宇多丸氏は銃器や特撮やアメコミに関しては高解像度を誇っているらしいが一般常識にはとんと疎いようだ。
昨年、やたらと
「Ghost of Tsushima」という
13世紀の日本を舞台に元寇をモチーフにしたゲームタイトルをあげ、賞賛していた。
昨年、やたらと
「Ghost of Tsushima」という
13世紀の日本を舞台に元寇をモチーフにしたゲームタイトルをあげ、賞賛していた。
「ちぐはぐな日本じゃなくてしっかり作りこまれていた」
「武士は歌を詠むものだって、あそこすごい」
「武士は歌を詠むものだって、あそこすごい」
「ステルスキルみたいに背後から忍び寄って殺すみたいなフツーにやってたのは(武士道では)卑怯なりって…」
「日本人って近くにあるからわからない」
「外から見ることによってあらためて日本のよさを知る」
だそうです(苦笑)
「武士道」というのは「江戸しぐさ」同様、20世紀の発明(捏造)であって
そんなものはそれまでの歴史の中では存在していなかった。
外国人の客観的な視点に教えを請いたいのなら、ずばり「Ghost of Tsushima」について痛烈に批判したワシントンポストの記事を一読すればよかった。西洋人学者の一方的な独断ではなく日本人識者への取材を中心とした、きわめてフェアな作りだ。
決して重箱のスミなどではないはずだ。
「外国人に日本のよさを教えられた」
などと浮かれるのなら、外からの批判も受け入れなければフェアじゃない。同記事は日本への批判ではなくインチキな考証のゲームへの批判だが。
★what you may not know about samurai.★
(以下にざっくり&意訳&たまに要約。疑わしいと思う方は原文を吟味してくれ。180度意味がかわってしまうようなことはないはずだが)
In 2019, to celebrate the ushering in of the Reiwa Era, the conservative Liberal Democratic Party commissioned Final Fantasy artist Yoshitaka Amano to depict Japanese Prime Minister Shinzo Abe as a samurai.
(2019年、令和時代の到来を祝うために、保守・自民党はファイナル・ファンタジー・アーティストの天野喜孝に日本の安倍晋三首相を武士として描かせた。)
While the game doesn’t have to remain true to the events that transpired in Tsushima, the symbol of the samurai propagates a nationalist message by presenting a glossed-over retelling of that same history.
(ゲームは対馬で実際に起こった出来事に忠実である必要はないが、侍のシンボルは、歴史を再解釈し誤魔化すことによってナショナリストのメッセージを広めまてしまう。)
(以下にざっくり&意訳&たまに要約。疑わしいと思う方は原文を吟味してくれ。180度意味がかわってしまうようなことはないはずだが)
The 13th century Japan depicted in “Ghost of Tsushima” never existed, though you’d be excused for thinking it at least reflects a real place.
(ゴーストオブツシマに描かれている13世紀の日本は、実際の地名を使っているかもしらんが実際には存在しない世界だ)
Even the rough outline of the time period seems to match with a vague awareness that, yes, the Mongol Empire under Kublai Khan did attempt to invade Japan around that time.
Dig deeper, though, and not much else holds up.
(フビライ・ハーン下のモンゴルが日本にせめてきたというざっくりとした史実以外はウソだらけ)
Dig deeper, though, and not much else holds up.
(フビライ・ハーン下のモンゴルが日本にせめてきたというざっくりとした史実以外はウソだらけ)
Well, so what? Most players will understandably shrug at these historical distortions. The game isn’t meant to provide a history lesson; it’s a fantasy version of 13th century Japan meant to provide a fun experience rather than an education. But for those wondering how the samurai really lived, it’s worth surfacing some of the historical details misrepresented by the game, particularly in regard to why some scholars and critics find it uncomfortable to celebrate samurai as uncritically as “Tsushima” does.
(でも、それがどうしたっていうのさ?史実がどうかなんてカンケーねーよ…と殆どのゲームプレイヤーは言うだろう。だってゲームは歴史の教科書ぢゃないんだから。面白いかどうかが重要なんだから。でもね、それでもなお一部の学者が懸念をしめす無批判なサムライ賛美に関して、どこらへんが問題なのか掘る価値はあるんじゃないか)
(でも、それがどうしたっていうのさ?史実がどうかなんてカンケーねーよ…と殆どのゲームプレイヤーは言うだろう。だってゲームは歴史の教科書ぢゃないんだから。面白いかどうかが重要なんだから。でもね、それでもなお一部の学者が懸念をしめす無批判なサムライ賛美に関して、どこらへんが問題なのか掘る価値はあるんじゃないか)
Whether it means to or not, anyone coming to a piece of historical fiction like “Tsushima” without knowing the difference between what’s fact and fantasy may leave with some impression that it depicts real historical events.
(それでなにか現実に支障がでるかどうかは別として、この「ツシマ」を見て実際の歴史と思いこんでしまう人も多いだろう)
(それでなにか現実に支障がでるかどうかは別として、この「ツシマ」を見て実際の歴史と思いこんでしまう人も多いだろう)
And in the case of Japan ? a country whose recent past has seen the history of the samurai and Mongol invasions warped to serve horrific purposes ? it’s particularly clear how fraught even the most fantastic depiction of the “Tsushima” time period can be.
