いまさらだけど、ひょんなことから桑田の引退に関する現地ピッツバーグのメディアの報道を目にした。
感動した。
ジェロやマギボンやクロスビーやベティスだけがピッツバーグぢゃないやい。
日本人ならクワタを読んで泣け!
ってなわけでちょっと時間差だけどそれらの記事を紹介しよう。
記事のすべてにはピッツバーグ・ポスト・ガゼットのデジャン・コヴァチェビッチという記者が関わっている。
実はこのコヴァチェビッチ記者のことはいままでこのブログで2回も取り上げている
1回目はパイレーツが桑田真澄の獲得を発表した時だった。
彼は桑田が年齢的にピークを過ぎていることについて、(それまで)過去5年のワールド・シリーズには毎年必ず日本人が出場しているという事実に言及して、例え桑田が使い物にならなくても、日本へのネットワーク作りで遅れをとっているパイレーツにとっては価値のある第一歩なのだと肯定的だったけど、その後、昨年の夏くらいには桑田との契約は迷惑なものだったと批判にまわっていた。
だもんで実は少なくとも日本とのネットワーク作りには価値を感じていた彼が今季早々に対戦相手となった日本人である福留をどんな風に見ていたかと調べてみたらこの桑田の引退セレモニーに関連した記事群にめぐりあったのだった。
まずはピッツバーグ・ポスト・ガゼット3月26日付のこの記事↓
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フロリダ州ブラデントン
デジャン・コヴァチェビッチ記者
マスミ・クワタ、故郷の日本ではプロ野球のスーパースターだった彼が今日の午後、引退することを発表した。
桑田(40)はこのスプリング・キャンプではいいピッチングをしていた。防御率1.80、5イニングで被安打5。だが彼は3月18日から登板機会がなく、25人枠にも残れないことがわかっていた。そして彼は昨日、引退の意志を球団に伝えていた。
パイレーツは彼にデトロイト・タイガース戦で投げるチャンスを与えようとしたが、彼は丁重に辞退し、自分はその試合ブルペンから見ると言ったそうだ。
ニール・ハンチントンGMは彼にコーチの職をオファーしたが、彼はこれも辞退した。
日本のセントラル・リーグで20年プレイし1994年にはMVPにも輝いたベテラン桑田は、メジャーリーグで投げるという彼の夢を昨年6月ヤンキー・スタジアムで実現した。彼は19回の登板をはたし防御率は9.43だった。
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以上
そして同日付2本目のこの記事↓
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フロリダ州ブラデントン
デジャン・コヴァチェビッチ記者
桑田真澄はマッケニー・フィールドの芝をゆっくりと、そしてストイックにしかし胸を張って歩いて横切った。
そこに観客はなく、一握りの感極まったパイレーツの職員といつもながらの日本からの50人ほどの取材陣だけがいた。そして音を立てるものは上空を旋回するカモメたちだけだった。
彼はマウンドでひざまずくとボールをプレートの上に置いた。そしてゆっくりとそこから降りるとカメラに向かって微笑んだ。
そしてもう一度だけ微笑むと彼は永遠にそこから去ったのだ。
日本プロ野球界のスーパースター桑田の正式な引退発表は、今日午後パイレーツが7-4でデトロイト・タイガースを下した試合後に正式発表された。監督のジョン・ラッセルは桑田への花道のためそのにゲームの最後の一球を投げさせようとしが彼はその申し出を辞退した。
「彼は自分はもう何千イニングも投げてきた、だからゲームの中のその時間はパイレーツの未来を作る投手のために使うべきだと言ったんです」とラッセル監督は明かした。
「彼は一流にして真のプロフェッショナル。人間としても偉大だ。私たちは、彼がこの先、何をしようとも幸運を願ってやまない」
桑田のマウンドでの儀式はゲームへの別れを象徴していたのだ。桑田のパイレーツでの実績は取るに足りないものだったが、この引退は日本ではその日のトップニュースになるのだと、そこに集まった日本のメディアの何人かは教えてくれた。
「彼は私たちの国では伝説的人物なんです」とスポーツ報知の柳田寧子記者は語った。「この引退のニュースはみんなが知りたがるでしょう。そしてみんながとても驚くようなことなのです」とも
桑田(40)はこのスプリング・キャンプではいいピッチングをしていた。防御率1.80、5イニングで被安打5。だが彼は3月18日から登板機会がなく、25人枠にも残れなかったことがわかっていた。そして彼は週初めには、引退の意志を球団に伝えていたという。
彼はこの冬、パイレーツとのマイナー契約をする前から、開幕ベンチ入りを果たせなければ引退すると決めていたのだということも昨日明らかにしていた。
「もう一度、挑戦してみたかったんです」と彼は急速に上達した英語で語った。「うまくできてたとは思うんですけど気持ちが引退しろといっていた。23年の現役生活は長かったです」
日本のセントラル・リーグで21年プレイし1994年にはMVPにも輝いたベテラン桑田は、メジャーリーグで投げるという彼の夢を昨年6月ヤンキー・スタジアムで実現した。彼は19回の登板をはたし防御率は9.43だった。
彼の一番の思い出は何だろうか?と聞いてみた。
「私はメジャーにあがれて、しかもヤンキー・スタジアムで投げられたことがいまでも信じられないんです」と彼は言う。
では、彼のベスト・ピッチは?
