夢眠(ムーミン)∞日々綴り

短歌で始めたブログも今では雑記。何故か削除できない時々ブログ。御朱印ブログもそうそう続かない。終活に向けて「捨てた」追加

父のメモ

2020年05月28日 | 父の思い

数年前に載せたメモが見当たらないかも。

まだしっかり字が書けていた時の小さなノート。

無精ひげが生きている証だったんだね。

また次回

 

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メモ帳 1-3と4

2016年05月15日 | 父の思い

どうなるか力の無さに

泣けてくる、

 

薬飲む願をこめて

薬飲む、

 

一二週つもりがいつしか

二十日たち、

 

病める身はぜいたく言ず

素直なり、

病という字が間違っている。
やまいダレの中に西が書いてあって、
自分でも間違っているのが分かるのでしょう
「や」とルビがふってある。

 

川柳を呆けないために

考える、

 

ふるえる手字はくねくねと

力なく、

 

爆弾を抱えて眠る

毎日が、

「爆」も「弾」も少し間違ってる。
「抱」も自信がないのは「かか」とルビがふってある。
己⇒巳になってるかな。

---・---・---・---・---・---・---・---

爆発が頭の中で

いつ起きる、

 

この部屋は私だけが

異邦人、

 

トイレまで歩ける人は

いいほうだ、

 

やがて来る老の嘆きわ

私にも、

 

階段を昇っておりて

リハビリー、

 

いつの日に階段おりて

帰れるか、

 

階段を降れば自由

有るのだが

 

 

今日は父の十三回忌の法要でした。
十七回忌はやらないと母は言ってます。
私も無言の賛成です。

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メモ帳1-2

2015年09月06日 | 父の思い

平成拾一年六月十四日入院

 

猛烈な脱力感で

 ダウンする

入院はなれてるつもり

 手おちなく

父の日を一人ぼっちの

 病床で

おしぼりの熱さほどよく

 体ふく

頭までおかしくなるか

 ふらつくぞ

このだるさどうにもならず

 寝とるだけ

だるいのに負けずにもっと

 元気出せ

 

1ページだけ載せました
この後書かれているページには日付がなにので
1ページずつ載せます。
最近母が父の夢を見る事が頻繁にあるのようなので
なんか載せないと、と思ったのです。
91歳になる母、
まだ迎えに来ないでよ。
こんな年老いた母にパラサイトしてる最低な娘です。

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メモ帳1-1

2015年06月27日 | 父の思い

父の残したメモを綴るスタートです。
横書きのメモ帳を縦書きに使っています。

 

平成七年九月胆つう(胆のう)の手術以来妻にはいろ〱(いろ)と心配を掛け通しで申し訳ないと思って居たがまた〱(また)訳の解らないま〃急に猛烈な脱力感におそわれどうにもならず急きょ東京の〇〇外科に入院して検査を受けて、検査の結果はタンパン(タンパク質?)の不足による栄養失調によるものでとりあえず点滴を受けながら様子を見ることになる。ところが元々脳病院で八人の大部屋だから患者の大半は脳梗塞や痴呆症の人でしめられ何かと今までにない珍しい体験をする事になった。
これを機会にめったに出来ない体験を通して学ぶ事思う事考えなければならない事の一端を川柳形式で書き留めて見たいと思いたち初めての事だから拙ない出来だとは承知のうえで書く事にする。

平成拾一年八月九日 退院

 

私のコメント
母方の従姉が元看護婦ということもあり、母は良く相談もしていたし頼りにしていたと思う。
それは本当に助かったことではあるのだけれど、今となれば私が近くに居たならもう少し力になれただろうにと後悔するのである。
実はこの病院で処方され長い間飲み続けていた薬は父にとって良くなかったと後で聞いた気がします。
この病院は父の仕事(自営)の元請けの紹介。
変に気を遣い断ることが出来なかった父の立場の弱さ、父の人の好さか駄目さか、まことに残念。

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父への・・・・

2015年05月16日 | 父の思い

11年前に父は亡くなりました。
私は泣くことはなかったです。本当に冷たい娘です。
亡くなってから母が見つけました、父が思いを綴ったメモ。
「お前も読んでみなさい」と、私が実家に戻って(8年が過ぎました)しばらく経ってから渡されたのですが、今日まで放置されていました。
と言うか、
いつかはこのブログに載せようと少し前から考えていましたが。

父は早くに両親を亡くし、祖父母に育てられ、貧乏だった。
私は父の生い立ちの詳しい事を知りません。
知ろうともしませんでした。

結婚しても、母の実家に助けられ、
父は肩身の狭い思いをしてきたようです。
それすら娘の私は気が付きませんでした。

私は「私がしてあげられることなんか何もないから後悔しない」と思っていたけど、
やっぱり「してあげられること」ってあったんだ、と亡くなった後に気が付きました。
父の愚痴を聞いてあげる、それが唯一娘の私がしてあげられることだったんだ。

ねぇ?
うちの生活レベルって「上・中・下」で言ったらどのレベルだと思う?
と、父に聞いたことがある。
私が十代後半の頃だったか・・・
父の答えは「下の上」
その理由は「子供の出来が悪いから」みたいな。
子供の出来で自分の人生が左右されるなんて、なんて情けない男、と思った私。

今は分かるよ、私がまさに子供の出来に恵まれず苦労させられてる。
おまけに私は離婚してるし。

 

さ・・・これから、気が向いた時に父の病気との戦いを載せていきます。
日付が無いのでいつ頃のものか分かりませんが、
小さなノート2冊は字がしっかりしているので入退院を繰り返している頃でしょう。
メモで残っている最後の方は・・・・もう線です。

親不孝を詫びるってわけでもありませんが、
たまにしか書かない、でもこのブログを無くしてしまう気にはなれないので、こんな使い方もいいかな、と。

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