(かつての日本において恐ろしい目的のために侍や元寇の歴史歪められてたことを知ればゲームで素晴らしいとされる描かれ方が実はいかにひどいことかわかるはず。)
(かつての日本において恐ろしい目的のために侍や元寇の歴史歪められてたことを知ればゲームで素晴らしいとされる描かれ方が実はいかにひどいことかわかるはず。)
Kurosawa’s “Seven Samurai” and “Sanjuro” served as “reference guides” to the team.
The similarities between Kurosawa’s films and “Ghost of Tsushima” are skin deep at best, though. In the films cited ?
(ゲーム制作にあたり「七人の侍」や「椿三十郎」をクリエイターたちのお手本にしたというけど、参考にしたのはうわべだけで、映画の魂までは倣ってない。黒沢映画は無批判な侍賛美ではないのだ)
The similarities between Kurosawa’s films and “Ghost of Tsushima” are skin deep at best, though. In the films cited ?
(ゲーム制作にあたり「七人の侍」や「椿三十郎」をクリエイターたちのお手本にしたというけど、参考にしたのはうわべだけで、映画の魂までは倣ってない。黒沢映画は無批判な侍賛美ではないのだ)
Jin’s biggest worry is whether it’s dishonorable not to fight his enemies head-on and whether he’s betraying a fabricated warrior’s code. In essence, “Tsushima” is copying what Kurosawa films looked like, without understanding what they were saying.
(主人公の仁の心配事はといえば専らでっちあげられた「武士道」のルールに反した戦いをすることで不名誉な思いをするということ。「ツシマ」はクロサワ映画のコンセプトは無視して見てくれをコピーしただけ)
(主人公の仁の心配事はといえば専らでっちあげられた「武士道」のルールに反した戦いをすることで不名誉な思いをするということ。「ツシマ」はクロサワ映画のコンセプトは無視して見てくれをコピーしただけ)
さすがワシントンポストの記事は武士道なんて伝統でもなんでもないとご存じのよう。
Instead of a cohesive artistic vision akin to Kurosawa’s, “Tsushima’s” historical liberties terrace up to something entirely different. Some of its mistakes, like Jin writing haiku centuries before the form’s invention, are minor.
(黒沢映画の凝縮された芸術性のかわり「ツシマ」の歴史的自由度は全く違うほうに向かうが、俳句のフォーマットが発明されるのはまだ何世紀もあとのこと…なんてのはまだ些末なこと)
(黒沢映画の凝縮された芸術性のかわり「ツシマ」の歴史的自由度は全く違うほうに向かうが、俳句のフォーマットが発明されるのはまだ何世紀もあとのこと…なんてのはまだ些末なこと)
そう、宇多丸氏が絶賛した「歌詠み」は本国版ではどうやらHaikuになっていたらしい。俳句は当然、存在しないが古事記の成立年を考えたら、武士がみな歌を嗜んでたかどうかも怪しいところだが、これとて軽微なミステイクの範疇か。
Others compound to create an image of the samurai that was used as a form of propaganda during a horrific era in Japanese history, a dynamic that sits awkwardly with those familiar with how the warrior class was appropriated and reshaped into a legend by those cheering Japanese imperialism.
(だが、他の捏造は日本が恐怖の時代に偽造された武士道を利用して帝国主義のプロパガンダを行ったことにも通じる)
(だが、他の捏造は日本が恐怖の時代に偽造された武士道を利用して帝国主義のプロパガンダを行ったことにも通じる)
Dr. Michael Wert, an Associate Professor of East Asian History at Marquette University, writes in “Samurai: A Concise History” of the complex and decidedly mundane origins of the warriors (or bushi) we refer to as samurai. Far from “Ghost of Tsushima’s” image of a character defined by loyalty to their country and a strict code of ethics, Wert explained in an email to The Post that “the idea that bushi were mighty, deadly warriors is really a 20th century invention.”
(マーケット大学の東アジア史の准教授であるマイケル・ワート博士によれば「ツシマ」に描かれた武士のイメージは現実とはほど遠く、ゲームで描かれたような忠誠心や厳格な倫理でしばられた強力で強い武士のイメージは20世紀の発明品ということだ。)
(マーケット大学の東アジア史の准教授であるマイケル・ワート博士によれば「ツシマ」に描かれた武士のイメージは現実とはほど遠く、ゲームで描かれたような忠誠心や厳格な倫理でしばられた強力で強い武士のイメージは20世紀の発明品ということだ。)
Instead of the image “Tsushima” paints of upstanding figures willing to give their lives in pursuit of nothing more tangible than loyalty and pride, Wert explains that “warriors in the Kamakura period were interested in promoting their self-interests [and] gaining land if they were high-ranking enough. Many of the warriors used the Mongol invasions as [a] way to tell the Kamakura regime, ‘Look, I fought, so I want rewards.’” In his book, Wert describes how “throughout Japanese history, people often despised warriors,” especially “peasants, who feared warriors because peasants suffered the most from their looting, pillaging, and collateral damage.”
