退院して1ヶ月半後に意識がなくなるなんて私も周りにいる人も誰も思ってなく、入院から解放されてとてもウキウキでした。
相変わらず、ステロイドは確か30ミリは飲んでいたので、感染には十分気をつけていました。
外から帰ってから家族には手洗いうがいを徹底してもらってました。
咳をすればマスクをしてもらいました。
相変わらず、ステロイドは確か30ミリは飲んでいたので、感染には十分気をつけていました。
外から帰ってから家族には手洗いうがいを徹底してもらってました。
咳をすればマスクをしてもらいました。
それは神経質なほどに。
病気にはとても神経質になってました。
父親から鼻の周りの紅斑がとれてなくて、「鼻赤くなってるけど、なんでや?」と聞かれたときは激怒して怒鳴り散らしました。
まだ普通に喋れてたし、
買って病気のせいやって言ってるやん!私だってめっちゃ気にしてるのに!!何でそんなこと言うねん!!」
とほんまに激怒してました。
当時から今も側にいてくれてる彼氏と婚約したのはこの時です。
これから仕事ができるかどうかもわからないけれど、一緒に住んでほしいと私からお願いしました。
もう15年の付き合いになります。
私から裏切ることもあって離れていた時期もありましたが入院してからもずっとワガママを聞いてくれていつも理解してくれる大切な人です。
大切という言葉には置き換えられないくらいに。
その彼が私の父さんに私と一緒に住みたい、と言ってくれました。
彼は大阪に住んでいるので、神戸から大阪の膠原病の専門科がある病院に転院しました。
当時から今も側にいてくれてる彼氏と婚約したのはこの時です。
これから仕事ができるかどうかもわからないけれど、一緒に住んでほしいと私からお願いしました。
もう15年の付き合いになります。
私から裏切ることもあって離れていた時期もありましたが入院してからもずっとワガママを聞いてくれていつも理解してくれる大切な人です。
大切という言葉には置き換えられないくらいに。
その彼が私の父さんに私と一緒に住みたい、と言ってくれました。
彼は大阪に住んでいるので、神戸から大阪の膠原病の専門科がある病院に転院しました。
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