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救急車で運ばれた後

2021-02-27 14:42:00 | 日記
病院に運ばれたときは
高熱と足をバタバタさせていた、と聞きました。
痙攣でしょうか?
それが何だったのかはわかりません。
もちろん私に記憶はありません。
今それを聞かされるととても怖いです。

ここの話もっとしたいのですが、その後気がついたのがなんせ、3ヶ月後なので、後から聞いた話ばかりになりす。

仕事復帰と意識不明

2021-02-26 14:35:00 | 日記
花屋に就職した頃からカウントすると3年前に東京の空間デザインの専門学校に行き、花を空間でデザインする仕事に就くという夢を持って勉強し、花屋てバイトさせてもらいウェディング会場などで、修行してました。
半年その花屋にも就職してました。

お金が続かないこともあり、関西に戻って就職しようと決めました。

熱が出始める1週間程前からやたらに疲れるなぁ、と思っていたのですが、仕事を頑張ってました。
熱が出る前日に、歓迎会をしていただいたところで休むのが非常に申し訳なかったです。

その翌日に熱が出て1ヶ月以上も休むことになったのです。
休んでる間もお給料を入れていただき、店に部署は違うけど、同じ膠原病の人がいるよ!と励ましていただきました。
その時はシェーグレン症候群と伝えてました。

そんな大事な花屋でした。
いよいよ夢を叶えるために頑張っていたところでした。
振り返って書いていると、涙が止まりません。

主治医から仕事復帰は人それぞれのペースでと言われていたのでできそうかな、と思い、確かな日は忘れてしまいましたが、意識を失う日かその次の日に復帰しますと連絡してました。

そんな希望に溢れていた時に熱がまた出ました。
その時すぐに病院に行けばよかったのですが、寒いし(その時はお正月明けの時期)面倒くさいと思い、家(彼の家)で洗濯物を干したり、掃除をしてました。

自営業の彼が家に一旦帰ったときには、私は返事をしていたらしいです。
ネットで映画を観ていて、最後は寝ていたことを覚えています。

夜になって婚約者がちゃんと帰宅後、私が失禁して倒れていたので、慌てて救急車を呼んだそうです。
救急隊員はエレベーターに担架が入らなかったので、2人で私を担いで救急車に乗せたそうです。
婚約者も私のかかっている病院を知っていたので、その病院に運ばれました。

その後のうっすら意識が戻る3ヶ月後のことまでは何も覚えていません。

転院先

2021-02-25 14:07:00 | 日記
大阪の病院は比較的大きな病院でとにかく患者さんが、多くて昼12時に行っても予約してても帰るのが19時になったりしました。
初めて行った日は紹介予定時刻、受付時刻締め切り寸前で大阪駅からタクシーで飛ばして、走りまくってなんとか間に合いました。

今なら走れないので、間に合いません笑

年末でした。

2回程受診しました。
ステロイドの量はどんなけだったか覚えていませんが、減らしてほしいと言っていたことは覚えています。  

もしかしたら減らしたことが意識をなくした原因かもしれないと言われたときは非常にショックでした

一つ目の病院退院後のこと

2021-02-24 14:45:00 | 日記
退院して1ヶ月半後に意識がなくなるなんて私も周りにいる人も誰も思ってなく、入院から解放されてとてもウキウキでした。

相変わらず、ステロイドは確か30ミリは飲んでいたので、感染には十分気をつけていました。
外から帰ってから家族には手洗いうがいを徹底してもらってました。
咳をすればマスクをしてもらいました。

それは神経質なほどに。
病気にはとても神経質になってました。

父親から鼻の周りの紅斑がとれてなくて、「鼻赤くなってるけど、なんでや?」と聞かれたときは激怒して怒鳴り散らしました。
まだ普通に喋れてたし、
買って病気のせいやって言ってるやん!私だってめっちゃ気にしてるのに!!何でそんなこと言うねん!!」
とほんまに激怒してました。

当時から今も側にいてくれてる彼氏と婚約したのはこの時です。
これから仕事ができるかどうかもわからないけれど、一緒に住んでほしいと私からお願いしました。 
もう15年の付き合いになります。
私から裏切ることもあって離れていた時期もありましたが入院してからもずっとワガママを聞いてくれていつも理解してくれる大切な人です。
大切という言葉には置き換えられないくらいに。

その彼が私の父さんに私と一緒に住みたい、と言ってくれました。

彼は大阪に住んでいるので、神戸から大阪の膠原病の専門科がある病院に転院しました。

一つ目の病院の退院

2021-02-23 16:01:00 | 日記
その頃の私の心は不安定でした。
病気のせいや、ステロイドにも精神病の副作用があるのではないか、と主治医に相談しました。

一度カウンセリングを受けてみたら?と言われれて受けました。
カウンセリングを受けましたが、ステロイドの副作用や精神病ではなく、入院のストレスだろうとの診断でした。
聞かれたくないことを喋ったので、嫌な看護師に知られたくないから、主治医と看護師さん、師長さんにカルテを抹消するか、病室を他の科に変えてほしいと泣きながら懇願しました。

嫌な看護師というのは私が友達からもらった手紙を断りもなく、素手で勝手に触ったり、私が気分が悪いのにシーツを交換しようとした看護師さんです。
今思えば、そんな看護師さんザラにいるのにな、と
神経質に腹を立ててた時間がもったいないな、と思います。

看護師さんも医者も人間なのです。

懇願は却下され、渋々外出届を出し、そのまま退院しました。
師長さんから看護師全員にカルテを見るのは禁止と伝えてくれることになりました。

これも病気に打ち勝つため、と納得させたのを覚えています。

それ以降、理不尽なことに出くわしたら、これも病気に勝つためや、と自分に言い聞かせてます。
負けず嫌いの自分でよかったなって思います。

よく負けず嫌いやね!とか言われるけど、障害者なんか負けず嫌いじゃないとやっていけないと思います。

外出から帰る予定の日は勇気を出して行き、師長さんや主治医にワガママを言って無理矢理退院したことを謝りました。

主治医は診断のとき、「僕は一人の人間として心配やから」と私のことを本当に考えてくれてたのに、もしかしたら信頼関係が崩れたかも、と不安になったのを覚えてます。

主治医はよく戻って診察受けようと思ってくれたね!と言ってくれましたが、内心はめんどくさい患者やと思ってたやろうな笑

その主治医は一人の人間として心配やから、と言ってくれた先生は後にも先にもこの先生だけでした。

その先生も今後遺症だらけの障害者になった私を見たらビックリするやろうけど。。