(実際の鎌倉時代の武士は誇りや忠義心などより現実的なものを求めた。モンゴルの侵略はむしろ武士が報酬を要求することに利用された。さらにいえば武士は尊敬どころかしばしば軽蔑もされた。特に略奪や巻き添え死の憂き目にあっていた農民にとっては恐怖の存在だった)
(実際の鎌倉時代の武士は誇りや忠義心などより現実的なものを求めた。モンゴルの侵略はむしろ武士が報酬を要求することに利用された。さらにいえば武士は尊敬どころかしばしば軽蔑もされた。特に略奪や巻き添え死の憂き目にあっていた農民にとっては恐怖の存在だった)
“There was never any agreed upon, codified ‘bushido’ in Japanese history,”
(日本の歴史において合意され成文化された「武士道」というものは一度も存在しなかった)
(日本の歴史において合意され成文化された「武士道」というものは一度も存在しなかった)
ワシントンポストの記事ではにポリゴンというオタクコンテンツを扱うサイトのカズマ・ハシモトというライターの記事についても引用している。
Two samurai fight in black and white in Ghost of Tsushima
★https://www.polygon.com/2020/7/23/21333631/ghost-of-tsushima-kurosawa-films-samurai-japan-abe-politics★
★https://www.polygon.com/2020/7/23/21333631/ghost-of-tsushima-kurosawa-films-samurai-japan-abe-politics★
In his story for Polygon, Hashimoto describes how “the “modern” bushido code ? or rather, the interpretation of the Bushido code coined in the 1900s by Inaz? Nitobe ? was utilized in, and thus deeply ingrained into, Japanese military culture.” And this is why the depiction of “Tsushima’s” samurai can be unsettling for some
(カズマ・ハシモトのポリゴンにおける記事では1900年代に新渡戸稲造によって発明された「武士道」が日本の軍事文化にどのように利用されたかについて書いている。そしてこれがツシマで描かれた武士のイメージに対して一部の人たちがザワザワしていまう所以のひとつなのだ)
(カズマ・ハシモトのポリゴンにおける記事では1900年代に新渡戸稲造によって発明された「武士道」が日本の軍事文化にどのように利用されたかについて書いている。そしてこれがツシマで描かれた武士のイメージに対して一部の人たちがザワザワしていまう所以のひとつなのだ)
In 2019, to celebrate the ushering in of the Reiwa Era, the conservative Liberal Democratic Party commissioned Final Fantasy artist Yoshitaka Amano to depict Japanese Prime Minister Shinzo Abe as a samurai.
(2019年、令和時代の到来を祝うために、保守・自民党はファイナル・ファンタジー・アーティストの天野喜孝に日本の安倍晋三首相を武士として描かせた。)
Though described as being center-right, various members of the LDP have engaged in or have been in full support of historical revisionism, including the editing of textbooks to either soften or completely omit the language surrounding war crimes committed by Imperial Japan.
(彼らは中道右派と言われているが、大日本帝国の戦争犯罪に関する言葉を和らげたり、あるいは完全に消したりする教科書の編集など、歴史修正に携わり、また全面的に支持してきた。)
(彼らは中道右派と言われているが、大日本帝国の戦争犯罪に関する言葉を和らげたり、あるいは完全に消したりする教科書の編集など、歴史修正に携わり、また全面的に支持してきた。)
Abe himself has been linked to supporting xenophobic curriculums, with his wife donating $9,000 to set up an ultranationalist school that pushed anti-Korean and anti-Chinese rhetoric.
(安倍自身は外国人排斥のカリキュラムを支援することに関係しており、妻は嫌韓と反中国のレトリックを推進するウルトラナショナリスト学校を設立するために9,000ドルを寄付した。)
(安倍自身は外国人排斥のカリキュラムを支援することに関係しており、妻は嫌韓と反中国のレトリックを推進するウルトラナショナリスト学校を設立するために9,000ドルを寄付した。)
The prime minister is also a member of Japan’s ultraconservative Nippon Kaigi, which a U.S. congressional report on Japan-U.S. relations cited as one of several organizations that believe that “Japan should be applauded for liberating much of East Asia from Western colonial powers, that the 1946-1948 Tokyo War Crimes tribunals were illegitimate, and that the killings by Imperial Japanese troops during the 1937 ‘Nanjing massacre’ were exaggerated or fabricated.” The Nippon Kaigi, like Abe, have also pushed for the revision of Japan’s constitution ? specifically, Article 9 ? to allow Japan to reinstate its standing military.
(首相は日本の超保守派「日本会議」のメンバーでもある。日本会議について米議会報告書は、1946年から1948年の東京裁判判決は不当で、日本は西洋の植民地大国から東アジアの多くを解放するために称賛されるべきであると信じているいくつかの組織の一つとして挙げられ、彼らはまた、1937年の大日本帝国軍による「南京大虐殺」は誇張されたか、捏造されたともいっている。日本会議も安倍首相と同様に、日本国憲法の改正、具体的には第9条を推進し、日本が現在の軍隊を復活させようとしているといっている。)
(首相は日本の超保守派「日本会議」のメンバーでもある。日本会議について米議会報告書は、1946年から1948年の東京裁判判決は不当で、日本は西洋の植民地大国から東アジアの多くを解放するために称賛されるべきであると信じているいくつかの組織の一つとして挙げられ、彼らはまた、1937年の大日本帝国軍による「南京大虐殺」は誇張されたか、捏造されたともいっている。日本会議も安倍首相と同様に、日本国憲法の改正、具体的には第9条を推進し、日本が現在の軍隊を復活させようとしているといっている。)
I do not believe Ghost of Tsushima was designed to empower a nationalist fantasy.
