114人が犠牲となる中で、
取材を続け、新聞発行を再開した経緯を聞くと、
報道に携わる人々の魂を見た思いがあります。

また、G7の取材については、
リサーチの大切さと、ポジションどりをいかに粘るかが
撮影の原点だと、ゼミ生たちは学びました。

また、在広島報道機関の記者とは
ランチタイムに懇談し、
日頃の取材活動についての基本や、
メディアと自治体との距離感などについて学びました。

今回の広島合宿は
いろいろな職種のメディア関係者との交流に時間を取ることができ、
充実した時間を過ごすことができました。

ラジオ番組『長崎市民は退避せよ〜防空情報放送は何を伝えたか』について

2023-08-07 22:45:00 | メディア関連
1993年(平成5年)8月7日(土)22:15から45分間、NHKラジオ(第1放送)の「ラジオアングル’93」という枠で全国に放送されたラジオドキュメンタリーが、『長崎市民は退避せよ 〜防空情報放送は何を伝えたか〜』です。

戦時中のラジオは、空襲警報や警戒警報を連日伝えていましたが、それに「敵機(米軍機)の数」「進む方向」「予想到達時間」などが加えられるようになりました。
それが「防空情報放送」です。これを全国で初めて実施したのは、西部軍と福岡放送局だったという資料が残っています。

各地の陸軍軍管区司令部の放送室(ブース)の中で当時の日本放送協会のアナウンサー(戦時下では放送員と呼んでいました)が、軍から手渡された情報メモを読み上げ、ラジオを通じて放送していました。

「防空情報放送」は、
東部軍管区の情報は東京・竹橋の司令部の放送室から、
中部軍管区の情報は大阪城公園内の司令部の放送室から、
西部軍管区の情報は福岡・大濠公園にあった司令部の放送室から…
といった具合に、軍管区に合わせたブロック単位で放送されていました。

当初は、「○○上空の敵少数機は東進中なり」というように、敵機の動きだけをおおざっぱに伝えていましたが、空襲が激しくなるにつれ、内容や形態も変貌していきます。

   ○      ○

1993年にNHK『ラジオ深夜便』で情報提供を呼びかけたところ、700通近いお便りが年配のリスナーから寄せられました。

福岡空襲や仙台空襲で。そして、昭和20年8月9日には長崎原爆投下の際に…。
それまでとは異なるメッセージをラジオが呼びかけたというのです。

そうした聴取者からの情報を元に、当時の放送局員や軍関係者を訪ねて取材すると、それまで放送史には残されていなかった事実がわかってきました。

いまから、ちょうど30年前の番組で、取材・制作者の私としても記憶が薄れてくる年月です。

ここでは、放送された内容をそのまま文字に起こしました。

放送史の中でも特異な記録ですが、内容について、新しい情報や、ご不明の点、ご指摘があればお知らせください。

住田功一

----【目次】-------------------------------

①プロローグ〜奇妙な退避放送
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/b09ad1a93be448d330325aae4e919894

②八月九日、長崎<1>
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/e67a9aec6430e55282e5dc78a4353e74

③終戦前年に始まった「防空情報放送」
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/ca399be29520ddf6bda4ce5046f8f59e

④放送室からの悲痛な叫び
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/90448a443b5fd4d6f043a6031b176f60

⑤八月九日、長崎<2>
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/e704ec92a9161925a03d7f1739179110

⑥エピローグ〜最後の「防空情報放送」
https://blog.goo.ne.jp/sumioctopus/e/dae1cfaf8ec2a0bebee13100e14cb269