映画の予告編に騙されたなんてことはよくある。そりゃそうだ、予告ってのはこっちの期待感を煽るために作ってるんだからどんなB級作品だって予告編だけは名作仕様になってるもんなんだ。
たとえば「マトリックス」なんてのは騙されたなぁ。予告編に騙されたというよりは、あの作品は予告編だけで充分だった。あの多方向スチルカメラによる合成があの作品の存在価値のすべてで、それ以上でもそれ以下でもなかったんだから。
SFX以外見るところがない…といえば「ジュラシックパーク」もそんな作品だったけど、あれに関しては劇場に足を運んだ価値はあったと思ったね。絶賛された音響効果も含めて、あれはやっぱり映画館で見るべきものだった。ロードショー期間を逃したのにもめげず三軒茶屋くんだりまででかけた甲斐はあったってもんだ。
…で、なんだっけ?
…そう予告編だけど最近の映画のTV-CMとか、宣伝特番とか見ると逆に、期待感がそげるものが多い。代表的なパターンが、試写会の出口調査的なやらせCM。
「輪廻」のCMに出てくる外人ってどっかで見た顔だなぁ…、まさかおいらの知り合い?なんて思ってたら…おいっ、これ外人漫才師のイザベルとベネぢゃねーかよ!
10人いたら8人はあんなやり口に共感しないと思うんだけど、やめないってことは実は好感度高い?むしろおいらがズレてる?ズレてるの承知で言わせてもらうと「男たちの大和/YAMATO」のCMが流れるだけでチャンネル替えたくなる(めんどくさいから変えないけど…)。
なんで長渕、英語のサビやねん。ヤツがどんなに骨太な歌手だろうが、反戦指向だろうが、あれには納得がいかん。「ハナミズキ」とか「さとうきび畑」とか美しい日本語の反戦ソングが注目された昨今だけによけいに違和感がある。そもそもなんで“YAMATO(ローマ字)”やねんて…。
去年の「ローレライ」キャンペーンのときに吐き気を催させた長髪軍人とアキバ系作家のオタク丸出しインタビューのトラウマが未だ尾を引き、戦争映画というモノ対してある種の先入観を抱いていることは否めないが、でもなんで最近になって、戦争映画が多いんだろうという素朴な疑問。
よく聞くのが「CG技術の進歩により可能になった」という決まり文句。結局のところ、特撮で遊びたいだけぢゃねーのか?やっぱおまいらみんなアキバ系匍匐前進野郎だろっ!とツッコミたくなってしまう。
特撮遊びといえば「キングコング」も予告編で“萎え~っ”て感じだ。
実は何を隠そう、おいらは子供のころ筋金入りのキングコングフリークだったのだ。どれくらいフリークだったかというと、76年のジョン・ギラーミン版の公開時には、前売り券はもちろんノベライゼーションやサントラ盤まで買いあさり、それに飽きたらず、便乗でリリースされたイメージソングまで買う始末。さらには子供の目で見てもあからさまに不細工とわかるキングコング人形をゲットするためにキングコングガムを買い、必死に点数を集めた。
サル年の年賀状のモチーフはもちろんキングコングだったしフェイ・レイという1933年版の主演女優と同じ名前の歌手が出てきたときにはなぜか心が躍ったものだった。、
そこまでのフリークだったら、ヨンさまファンがヨンさまの顔さえプリントしてあれば露店のバッタもんのサルマタでも買ってしまうように、どんな出来だろうとチェケしときたいと思うもんぢゃないの?ってつっこまれそうだが、あのCGコングは生理的にうけつけないのだ。
井筒監督が虎の門で、「あんなでかいサルがあんな動きせぇへんやろ」と言っていたが、まさに同感。
そんなコングはおらへんやろチッチキチー
…みたいな。
そういうとハリウッドかぶれどもが
「アナログおやじが何ほざいてんの?ムコウの映画人はちゃんとその道の専門家とかもアドバイザーにつけてるから科学的にもあってるはずだよ」な~んて能書きたれんだろうが、マンション設計だってウソっぱちのこの時代だぜ。…っていうかハリウッドなんて昔っから嘘つき続けてきたぢゃないか「SAYURI」を見てみろよ。
ここでまた
「監督はロブ・マーシャルはあれの舞台は実在の日本ではなく映画の中に作られた独自の世界なんだって言ってるぢゃん」と突っ込むんだろうけど、そんなの知らんわい!だいたい攻略本がなければ理解できない作品ってどうなのよ?っていうかアレは日本のみへ発したエクソキューズ・コメントなんだろうけどな。