(もちろんGhost of Tsushimaがナショナリストのファンタジーに力を与えるために設計されたとは思わないが…
(もちろんGhost of Tsushimaがナショナリストのファンタジーに力を与えるために設計されたとは思わないが…
. The gameplay is slick and the hero moments are grand, but the game lacks the nuance and understanding of what it ultimately tries to reference.
(ゲームプレイは洗練されており、ヒーロー体験は壮大だが、ゲームを深堀りしようとする者への配慮と理解を欠いている。)
(ゲームプレイは洗練されており、ヒーロー体験は壮大だが、ゲームを深堀りしようとする者への配慮と理解を欠いている。)
While the game doesn’t have to remain true to the events that transpired in Tsushima, the symbol of the samurai propagates a nationalist message by presenting a glossed-over retelling of that same history.
(ゲームは対馬で実際に起こった出来事に忠実である必要はないが、侍のシンボルは、歴史を再解釈し誤魔化すことによってナショナリストのメッセージを広めまてしまう。)
ことわっておくが、ここはアニメやゲームなどオタクよりなコンテンツやポップカルチャーについての情報を扱うサイトだ。
日本ではオタクは右翼と親和性が高いなどといわれたりするが、それとは正反対だ。そういえば宇多丸氏もかなりの銃器オタクだ。別に法律に触れるわけではないが、そーいう方々はどういうつもりでマニアになるんだろうと最近ふと思う。
たしか榊原郁恵さんだったと思うが旦那(記憶が正しければ渡辺徹氏ということになろう)が、日本刀を集めたいと言ったときに「恐ろしいからやめてくれ」と止めたそう。それまではあまり刀というものを気にもかけなかったが、刀にそういったオーラを感じるのはむしろ正常なのではないかと思った。実は私も子供のころ部屋にSR71というステルス偵察機のポスターを貼っていたことがあった。多分、漂白され、美化されたものを享受した結果なんだと思う。宇多丸氏は以前、昨今は「空爆」という言葉が漂白されてしまっていてよくない流れだと言っておられたが、自分の軍事趣味についてはどう説明するのか聞いてみたいものだ。女子アナにモデルガンをプレゼントするなどというのは、なかなかぶっとんだ感覚だ…と思う私は逆に過敏すぎるのか????
ただひとついえるのは、むかし、渋谷の大盛堂書店の地下にはナチスドイツの軍服をきたマネキンがディスプレイされていたことがあったが今だったら完全にアウトだろうということ。日本はそこらへんに逆に鈍感すぎる気がする。たとえば世界遺産でお馴染みのコルビジエはファシストだったという事実。「作品に罪はない」というかもしれないが、中身のない定型句でかたずける日本人の多いことよ。「作品に罪はない」は時と場合によりけりだ。都市計画と密接に関係のある建築家にとってファシスト思想というのは仕事そのものにも影響が大きい。というか、彼はズバリ、パリの街並みを作り変えるという自身の世界観を実現するために個人の権利など退けるファシストを支持したのだ。そこらへんの議論がサッパリ聞こえてこないのは、「世界遺産=ニッポンスゴイ」という流れだからだろう。
たしか榊原郁恵さんだったと思うが旦那(記憶が正しければ渡辺徹氏ということになろう)が、日本刀を集めたいと言ったときに「恐ろしいからやめてくれ」と止めたそう。それまではあまり刀というものを気にもかけなかったが、刀にそういったオーラを感じるのはむしろ正常なのではないかと思った。実は私も子供のころ部屋にSR71というステルス偵察機のポスターを貼っていたことがあった。多分、漂白され、美化されたものを享受した結果なんだと思う。宇多丸氏は以前、昨今は「空爆」という言葉が漂白されてしまっていてよくない流れだと言っておられたが、自分の軍事趣味についてはどう説明するのか聞いてみたいものだ。女子アナにモデルガンをプレゼントするなどというのは、なかなかぶっとんだ感覚だ…と思う私は逆に過敏すぎるのか????
ただひとついえるのは、むかし、渋谷の大盛堂書店の地下にはナチスドイツの軍服をきたマネキンがディスプレイされていたことがあったが今だったら完全にアウトだろうということ。日本はそこらへんに逆に鈍感すぎる気がする。たとえば世界遺産でお馴染みのコルビジエはファシストだったという事実。「作品に罪はない」というかもしれないが、中身のない定型句でかたずける日本人の多いことよ。「作品に罪はない」は時と場合によりけりだ。都市計画と密接に関係のある建築家にとってファシスト思想というのは仕事そのものにも影響が大きい。というか、彼はズバリ、パリの街並みを作り変えるという自身の世界観を実現するために個人の権利など退けるファシストを支持したのだ。そこらへんの議論がサッパリ聞こえてこないのは、「世界遺産=ニッポンスゴイ」という流れだからだろう。
さて、ここ最後にまたワシントンポストの記事に戻ろう
None of this is to say people should not play and enjoy “The Ghost of Tsushima,” but at a time when scholars are noting the rise of an ultranationalist party in Japan that seeks to revise the country’s constitution and an effort to challenge or invalidate accounts of war crimes by the Japanese military during the 1930s and 40s, it is worth further exploring the archetypal origins of the samurai depicted in the game. That history, what really happened, can provide a much clearer lens when engaging in the ongoing, ever-evolving work of defining our modern world.
