昨夜の地震による高速道の地割れなどが24時間待たずの修復されて通行できる?とか。
福島駅前の若干の陥没などもすぐ対応されていて、日本の災害に対する機動力と修正&補修能力は、遡ること戦後復興の這い上がる魂DNAが埋め込まれているような気がしてならない。
DNAの専門的なことはわからないけど、、、生真面目と転んでもただでは起きない底力は、災害大国が世界に誇れるパワーでは?
自画自賛?いえ、わたしゃただの傍観者にすぎないのですが、、、🙇
昨夜(深夜)は、数車線の幹線道路をタクシーしか走っていなかった。
きっと終電間際に電車に乗れなかった帰宅難民が南下していったのだろう。
それでもロータリーでは随分待たされたのだろうな、と午前1時を過ぎてもノロノロと回送なのか時折走る電車の横を白や黒塗りのタクシーが勢いよく走って行く。
私、眼科手術で視力が回復したからね、タクシーのボディの文字やロゴまで見えたりする。
もうひとつ、夜中に入ってきた訃報に、当時《そこで起こった》数々の奇跡?を手繰り寄せていた。
なんで?あなたが?みたいな話だが、たまたまの偶然で、皆さんが昨日からポツリポツリ呟く【国さん】という方の思い出がひとつだけ懐かしんだ。
しかも、それは《 全日本ロードレース選手権スーパーバイク チャンピオン(8勝/HRC/RVF/RC45)》を決める日本のバイクレーサー勇姿を見た年で、偶然にもレース後、鈴鹿ピットインにいて、周囲からその日のレース後に称賛されている青木氏の間近いて、友人と私がボーッと立っていたという、微かな思い出。
終了後にファン感謝デーのようなサービスタイム(イベント)があり、時折、真横を2輪に乗ってコースに出ていく青木氏の姿があり、レースさながらでもないが、瞬時に目の前を通り抜けていったのだ。
(残念ながら、数年後、青木氏の2輪参戦はテスト走行中の痛ましい事故により1997年でひとまず中断される。)
しかし、その日はそれだけ終わらなかった。もう記憶が薄ぼんやりしていて、正確には繋がらないのだが、周囲がホンダのNSXを見つけてざわついていた時、順番制だったか希望者制だったのか、たまたまそばにいたのはラッキーだったとしか言いようがない。
しかも、運転している人が誰かも知らぬまま、鈴鹿コースを一周という、思いがけない幸運が巡ってきて、それはあっという間の出来事であった。
とはいえ、そこはそれ、断片的にコース風景は今でも覚えているような気はする。
後で聞いたことと車中の会話が混濁して後付になっているのか、よくわからないが、運転しながら高橋氏(国さん)が《ル・マン》の話をされたような記憶がある。
終始ニコニコと笑顔で上機嫌だったし、安全走行でスピードは出ていなかったと思う。
そんな話を後にカワサキで主に大型バイクレースに出ている人から、「嘘やろ!?」みたいなリアクションがあって、凄い人なんだなと知ったくらいで、あっという間の夢のような時間で、今でもまさか!人違いだよね?記憶なのだが、問わず語りに皆さんが呟いているのを読むと、確かに気取らないニコニコと穏やかなれど、オーラを身にまとった人、そしてごく普通の一般の我々にもサービス精神を忘れないが、おそらく高みを極めた孤高の人物だったのだなと思えてならない。
晩年、苦しい病と闘っていらっしゃったようで、きっとレーサー仕込みの勇敢で不屈の精神で耐えられていたのだろうと推察する。
心から哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りいたします。
※冒頭画像はお借りしました。乗せていただいたNSXは、ボディに文字やロゴは無かったです。
夢幻だったかもしれないので記事内容に信憑性並びに裏付けはございません。悪しからず🙇
お読みくださり🙏多謝🏎❦
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