「じゃ、うちもやりましょう」。96年秋、経営者の思わぬ言葉から始まったイントラネット構築計画。気持ちの整理が中々つかずアレコレと考えているうちに数日が経過しました。しかし、考えてばかりでは前へ進めないですから自分なりに要件をまとめて必要機材の情報収集に入ることに。情報収集といっても現在のようにインターネットが普及してませんから本屋に行って関係する書籍をあたったり詳しそうな知り合いから話を聞いたりと苦労した覚えがあります。
概要が分かった時点でNECさんに連絡。事情を話してシステム構成案を作ってもらうことにしました。
数日後、NECさんから構成案が出てきましたが...構成が適当なのかどうか収集出来た情報量が少なすぎて私には判断出来ません(大汗)。
判断出来ませんからそのまま経営者に「ま、こんな感じになりますねー」と提案してみました。今になって考えると安直な行動だったなと反省してます。もっとも20代後半に入ったばかりの当時でしたから提案することってどんなことなのかよく分かっていなかったんです。まさに「経験不足」。
「この機器ってどんな役目をするのか?」
「ソフトウェアライセンスは見積もりの何処に反映されているのか?」
「クライアントアクセスライセンスはこのシステムで必要なのか?」
などなど、経営者から質問されましたが何一つ的を得た回答が出来ません。そうです、NECさんから作ってもらった構成を経営者に丸投げしてしまい自分でまったく消化してなかったんです。経営者の方が私より勉強して情報持ってました。
「なんだ、自分で内容分かってない見積もりなんだな。もっと勉強してから持ってきなさい」と経営者から一蹴(汗)。当然ですよね。
ここから...勉強し直しNEC営業担当さんと二人三脚で構成作りをやり直しました。高橋さん、徹夜したりして苦労したのが懐かしいですねー。(それにお互い若かったですね...)
苦労の甲斐あって何とか自分で内容消化した構成が出来ました。自分自身、未開の分野に悪戦苦闘し頑張った結果だなと思っていますが私一人でやれたことでは無かったです。社内関係者、NECさんの協力があっての結果ですから関係者の皆さんに感謝、感謝です。
ここまで押し上げてホッと一息ついていたのですが何か忘れているような気が...
そうです、LANが必要だったんです。すっかり忘れてました(汗)。これについてもNECさんに相談したんですがスイッチングハブやら配線設計・工事が当然必要で非常に高額。ウン百万の世界です。費用内訳を分析すると配線設計・工事が相当のボリュームだということがすぐに分かりました。
(おー、この頃になると見積もりが少し読めるようになってきてますね)
そこで...三陽工業ってLANケーブル生産販売してるんですよねってことで自前LAN工事を決断。
社内製品開発部署に応援してもらい何とか配線工事は終了しスイッチングハブは...仕方なく購入して準備完了です。
システム構成が出来上がり、LAN工事に目途がついたのが97年12月中旬。構想からかなりの時間を費やしやっとここまでたどり着きました。今考えると寛容な経営者に沢山の時間を貰って私が未開の分野を勉強させてもらったんだと感謝してます。
さて、ここまで来るとシステム導入実作業を残すのみ。最後に力仕事が待ってるわけです。Xデーは98年3月初旬。さて、トラブル無くうまく行くんでしょうか?...つづく。