(別に人々が「ゴーストオブツシマ」をプレイしてはいけないと言っているのではない。ただ日本の超国家主義党が台頭し1930~40年代の日本軍による戦争犯罪を無効化し、学者たちが憲法改正しようとするいま、ゲームに描かれているような典型的な「武士」の起源をさらに探求する価値はあるといえよう。歴史の真実を明らかにすることは、私たちの生きる現代社会が日々、再定義され続ける状況下で、よりクリアーな視界を提供することになるのだから。)
(別に人々が「ゴーストオブツシマ」をプレイしてはいけないと言っているのではない。ただ日本の超国家主義党が台頭し1930~40年代の日本軍による戦争犯罪を無効化し、学者たちが憲法改正しようとするいま、ゲームに描かれているような典型的な「武士」の起源をさらに探求する価値はあるといえよう。歴史の真実を明らかにすることは、私たちの生きる現代社会が日々、再定義され続ける状況下で、よりクリアーな視界を提供することになるのだから。)
以上。
歴史修正主義といえば、今年の2月1日
卓球をテーマにした特集で
卓球をテーマにした特集で
『卓球暗い説の戦犯といいましょうか』
『タモさんが悪い…っていうか80年代が悪い!』
『そういうことですね』
『タモさんが悪い…っていうか80年代が悪い!』
『そういうことですね』
と一瞬にして、「お仲間」のタモリ氏を無罪放免に
『地方差別とかネアカネクラとか
ある種そういうのが面白いとされてた時代ですよね』
ある種そういうのが面白いとされてた時代ですよね』
↑でも、これってむしろタモリの罪状を固めてる。
卓球部、ダサイタマ、名古屋、ネクラ、さだまさし、オフコース、ミュージカル等々
これらをバカにする時代の雰囲気を醸成し牽引した張本人こそが
タモリ氏だからだ。
卓球部、ダサイタマ、名古屋、ネクラ、さだまさし、オフコース、ミュージカル等々
これらをバカにする時代の雰囲気を醸成し牽引した張本人こそが
タモリ氏だからだ。
あのそのまんま東こと東国原英夫氏も
「卓球はタモリさんのおかげで発展した」
などとうそ証言で積極的に歴史修正に参加していた。
さすが保守派の政治家だ。
「卓球はタモリさんのおかげで発展した」
などとうそ証言で積極的に歴史修正に参加していた。
さすが保守派の政治家だ。
真実はいかに?
ことの顛末については国際卓球連盟会長、日本卓球協会副会長を歴任し、世界ランキング1位にもなった荻村伊智朗氏が書き残している。(文藝春秋1992年11月号)
ことの顛末については国際卓球連盟会長、日本卓球協会副会長を歴任し、世界ランキング1位にもなった荻村伊智朗氏が書き残している。(文藝春秋1992年11月号)
卓球は数十年にわたって、千三百万人から千四百万人の参加型人口を維持し、野球とともに一位の座を保っていた。ところが七、八年前から、「卓球はネクラスポーツ」というタモリの一方的なキャンペーンが始まった。名古屋を"ニャゴヤ"とこけにした数年間のあとの生け贄に卓球が選ばれたらしい。我々は困惑したが、「タレントの馬鹿馬鹿しい空騒ぎ」と無視しようとした。
ところが、世間、特に若い世代が乗った。高校や中学の卓球部から女子部員が減ってしまったのである。減り方は、数万人の単位で、組織から、悲鳴があがったほどだ。腹は立ったが、反省してみることにした。世間が乗るということには、なにか道理があるものだから。
ところが、世間、特に若い世代が乗った。高校や中学の卓球部から女子部員が減ってしまったのである。減り方は、数万人の単位で、組織から、悲鳴があがったほどだ。腹は立ったが、反省してみることにした。世間が乗るということには、なにか道理があるものだから。
中略
競技団体では初めて、数年おいて二度、一千万円以上を投じて意識調査をおこない、結論として、キーコンセプトを決めた。リッチで、ライトで、ファッショナブル。この方向へ、すべての施策を整合させようと決議した。
それでも、冬の時代は四、五年続いた。卓球は滅びるスポーツNo.1などと書かれた頃だ。
それでも、冬の時代は四、五年続いた。卓球は滅びるスポーツNo.1などと書かれた頃だ。
以上、
最近、タモリが卓球連盟に一千万円寄付したとか美談に仕上げていたが、調査だけで一千万円以上かかっているのだから屁みたいなものだ。
タモリの「いいとも」のギャラは1本数百万円で、終了までに100億円以上稼いだといわれているからなおさらなめた姿勢に見える。
ちなみにデフレが進んでいる世を生きていると、モノの値段だけでは貨幣価値を錯覚してしまいがちなので大卒初任給を参考にされたい。
タモリの「いいとも」のギャラは1本数百万円で、終了までに100億円以上稼いだといわれているからなおさらなめた姿勢に見える。
ちなみにデフレが進んでいる世を生きていると、モノの値段だけでは貨幣価値を錯覚してしまいがちなので大卒初任給を参考にされたい。
1980年 114,500円
1985年 140,000円
2020年 212,000円
1985年 140,000円
2020年 212,000円
もっといえば卓球部員が数万人単位で減ったということは、その負の経済効果たるや凄まじい額になるのではないだろうか?常識的に考えて、つぶれた会社や用品店もあろう。
ウィキペディアを見ると日本の卓球のレベルは世代交代に失敗して下がったということになっているが、競技人口の激減とレベルの維持には相関がないわけがない。
そう、お気づきと思うが日本の卓球のレベルは近年、急上昇したのではなく、もともと世界トップクラスだったのが一度、急落して昨今、やっと持ち直してきたというのが正しい「歴史」なのだ。
ついでにいえばタモリ氏がコケにした他のものにもなかなかの「負の経済効果」があったのではないだろうか?