とにかく、あのジャッキー・チェンばりのアクションを決める巨猿の身軽さはハリウッド流の悪趣味なウソだ。んでもってウソをつくにはいつだって理由がある。
きっと自慢のCGチームを使いまくりたかったからなんだろ。オーストラリアだか、ニュージーランドだかの…。オリジナル版の年代を再現したというのも同じ理由か。ハリウッド版「ALWAYS三丁目の夕日」…みたいなノリかい…ってここでもヨコモジかよっ(笑)
結局、最近の戦争映画作ってる兵器マニアのアキバ系どもと志は同じってことかもね。ガンプラ抱いたまま大人になっちゃったような人種がこれからのエンタテインメント業界を担っていくんですかい…。
今、ふと思ったけどSFXのチカラを誇示したかった一方で、技術力の限界があのスピードだったのかもしれない。生身のアクションぢゃないからスピード速くしたところで難しさはかわらない。むしろテクスチャなどのアラを誤魔化せる。
ドラムのリズムキープたってアップテンポなナンバーよりミディアムやスローハラードのほうがボロが出やすいもんね(笑)。CMを見る限りあまり感じられない重量感は殺陣のテンポ落としたら余計に希薄なものとなるだろう。
最近のCGってやたらとテクスチャやパーティクル表現の精度は高まってきたけど、な~んか「重量感」が感じられない。指で押したらとんできそうな感じだ。なまじ見てくれがリアルなだけに内蔵にしみてくるようなヘンな不快感が残る。さりげなくシーンにとけ込んでるケースもあるけど、大抵はそれだけではあきたらずパーティがはじまっちゃってる。
ところでガキのころギラーミン版のコングを見たおいらが作品に大喜びしたかというと実はそうでもなかった。公開半年くらい前から期待を過度に高めすぎちゃったというのもあったけど、いちばんがっかりだったのは公開前に盛んにアピールしていた等身大の油圧式のロボットコングがほとんど使われていなかったことだった。実のところぎこちない動きしかできない巨大ロボットに演技などできるはずもなかった。単なる巨大な広告塔だったのだ。
今、思えばそれもいかにもハリウッド流だと気が付く。
で、先日、深夜映画でやっていたので懐かしさ半分で見たのだが「よくまぁこんな映画作ったなぁ」というのが30年後の正直な感想だった。
そこにあったのは偽善的な動物愛護に偽善的な物質文明批判、そして新人のジェシカ・ラングはただのオッパイ要員だった。コングがよじ登ったのはエムパイヤステート・ビルではなく、911で崩れ去ったあのトレード・センター・ビル。
良くも悪くもいかにもアメリカらしい作品だとも思った。
同じ年に作られたデ・ニーロの「タクシードライバー」とは作品の出来には雲泥の差があるけど、そこに描かれているのはまぎれもなく同じアメリカなのだ。
そしてこの当時のおいらは間違いなくアメリカかぶれだったってことだ。目さますのにけっこうかかっちゃったな(苦笑)
…とはいうものの、やっぱ目は通しておきたい。でもビデオとか買ったら結果として「負け」だから深夜映画を待つ…そんなスタンス。ただの貧乏人ともいう。
たとえば「マトリックス」なんてのは騙されたなぁ。予告編に騙されたというよりは、あの作品は予告編だけで充分だった。あの多方向スチルカメラによる合成があの作品の存在価値のすべてで、それ以上でもそれ以下でもなかったんだから。
SFX以外見るところがない…といえば「ジュラシックパーク」もそんな作品だったけど、あれに関しては劇場に足を運んだ価値はあったと思ったね。絶賛された音響効果も含めて、あれはやっぱり映画館で見るべきものだった。ロードショー期間を逃したのにもめげず三軒茶屋くんだりまででかけた甲斐はあったってもんだ。
…で、なんだっけ?
…そう予告編だけど最近の映画のTV-CMとか、宣伝特番とか見ると逆に、期待感がそげるものが多い。代表的なパターンが、試写会の出口調査的なやらせCM。
「輪廻」のCMに出てくる外人ってどっかで見た顔だなぁ…、まさかおいらの知り合い?なんて思ってたら…おいっ、これ外人漫才師のイザベルとベネぢゃねーかよ!
