住田功一のブログ

メディアについて考えること、ゼミ生と考えること……などをつづります

1.17阪神淡路大震災26年の朝 神戸からテレビ各局が中継

2021-01-23 23:07:14 | メディア関連

阪神・淡路大震災の発生日の1月17日、
神戸市中央区の東遊園地で行われる
「阪神淡路大震災1.17のつどい」。

発生時刻の午前5時46分にその会場で黙祷が捧げられます。

今年は編成が比較的柔軟にできる日曜日ということもあり
NHKと地元サンテレビのほか大阪(近畿広域圏)の3局も
この早朝の追悼行事を中継しました。

(画像↑ 2021年1月17日朝のテレビ欄 神戸新聞)

NHK 15分
MBS 29分
ABC 10分
KTV 29分
サ ン 44分

読売テレビ、テレビ大阪は
テレビショッピングを編成しました。

関西テレビは5元中継と大変意欲的な構成でした。
コロナで慰霊碑に来られない人に
映像を届けたいと新実アナがコメントしていました。

朝の追悼行事の全体がわかるのがサンテレビで、
最も長い45分枠での放送でした。

毎日放送2019年入社の野嶋紗己子アナは
震災を経験していないと
自らの立ち位置を述べてリポート。
関西テレビの新人・舘山聖奈アナも
震災後に生まれたという立場から
取材実感を述べていたのが
印象的でした。

コロナ禍で民放テレビも経営環境が厳しい中で、
「1.17だけはきちんと伝えよう」という
心意気を感じました。

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NHKは平日なら『おはよう日本』のなかで
全国に中継されるのですが、
今年は日曜日だったので
午前5時35分から15分間
「阪神・淡路大震災から26年 神戸『追悼の集い』」
を特別に編成し、全国に放送しました。

東遊園地から 神戸局・今城和久アナ現場リポ Vふり
紙灯篭を取り入れた 藤本真一・実行委員長  V企画(約3分半)
 今城アナ Vふり
つどい開催に尽力した 故・白木利周さん V企画(約4分45秒)
5時46分 黙祷
 今城アナ Vふり
歌を作った臼井真教諭 V企画(1分)
♪「しあわせ運べるように」 END

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MBS毎日放送は
午前5時40分から29分間
「阪神淡路大震災 伝えたい思い」を2元中継で伝えました。

野嶋紗己子アナ 東遊園地から現場リポ
 震災を経験していないと語る野嶋アナ
コロナ禍の紙灯篭のいきさつ V企画(約2分)
5時46分 黙祷
ビーナスブリッジから追悼トランペット演奏(松平晃さん)中継
CM
「しあわせ運べるように」企画(11分30秒)
 作詞作曲者の臼井教諭と教え子の藤原教諭 Vインサート
 藤原教諭に生インタビュー
CM
現場立ちリポ
来場者インタビュー Vつなぎ(3分半)
 婚約者を亡くした男性
 震災の年に生まれた女性
 友人を亡くした女性
 兄を亡くした女性
 姉を亡くした男性
 妹を亡くした男性
野嶋アナ 実感リポ END

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ABC朝日放送は
午前5時41分から10分間
「阪神淡路大震災追悼式 つなぐ、未来へ」を中継。

古川昌希アナ 現場立ちリポ
語り部ボランティアの藤原祐弥さん 生インタ
 ルミナリエでの語り部 インサート
5時46分 黙祷
来場者インタビュー Vつなぎ
 自宅が全焼、友人亡くした女性
 被災地入りした50代元警察官
 NPO法人で活動する大学生
語り部ボランティアの藤原さん 生インタ
古川アナ 実感リポ
淡路追悼の集い、ビーナスブリッジ V END

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KTV関西テレビは
午前5時30分から29分間
「この瞬間(とき)に祈る」を放送。

遺族の26年 映像フラッシュ(5分)
新実彰平アナ 東遊園地から現場リポ
中継の紹介
 長田区鷹取、芦屋市津知公園、岩手陸前高田、西宮震災記念碑公園
舘山聖奈アナ 西宮震災記念碑公園から中継リポ
新実アナ 東遊園地からリポ
大学生の娘・恵子さんを亡くした村田さん夫婦 V企画(5分半)
 武庫川女子大生だった恵子さん
5時46分 黙祷
新実アナ 東遊園地から現場リポ
CM
「1.17希望の灯」企画(5分半)
 東北とつないだ白木利周さん
 岩手陸前高田 藤原直美さん中継インタ
西宮震災記念碑公園 舘山アナとかけあい
 震災後に西宮で生まれた舘山アナ取材実感(約1分)
新実アナ 東遊園地から実感リポ END

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サンテレビは
午前5時30分から44分間、
「震災26年特別番組 あの日からそして未来へ」を
橋本航介アナと吉本美咲アナの二人で進行。