ウィキペディアを見ると日本の卓球のレベルは世代交代に失敗して下がったということになっているが、競技人口の激減とレベルの維持には相関がないわけがない。
そう、お気づきと思うが日本の卓球のレベルは近年、急上昇したのではなく、もともと世界トップクラスだったのが一度、急落して昨今、やっと持ち直してきたというのが正しい「歴史」なのだ。
ついでにいえばタモリ氏がコケにした他のものにもなかなかの「負の経済効果」があったのではないだろうか?
三浦瑠璃氏が松本人志氏に
「松本さんがアメリカで生まれていたらバリバリの共和党支持者になると思う」といっていたが
宇多丸氏もそんなものかもしれない。
宇多丸氏は昨年の3月18日の香川県議会で可決した、「ネット・ゲーム依存症対策条例」についてもかましていた。
なんと「人権侵害」だと騒ぎ立てていた。
人権問題?
なんと「人権侵害」だと騒ぎ立てていた。
人権問題?
これが?
「罰則がないとはいってもさ…」
「罰則がないとはいってもさ…」
と秒速でつけたしていたが…、法律というのは、その運用を含めて「法律」なのだから「罰則なしオプション」を議論からはずしちゃダメでしょ。
罰金をとられるわけでもなく、前科がつくわけでもない法律のどこが「人権侵害」なのだろうか?
罰金をとられるわけでもなく、前科がつくわけでもない法律のどこが「人権侵害」なのだろうか?
それにしても議論の内容を見ても法案反対派のほうにに圧倒的な理があるようにも見えない
●自称・科学者でライターの井出草平氏の主張
ゲーム依存症は存在する
だが
依存症と利用時間は関係ない
ゲーム依存症は存在する
だが
依存症と利用時間は関係ない
●トンデモと揶揄される大山一郎議員の主張
ゲームと覚せい剤は同じである
ゲームは学習障害の原因
ゲームと覚せい剤は同じである
ゲームは学習障害の原因
とりあえず井出草平氏の主張をもってゲームが即無罪になるようには見えない。
これっぽっちの証拠でなぜ宇多丸宇内は全力でつっこめるのか
その勇気がむしろすごい。
これっぽっちの証拠でなぜ宇多丸宇内は全力でつっこめるのか
その勇気がむしろすごい。
トンデモ議員の主張は「おいおい」とツッコミはいれたくなるが
「大爆笑案件」というほどトンデモでもない。
たとえば「依存性」についての喩えであれば言い方によっては間違いではない。
また依存症が学習障害の原因になるという証拠はないが、そこで話を終わらせるのは逆にキケンだ。
なぜなら発達障害のほうは依存症の原因になる し、発達障害と依存症が重複しやすいことはもはや常識だからだ。
宇内宇多丸両氏は
「この議員は勉強してない」
を連発されていたが、勉強してないのはアナタがたのほうでは?
「大爆笑案件」というほどトンデモでもない。
たとえば「依存性」についての喩えであれば言い方によっては間違いではない。
また依存症が学習障害の原因になるという証拠はないが、そこで話を終わらせるのは逆にキケンだ。
なぜなら発達障害のほうは依存症の原因になる し、発達障害と依存症が重複しやすいことはもはや常識だからだ。
宇内宇多丸両氏は
「この議員は勉強してない」
を連発されていたが、勉強してないのはアナタがたのほうでは?
そもそもの問題としてなんでゲームが俎上にあがるのかといえば
長年、解決されずにいる問題をかかえてきたからだ。
むしろスマホの登場で悪化・顕在化したともいえる。
罰則なしの実質なんの拘束力もない法案はむしろ「苦肉の問題提起」 といえないだろうか?