10人いたら8人はあんなやり口に共感しないと思うんだけど、やめないってことは実は好感度高い?むしろおいらがズレてる?ズレてるの承知で言わせてもらうと「男たちの大和/YAMATO」のCMが流れるだけでチャンネル替えたくなる(めんどくさいから変えないけど…)。
なんで長渕、英語のサビやねん。ヤツがどんなに骨太な歌手だろうが、反戦指向だろうが、あれには納得がいかん。「ハナミズキ」とか「さとうきび畑」とか美しい日本語の反戦ソングが注目された昨今だけによけいに違和感がある。そもそもなんで“YAMATO(ローマ字)”やねんて…。
去年の「ローレライ」キャンペーンのときに吐き気を催させた長髪軍人とアキバ系作家のオタク丸出しインタビューのトラウマが未だ尾を引き、戦争映画というモノ対してある種の先入観を抱いていることは否めないが、でもなんで最近になって、戦争映画が多いんだろうという素朴な疑問。
よく聞くのが「CG技術の進歩により可能になった」という決まり文句。結局のところ、特撮で遊びたいだけぢゃねーのか?やっぱおまいらみんなアキバ系匍匐前進野郎だろっ!とツッコミたくなってしまう。
特撮遊びといえば「キングコング」も予告編で“萎え~っ”て感じだ。
実は何を隠そう、おいらは子供のころ筋金入りのキングコングフリークだったのだ。どれくらいフリークだったかというと、76年のジョン・ギラーミン版の公開時には、前売り券はもちろんノベライゼーションやサントラ盤まで買いあさり、それに飽きたらず、便乗でリリースされたイメージソングまで買う始末。さらには子供の目で見てもあからさまに不細工とわかるキングコング人形をゲットするためにキングコングガムを買い、必死に点数を集めた。
サル年の年賀状のモチーフはもちろんキングコングだったしフェイ・レイという1933年版の主演女優と同じ名前の歌手が出てきたときにはなぜか心が躍ったものだった。、
そこまでのフリークだったら、ヨンさまファンがヨンさまの顔さえプリントしてあれば露店のバッタもんのサルマタでも買ってしまうように、どんな出来だろうとチェケしときたいと思うもんぢゃないの?ってつっこまれそうだが、あのCGコングは生理的にうけつけないのだ。
井筒監督が虎の門で、「あんなでかいサルがあんな動きせぇへんやろ」と言っていたが、まさに同感。
そんなコングはおらへんやろチッチキチー
…みたいな。
そういうとハリウッドかぶれどもが
「アナログおやじが何ほざいてんの?ムコウの映画人はちゃんとその道の専門家とかもアドバイザーにつけてるから科学的にもあってるはずだよ」な~んて能書きたれんだろうが、マンション設計だってウソっぱちのこの時代だぜ。…っていうかハリウッドなんて昔っから嘘つき続けてきたぢゃないか「SAYURI」を見てみろよ。
ここでまた
「監督はロブ・マーシャルはあれの舞台は実在の日本ではなく映画の中に作られた独自の世界なんだって言ってるぢゃん」と突っ込むんだろうけど、そんなの知らんわい!だいたい攻略本がなければ理解できない作品ってどうなのよ?っていうかアレは日本のみへ発したエクソキューズ・コメントなんだろうけどな。
とにかく、あのジャッキー・チェンばりのアクションを決める巨猿の身軽さはハリウッド流の悪趣味なウソだ。んでもってウソをつくにはいつだって理由がある。
きっと自慢のCGチームを使いまくりたかったからなんだろ。オーストラリアだか、ニュージーランドだかの…。オリジナル版の年代を再現したというのも同じ理由か。ハリウッド版「ALWAYS三丁目の夕日」…みたいなノリかい…ってここでもヨコモジかよっ(笑)
結局、最近の戦争映画作ってる兵器マニアのアキバ系どもと志は同じってことかもね。ガンプラ抱いたまま大人になっちゃったような人種がこれからのエンタテインメント業界を担っていくんですかい…。
今、ふと思ったけどSFXのチカラを誇示したかった一方で、技術力の限界があのスピードだったのかもしれない。生身のアクションぢゃないからスピード速くしたところで難しさはかわらない。むしろテクスチャなどのアラを誤魔化せる。
ドラムのリズムキープたってアップテンポなナンバーよりミディアムやスローハラードのほうがボロが出やすいもんね(笑)。CMを見る限りあまり感じられない重量感は殺陣のテンポ落としたら余計に希薄なものとなるだろう。
最近のCGってやたらとテクスチャやパーティクル表現の精度は高まってきたけど、な~んか「重量感」が感じられない。指で押したらとんできそうな感じだ。なまじ見てくれがリアルなだけに内蔵にしみてくるようなヘンな不快感が残る。さりげなくシーンにとけ込んでるケースもあるけど、大抵はそれだけではあきたらずパーティがはじまっちゃってる。
ところでガキのころギラーミン版のコングを見たおいらが作品に大喜びしたかというと実はそうでもなかった。公開半年くらい前から期待を過度に高めすぎちゃったというのもあったけど、いちばんがっかりだったのは公開前に盛んにアピールしていた等身大の油圧式のロボットコングがほとんど使われていなかったことだった。実のところぎこちない動きしかできない巨大ロボットに演技などできるはずもなかった。単なる巨大な広告塔だったのだ。
今、思えばそれもいかにもハリウッド流だと気が付く。
で、先日、深夜映画でやっていたので懐かしさ半分で見たのだが「よくまぁこんな映画作ったなぁ」というのが30年後の正直な感想だった。
そこにあったのは偽善的な動物愛護に偽善的な物質文明批判、そして新人のジェシカ・ラングはただのオッパイ要員だった。コングがよじ登ったのはエムパイヤステート・ビルではなく、911で崩れ去ったあのトレード・センター・ビル。
良くも悪くもいかにもアメリカらしい作品だとも思った。
同じ年に作られたデ・ニーロの「タクシードライバー」とは作品の出来には雲泥の差があるけど、そこに描かれているのはまぎれもなく同じアメリカなのだ。
そしてこの当時のおいらは間違いなくアメリカかぶれだったってことだ。目さますのにけっこうかかっちゃったな(苦笑)
…とはいうものの、やっぱ目は通しておきたい。でもビデオとか買ったら結果として「負け」だから深夜映画を待つ…そんなスタンス。ただの貧乏人ともいう。
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