「えーと、うーん」と彼は切り出した。
それは6月21日にシアトルで2イニングを投げてマリナーズの7人の打者を打ち取った時のことだといったという。その中にはショートバウントしたクワタの大きな落差のカーブに翻弄された日本人のイチローもいた。
パイレーツのセネラル・マネージャーであるニール・ハンティントンは桑田にAAAインディアナポリスでのマイナー契約だけでなく、コーチ兼日本でのスカウト業務などの契約を打診したが、彼はいずれも辞退した。
「とりあえずは日本に帰って、家族との時間を過ごします」と桑田は言う。「いつかはピッチング・コーチか監督をやってみたいですね。でも今は家族といっしょに居たいんです」
彼のマウンドでの儀式が終わると日本のメディアは彼を追いかけた。彼らがいままで彼の現役生活のすべてや私生活までも追いかけてきたように、彼の一歩一歩を追った。クルマに乗り込み駐車場を出るところまでも。そして彼らの何人かは涙をうかべていた。
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以上
で、前にも紹介したけど、このコヴァチェビッチはボストン・グローブのゴードン・イーズみたいにQ&Aのコーナーを持っている。
そのPirates Q&A with Dejan Kovacevicの3月27日付分の冒頭部分
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桑田真澄のパイレーツでの成績は大したものではなかった。だが彼は数字には表れない、彼らの周りの人々、チームメイトやスタッフはもちろん、そう、彼を取材する者たちまでも感動させる何かをもっていた。
私は彼とはほんのわずかしか話をしたことがない。私の仕事は活躍した選手を取材することだからだ。だが彼のまわりには何かが漂っていた。彼がロースターに入れず出場機会もあまりなかったにもかかわらず、彼が日本で経験してきたであろうエリートレベル、あるいはスーパースターレベルの光をいまだに放っているようだった。
私はそこにマイナーリーグに挑戦したマイケル・ジョーダンの姿を見た気がした。いままで実績を捨て、年を取り衰えを見せる中、一人、異国の大地に足を踏み入れ、マイナー・リーグのバス移動さえも経験した。足の大けがの後でさえ…そして彼はやりとげたのだ。
桑田は数字こそ残せなかったが、そこにはとてつもない物語があるのだ。
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以上
さて最後は翌日28日付分のPirates Q&A with Dejan Kovacevicでは読者から、いま紹介した記事への感想や桑田に関するエピソードがよせられた
(一応、Q&Aのコーナーのはずなんだけどなぜか冒頭にこういうお便りをもってきていた)
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Q:デジャン、あなたが書いたマスミ・クワタの引退“セレモニー”についての記事を読みましたよ。妻と私は幸運なことに先週のヤンキース戦に行ったのでする。もっと幸運なことにクワタと会えてサインまで貰えたんですよ。
ゲーム前、ヒデキ・マツイがクワタを訪ねていました。二人はライトのファウルグラウンドで立ち話をしていました。パイレーツのブルペンの前にいた大勢の日本のカメラマンに向かってポーズをとっていました。
そして今夜、私はパソコンを立ち上げパイレーツがダグ・ミントケイビッチをロースターに残すというプレスリリースを妻に読んで聞かせました。
私たちはダグが残れたことと、彼の成功を祈って乾杯しました。次に私たちは貴方が書いたクワタの記事を目にしました。妻と私は二人とも涙をうかべました。
スプリング・トレーニングというのは奇妙な時期ですよね。「希望と約束の時」であり「希望と約束が終わる時」でもある。あなたのあのクワタの引退式を記録した記事は感受性と臨場感にあふれた素晴らしいものでした。できれば現場に居合わせたかったけど、記事にして伝えてくれてありがとう。
Jim Scafide オハイオ州イースト・リヴァープール
コヴァチェビッチ:やあジム。あの記事にはたくさんの好意的な感想がよせられたんだ。ボクはあの場面をただの説明ではなくすべてを描写できたと思ってるよ。
あれは映画から抜け出たような、なんともいえない時間だったね。特にかもめの声以外は何もないあの静寂の時は。
きのう友達にも言ったんだけど、これはボクの記者人生の中で五本の指に入る名場面だったよ。
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以上
桑田がスタッフとして残留しなかったのはパイレーツにとっては誤算だったかもしれない。ただ球団のそうした計算とは別に桑田は確実に慕われていたようだ。
(もちろんこの記者が自分の書いた美談に酔っている部分も見え隠れするけどファンのお便りはやらせではあるまい)
昨日のTBS「ブロードキャスター」に出演した桑田はメジャーの選手が道具を大事に扱わない姿に心が痛んだと漏らしていた。そういえばグローブを叩きつけたりバットを投げたりする姿がいつから日本でも当たり前になってしまったんだろう?
これは野球道具だけではないけれど闘将・星野がベンチでモノに当たる姿に至っては看過どころか愛すべきキャラクターを象徴する要素として肯定的にすら扱われている。
自分もアンチ巨人だったせいで、桑田の真価に気づいたのは随分後になってからだけど、未だに「投げる不動産屋」とか揶揄しているビートたけしには呆れるかぎりだ。(まぁ彼のファンはシャレやお遊びにいちいち目くじらたてるのは無粋だというのだろうがそこに粋は微塵も感じられない)
前にボストン・グローブの記事で岡島の謙遜な態度からアメリカ人が学ぶものは多いというのがあったけど、桑田こそ日本のいい部分を伝えられるのではないだろうか?
なのでスタッフとしてまたMLBに関わって欲しいとも思ったけど彼にとってはすでに日本の子供たちに危うさを感じてしまっているのかもしれない。
どっちにしても応援してるぜ。
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