長年、解決されずにいる問題をかかえてきたからだ。
むしろスマホの登場で悪化・顕在化したともいえる。
罰則なしの実質なんの拘束力もない法案はむしろ「苦肉の問題提起」 といえないだろうか?
よく
サブカルでリベラルもどきな方々は
「それはそれとして」
とか
「それとこれとは別モンダイ」
とった魔法のコトバではなしを終わらせたがるが、
彼らがそのあとでサイドによけられた課題たちを責任をもって拾ってくれればいいのだが、そんなためしはほぼない。
「それは個々の家庭の問題」
という丸投げワードもよく耳にするがこれが一番卑怯。
「それはそれとして」
とか
「それとこれとは別モンダイ」
とった魔法のコトバではなしを終わらせたがるが、
彼らがそのあとでサイドによけられた課題たちを責任をもって拾ってくれればいいのだが、そんなためしはほぼない。
「それは個々の家庭の問題」
という丸投げワードもよく耳にするがこれが一番卑怯。
それに
このトンデモ議員が意図的にウソを言ってるとしたら
それに一体どんなメリットがあるっていうんだい?
利権でいうならむしろゲーム業界は敵にまわさないほうが得策。
任天堂の「脳トレ」がいい例だ。
それに一体どんなメリットがあるっていうんだい?
利権でいうならむしろゲーム業界は敵にまわさないほうが得策。
任天堂の「脳トレ」がいい例だ。
「脳トレ」がボケ防止にならないことは欧米では20年も前の研究で明らかにされているが
その研究結果は
その研究結果は
「健康ウンチク大好き」、
「常識のウソ」大好きな日本のテレビにはなぜか「輸入」されない。
ひとえに任天堂のスポンサー力だろう。
ひとえに任天堂のスポンサー力だろう。
任天堂もまた「歴史修正クン」だ。
かつてインベーダーゲームが大ブームのころ
スペースフィーバーなどというあからさまなコピー商品を出していた。
それについて
「ソフトウエアなんてパクリパクられ発展するもの」
と開き直っていたが、のちにドンキーコングが全米でヒットするや
FBIまで動員してコピー商品の摘発にのりだした。
NHKの「電脳立国」というシリーズでやってたのでアーカイブを見られる会員の人は是非確認してみてほしい。
多分、任天堂批判をした最初で最後の番組だろう。
いまや任天堂とマリオは日本の誇りなのだから。
かつてインベーダーゲームが大ブームのころ
スペースフィーバーなどというあからさまなコピー商品を出していた。
それについて
「ソフトウエアなんてパクリパクられ発展するもの」
と開き直っていたが、のちにドンキーコングが全米でヒットするや
FBIまで動員してコピー商品の摘発にのりだした。
NHKの「電脳立国」というシリーズでやってたのでアーカイブを見られる会員の人は是非確認してみてほしい。
多分、任天堂批判をした最初で最後の番組だろう。
いまや任天堂とマリオは日本の誇りなのだから。
昨年の2月5日にフジテレビの「バイキング」でこの条例案への賛否について13~65歳の男女50人にアンケートを実施したところ、4人が賛成、46人が反対という結果だったが、特筆すべきは賛成した4人は全員法案の規制対象である18歳未満だったということだ。
知人で「国が禁止してくれたらタバコやめられるのに」と真顔で言うやつがいたが、インタビューに応えた13歳の子の意見はそれに近かった。それがリアルな「現場の肌感覚」ではないだろうか?
知人で「国が禁止してくれたらタバコやめられるのに」と真顔で言うやつがいたが、インタビューに応えた13歳の子の意見はそれに近かった。それがリアルな「現場の肌感覚」ではないだろうか?
この集計は反対派の圧勝だしサンプル数的に統計的有意性もないが、ここから4人全員が18歳未満だったという違和感を感じとることが重要なのだと思う。こりゃもうすこし深堀りしてみる余地はあるんぢゃない?ってね。
ここで押さえておきたいのは
「依存症」 というワード
鬱もそうだけど、この国は心の病に関する理解が著しく低い。
カジノ法案の話題でギャンブル依存症問題にふれて
「めんどう見切れんわ」で片付けた松本人志氏
クレプトマニア(窃盗症)をとりあげた番組では
さんざん専門家の説明映像を流したあとに
「再犯なんて甘えです」と片付けた安藤和津氏。
たった今見てたビデオを忘れてしまうなんて
和津さんこそ学習障害があるのでは?
と思ってしまった。
「依存症」 というワード
鬱もそうだけど、この国は心の病に関する理解が著しく低い。
カジノ法案の話題でギャンブル依存症問題にふれて
「めんどう見切れんわ」で片付けた松本人志氏
クレプトマニア(窃盗症)をとりあげた番組では
さんざん専門家の説明映像を流したあとに
「再犯なんて甘えです」と片付けた安藤和津氏。
たった今見てたビデオを忘れてしまうなんて
和津さんこそ学習障害があるのでは?