橋本アナと吉本アナ 東遊園地からの立ちリポ
藤本真一実行委員長に生インタビュー
紙灯篭導入の経緯など Vインサートはさみながら(約6分)
 灯篭作り V企画(約1分半)
希望の灯碑文紹介
慰霊と復興のモニュメント前 追悼の集い中継
5時46分黙祷
遺族代表の加賀翆さんの追悼の言葉 Vインサート
加賀翆さん生インタビュー 加賀さん V企画(約12分)
慰霊と復興のモニュメント
母親が行方不明・佐藤悦子さん 
生インタビュー 佐藤さんV企画(約8分)
夕方の特番の番宣 END

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阪神・淡路大震災から26年 神戸の東遊園地で考えたこと

2021-01-21 20:27:44 | メディア関連

阪神・淡路大震災から1月17日で26年になりました。

神戸市中央区の「東遊園地」では例年通り
神戸市や実行委員会が催す
「阪神淡路大震災1.17のつどい」が行われました。

犠牲者を追悼する灯ろうが「1.17」とかたどられ、
ことしは「がんばろう」という文字も加わりました。
ちなみに2019年は「つなぐ」、2020年は「きざむ」でした。

今回は竹灯ろうに加えて紙の灯ろうも加わりました。
新型コロナウイルスの影響でボランティアの活動が制限され、
竹とうろうの数がなかなかそろわなかったということです。
このため、全国から寄せられた追悼のメッセージを書いた紙で
灯篭ろうをつくつくって補うというアイデアになったそうです。

東遊園地を訪れた市民は、
地震が発生した午前5時46分に
手を合わせ、犠牲者に黙とうをささげました。

新型コロナウイルスの感染拡大で
直前の1月13日にふたたび
緊急事態宣言が出される中での開催でした。

公園内にある「慰霊と復興のモニュメント」は
半分地下になった空間なので
混雑しないように警備員が
入場を制限する場面もありました。

一般市民の数が少なかったので
その分、会場には報道陣の数が目立ちました。
私がリュック姿で取材していると
若い新聞記者さんから2回
「お話を聞かせてください」と声をかけられました。

「私も同業者です」と何度も断るのが申し訳ないので
ノートとボールペンを持って“らしい”スタイルにすると
声をかけられることはありませんでした。

これまでも、時間帯によっては
カメラマンや記者の方が多いのではと感じられるほどの、
ちょっとしたメディアスクラム状態に
なることがありました。
慰霊と追悼の場もどのようになっていくのか。
これから震災30年を前に
いろいろ考えさせられる場面でした。


「スマホで見る阪神淡路大震災~災害映像がつむぐ未来への教訓」を手にとって

2021-01-16 17:52:46 | メディア関連

阪神・淡路大震災に関心のある人の間で
いま話題になっている書籍、
「スマホで見る阪神淡路大震災~災害映像がつむぐ未来への教訓」
(西日本出版社刊)を入手しました。

どこが注目かと云うと、
▽朝日放送が震災映像を去年公開した。
▽それを解説書としてまとめた。
▽QRコードをつけてスマホで
 クリップ映像を見られるようにした。
という点です、

2020年1月、大阪のラジオ・テレビ兼営の
老舗放送局のABC朝日放送(今はホールディングス化)が、
ウェブサイト「激動の記録1995 取材映像アーカイブ」で
取材映像の一部の一般公開を始めました。
https://www.asahi.co.jp/hanshin_awaji-1995/

地震が発生した1995年1月17日から、
六甲ライナーが全面復旧した8月23日までの
約半年間に撮影された映像の「まとめ素材」の
約38時間分を取材日と取材場所に分割。
約2000のクリップに分けて、
Googleマップ上に公開しました。

放送局の映像は「社会の財産」やー!
というのがこの局のスピリットなのです。

 簡単に言いますけど、
 著作権どうすんの?
 加工して悪用されたらどうすんの?
 写っている人から文句来ないの?
 ちょっとだけやったらいいけど網羅的には…。
 などといろんな「大人の事情」を
 先回りして考えてしうまうと
 こうしたことに率先して
 手を上げないのが放送局(員)だったりするんですけど。 
 (あくまで個人的な感想です)
 それをやってしまうのがすごい。

これだけでも、
放送業界では注目だったんですが、
ネット公開に尽力し
さらに書籍にして社会に送り出すことに取り組んだのが
同社報道記者の木戸崇之さん。
震災直後の1995年4月に入社といいます。

震災取材に少しでも関わった者として、
こうした局や記者の活動には
本当に脱帽です。

みなさんも、ぜひ
書店で手にとって、ネットで注文して
読んでください。

 貴重な被災地の動画がたくさんあります。

 なかでも必見は、地震発生の瞬間の
 生放送のスタジオの同録映像。
 映像が途絶えてスタジオが騒然として、
 さらに音声のみの手探りで放送を続ける様子も
 すべて公開されています。
 この時間帯、当時のNHKは放送開始前です。
 おそらく、この日の
 我が国、テレビ生放送中の揺れの
 唯一の記録だと思われます。

