偽史倭人伝 ~ Carnea Historia

march madness の次が April Foolなんて小粋ぢゃないか。

お笑い腐食列島

2009年12月08日 06時38分21秒 | ◎ツッコミ思案neo
 島田紳助が何を言おうといいのだけれど、それが真理であるかのようなまとめ方をされると違和感がある。

「人生が変わる1分間の深イイ話」そもそもこの番組名自体が価値観の押し付けのようでイヤなのだけど、その中で島田紳助の裁判官のような振る舞いが輪をかける。

 ゲストのテツ&トモと立川談志との間に生まれた“美談”のあと紳助はテツ&トモが失敗した芸人、終わった芸人であるかのようにまとめにかかった。

 紳助は何をもって芸人の成功というのだろうか。

 以前、週刊誌でブラウン管からは消えたが実は営業で高収入をあげている芸人たちという趣旨の記事でテツ&トモが紹介されていた。彼らの芸はシモネタも毒もないのでファミリー向けのイベントにブッキングしやすいのだという理由づけになるほどと思った。

 実際のところ彼らの芸は芸の体をなしている。カタチになっているのだ。談志に気に入られたのもそこらへんなのだと思う。
 談志がテツトモのイベントに出演したことについて紳助は“責任をとった”という仕方なくみたいな言い方をしたが、テツトモは談志の寄席にも呼ばれたりもしている。つまり救済の対象ではなく芸人として認められているのだ。

 逆にテレビを賑わせている多くのタレントたちは刹那的な笑いは誘うだろうが、放送作家とプロデューサーに切り貼りされたようなそのパフォーマンスは寄席に出せるようなシロモノではないだろう。
 「エンタの神様」などを見ている大人の学芸会だなとたまに思う。

 どちらかといえばドリフや「ひょうきん族」とか赤塚不二夫とか当時PTAの反感を買ったコンテンツこそ懐古的賞賛だけでなく批判的見地も含めて再考されるべきなんぢゃないかと思う。

 紳助劇場に若手が合いの手が「ほー」とか「へー」とか入れてるのはキモチが悪いが、今回は紳助の加藤茶へのヨイショという図式まで加わりさらに不気味だった。

 旧き良き時代とかプロ意識と彼らが自画自賛する「毒」は脈々といまの悪趣味なバラエティに受け継がれていると思うのだが。
 
 夕刊紙の記事でビートたけしや有吉の毒舌は相手への優しさや配慮があるからいいんだみたいなのがあったけど、ビートたけしについていえば、実際にはどう考えても取り返しのつかない悪口をよく言ったり書いたりしている。
 このたけしも批判的立場で再考されるべき被告のひとりだと思うのだが、いまの芸能マスコミは弱いモノイジメやのぞき趣味はあっても硬派な批評というものが存在しない。
 それどころか大物にたいするヨイショも蔓延している。

 こういうのを腐敗の構造っていうんだ。そしてその腐敗した価値観はテレビを通じて広がっていく。

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