と思ってしまった。
アフター6ジャンクションには昨年の8月18日(火)に作家の川端裕人氏が出演し、重要なヒントを授けていった。
「色のふしぎ」と不思議な社会をまだ執筆中だった彼は
障害というのは連続的で、(題材になった)色覚異常を例にすると
現代の測定技術だとなんと二人に一人が色覚異常なのだとか。
発達障害のほうも昨今「隠れアスペルガー」などという言葉があるくらいで
きっと「隠れ隠れアスペルガー」や「隠れ隠れ隠れれアスペルガー」と
グラデーションのように分布しているのだろう。
「色のふしぎ」と不思議な社会をまだ執筆中だった彼は
障害というのは連続的で、(題材になった)色覚異常を例にすると
現代の測定技術だとなんと二人に一人が色覚異常なのだとか。
発達障害のほうも昨今「隠れアスペルガー」などという言葉があるくらいで
きっと「隠れ隠れアスペルガー」や「隠れ隠れ隠れれアスペルガー」と
グラデーションのように分布しているのだろう。
実際、この私も恐らくは隠れアスペルガーで
あきらかに依存体質なのだと思うのだが
テレビでやっていた依存症チェックをやったら依存症体質ではないと出た。
ギャンブルに関していえば十分にヤバい総計負け金額を提示できるが
ということは世間には病院に行ってもまだまだ正常の範囲内と診断されてしまう破滅予備軍がうようよしているかもしれないということ。
ならば若年層に関して、飲酒と同じように慎重に深く扱うことのどこが人権侵害なのだろう?
あきらかに依存体質なのだと思うのだが
テレビでやっていた依存症チェックをやったら依存症体質ではないと出た。
ギャンブルに関していえば十分にヤバい総計負け金額を提示できるが
ということは世間には病院に行ってもまだまだ正常の範囲内と診断されてしまう破滅予備軍がうようよしているかもしれないということ。
ならば若年層に関して、飲酒と同じように慎重に深く扱うことのどこが人権侵害なのだろう?
ところで宇多丸氏は、「空爆」というワードが昨今、漂白されていると批判したが
「漂白くん」もあなたの方だぜ
「漂白くん」もあなたの方だぜ
と思った。
ベトナム戦争以降、もっとも多く空爆をしたといわれるバラク・オバマを
ポップなノリで「パイセン」などと持ち上げ特集する姿勢がまさに「漂白」ではないの?
ここでも
「それはそれとして」
とか
「それとこれとは別モンダイ」
という魔法のコトバを繰り出すのだろうか?
ベトナム戦争以降、もっとも多く空爆をしたといわれるバラク・オバマを
ポップなノリで「パイセン」などと持ち上げ特集する姿勢がまさに「漂白」ではないの?
ここでも
「それはそれとして」
とか
「それとこれとは別モンダイ」
という魔法のコトバを繰り出すのだろうか?
アメリカは友好国ではあっても多くの利害問題を有する交渉相手だ
WinWinなんてのはそうそうない話で、あっちがでっぱれぱ
こっちがひっこむ(またはその逆)ということがほとんど
オバマの趣味・志向を研究することそれ自体は興味深いが
パイセンなどとうかれるのはキモチワルイ
WinWinなんてのはそうそうない話で、あっちがでっぱれぱ
こっちがひっこむ(またはその逆)ということがほとんど
オバマの趣味・志向を研究することそれ自体は興味深いが
パイセンなどとうかれるのはキモチワルイ
まるで英国人気取りで
メーガン批判している自称・王室評論家のおばさまのよう。
メーガン批判している自称・王室評論家のおばさまのよう。
ところで
武士道論争は左翼のたわごととか思ってない?
じゃあ保守派の愛読紙・讀賣新聞(2006/04/25)にのった映画監督の篠田正浩氏のこんな文はどうだろう?(四文字熟女の旦那様ね)
じゃあ保守派の愛読紙・讀賣新聞(2006/04/25)にのった映画監督の篠田正浩氏のこんな文はどうだろう?(四文字熟女の旦那様ね)
「武士道」再考促した米人教授
最近、武士道による日本人の精神復興か叫ぱれている。国家の品格が失われ、愛国心が希薄になったのは、敗戦後に精神文化を継承できなかった戦後教育の欠陥だとも言われてきた。しかし、合戦で示された武士たちの素顔が研究で明らかになってくると、武士道には結構、危ないところがあることもわかってきた。
最近、武士道による日本人の精神復興か叫ぱれている。国家の品格が失われ、愛国心が希薄になったのは、敗戦後に精神文化を継承できなかった戦後教育の欠陥だとも言われてきた。しかし、合戦で示された武士たちの素顔が研究で明らかになってくると、武士道には結構、危ないところがあることもわかってきた。
引退作品『スパイ・ソルゲ』の上映パーティで会った村上春樹の翻訳で知られるジェイ・ルーピン教授に源平合戦の物語の一つである能の『藤戸』を映像化すべしと進言される。
義経も、壇ノ浦の合戦では、平家の軍船を操る船頭に的を絞って殺害し勝利を得た。この場面を語る『平家物語』には、義経に向けられた非難が感じられる。
ルーピン教授は、なぜ『藤戸』かとは言わなかったが、私は武士道について再考する機会を得た。そういえば、新渡戸稲造の『武士道』も、アメリカで書かれたことを思い出した。
フツーにオールドスクールな古典読んでるだけでも「アレ?武士道ってあやしくね?」と気づけるのだ。
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