なお、映像に写り込んでいる人や家族から
映像の公開をやめてほしいという声は
いまのところ1件もないということです。


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ちなみに、朝日放送は、毎日放送に次いで
大阪で2番目にラジオ放送を開始(1951年)。
放送開始45年になる『パネルクイズ アタック25』や
『ポツンと一軒家』、アニメ『プリキュアシリーズ』、
時代劇『必殺シリーズ』の制作局です。

しかも
テレビ開局当初(OTV大阪テレビ)は
富士山頂からテレビ中継(1958年)したり、
文字多重放送で新しい方式を開発したりと、
放送史でも進取の精神をもつ民放局なのです。
ネットのURLが「asahi.co.jp」というのを見てもわかりますね。
朝日新聞より先に、このドメインをおさえているんだから。

そして、この本を刊行した出版社にも敬服。
西日本出版社は、
旅の本が多いようにお見受けしますが
福祉や歴史などユニークなところにもスポットを当てて
本を出してる出版社です。


放送はその時どのように役に立つのだろうか 震災の日を前に

2021-01-15 12:49:33 | メディア関連

大学の授業で、
阪神・淡路大震災と東日本大震災の
発生直後の映像を学生たちと見た。

学生の一人は、
被災してパニックになっている人には、
テレビは見られないし
ラジオの情報も耳に入らないだろうという。

それが、一番のジレンマなんだよ。

激震に見舞われると
何かにつかまってうずくまるしかない。
津波に追われて走っている時、
ラジオのイヤホンを耳にする余裕は
ないかもしれない。

でも、きっとそのあとのサバイバルで、
放送の情報は役に立つだろう。
避難所で明日の行動を決めるときに
少しは役に立つだろう。

行方不明の身内を探すときは
ネットのマッチングのほうが役立つかもしれないし、
給水車の来る場所と時間は
SNSのほうが便利だろう。

では、放送は何の役に立つ?
S新聞の記者に質問されて
うまく答えられなかった。

孤立した集落へ、
あなたたちを見捨てていないという
呼びかなのかもしれない。
全国からの救援が
あなたの町に向かっているという情報
なのかもしれない。

朝はもうじきやってくるという励ましも、
余震の恐怖と共に闘おうというコメントも、
アンパンマンマーチのCDをかけることも大きな力になった。

次の大災害が
どんな姿でやってくるかは
誰にもわからないけれど
(きっと想像してることとは違う)
そのとき、マイクに向かう放送マンは
全力で被災の全貌を想像しながら、
メッセージを送ると信じている。


神戸風月堂の包装イラスト

2021-01-11 22:41:27 | 神戸関連

お年賀のお菓子をデパートで探していると、
神戸生まれの私にはおなじみの
神戸風月堂の小さなゴーフルに出会いました。
その紙バッグのイラストをみて、おもわず見入ってしまいました。
神戸市役所のイラストです。

奥は超高層の1号館。1989年(平成元年)に竣工しました。
でも手前に、やけに低い建物、2号館(旧館)があります。
1957年(昭和32年)に8階建ての
モダンな(当時としては)庁舎として建てられましたが、
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で層崩壊を起こし、
6階部分が崩れてしまったのです。
下の写真は、私が地震直後に撮影した神戸市庁舎2号館です。

水道局などが入っていた6階が潰れてしまいました。
重要な書類取り出せなくなったといいます。
その翌年の1996年には、上部を取り払って
5階建ての建物として、引き続き使用されてきました。
だから、なにかぺったんこの低い建物だったんです。

☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆

神戸風月堂の包装紙のイラストは
時代とともに改定されることで知られています。
神戸市庁舎2号館(旧館)も、
この震災後の低層バージョンに変わっていたんですね。
でも、去年、ちょっと淋しいニュースが…。
2020年3月で2号館(旧館)の運用をやめ
解体されるというのです。

【神戸新聞】
復興のシンボル、歴史に幕 神戸市役所2号館で「お別れ式典」
https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/202010/0013823863.shtml

跡地には庁舎機能だけでなく、
音楽ホールなどが入る複合施設を建設して、
2025年度以降に完成予定だといいます。
花時計、トーテムポールとともに
昭和の高度成長期に市のシンボルだった2号館。
とりわけ、震災で傷つきながらも
頑張り続けたビルの一つが消えるのは名残惜しいけど…。
新しい建物が建ったら、
風月堂の包装紙のイラストもリニューアルされるのかなぁ。

☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆-☆

神戸風月堂のサイトには、
神戸の街を代表する建物のイラストを包装紙に採用したのは、
昭和32年だと記されています。

【風月堂サイト】
http://www.kobe-fugetsudo.co.jp/story.html