正月、姪っ子とブロック遊びに興じる(目の前の仕事からの逃避も含めて)。
姪は側面方向へ部品をつなげたいらしいのだが、そういう部品がないと嘆いていたところを「こういう方法もある」のだと、人形の下半身をジョイントとして使うやり方を教える。姪っ子の大賞賛に大マジで得意気になる中年男(叔父)。姪よ、実はそれ俺が考案したものじゃなくて、ごく初歩的な応用テクニックなのだよ…。
聞くところによると最近は一度説明書どおりに組み立てたブロックを壊さず、ずっと飾っておく子供もいるのだそうで…まぁ、遊び方は自由なのだから個人の方針にとやかく言うのも野暮な話だが、よりによってレ●ブロックでそういう話を聞くとちょっと薄ら寒い思いにもなる。もしかしたらその子供はそのブロックで他のものを作ることがないのかも知れないし、ましてや人形を「部品」として使うなんてことは思いつかないんじゃないかと、いらぬ杞憂もしてしまう。
いわんや他の玩具をや。
これもある意味、作り手側の「ゆき過ぎた至れり尽くせり」の功罪なんではないだろうか…?確かにそれがユーザーに対する「誠意」であるという言い分もまた正しいのかもしれないけどね。
幸いにも自分にはそれを検証する術がある。疑問や主張は形で証明して見せるのが一番なのだろう。
とはいえ、「不自由な中の自由」の楽しさ…どうすれば伝わるのだろうか?
本年も悩まされるところです。
姪は側面方向へ部品をつなげたいらしいのだが、そういう部品がないと嘆いていたところを「こういう方法もある」のだと、人形の下半身をジョイントとして使うやり方を教える。姪っ子の大賞賛に大マジで得意気になる中年男(叔父)。姪よ、実はそれ俺が考案したものじゃなくて、ごく初歩的な応用テクニックなのだよ…。
聞くところによると最近は一度説明書どおりに組み立てたブロックを壊さず、ずっと飾っておく子供もいるのだそうで…まぁ、遊び方は自由なのだから個人の方針にとやかく言うのも野暮な話だが、よりによってレ●ブロックでそういう話を聞くとちょっと薄ら寒い思いにもなる。もしかしたらその子供はそのブロックで他のものを作ることがないのかも知れないし、ましてや人形を「部品」として使うなんてことは思いつかないんじゃないかと、いらぬ杞憂もしてしまう。
いわんや他の玩具をや。
これもある意味、作り手側の「ゆき過ぎた至れり尽くせり」の功罪なんではないだろうか…?確かにそれがユーザーに対する「誠意」であるという言い分もまた正しいのかもしれないけどね。
幸いにも自分にはそれを検証する術がある。疑問や主張は形で証明して見せるのが一番なのだろう。
とはいえ、「不自由な中の自由」の楽しさ…どうすれば伝わるのだろうか?
本年も悩まされるところです。