正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

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大分県中津市の自性寺と黒田勘兵衛

2014年01月30日 | 日記
午前中は佐伯警察署で運転免許の更新があり
30分ほど講習を受けて帰ってみると・・・

中津の自性寺さんから梅干しが届いていました。
梅干しと寺報に大般若札も・・・






ちょっと変わった和尚さんですが、いたって本人はまじめで
寺報には次のようなメッセージが書かれていました。

「中津市は黒田勘兵衛ブームで観光客は増えたのだが、
我が中津藩 奥平家菩提寺の自性寺(ジショウジ)には一向に
変化がない。」

自性寺の全景

自性寺の鐘楼


ようするに、中津藩主の菩提寺で由緒ある寺院にも関わらず
なおかつ、文化遺産の「池大雅堂」を併設する有名寺院でもあるのに
黒田勘兵衛ゆかりのところばかりが目立っているので・・・・・


早い話が、自分で黒田勘兵衛ブームを応援するために「兵糧梅」を
住職の一直和尚さんが復元?・考案?したようです。


和尚さんは中津が大好きなので自分で宣伝しているようです。


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以下に自性寺の説明を記してみる。

大分県中津市の市街地にある自性寺は、中津藩主・奥平家の先祖・奥平信昌
が1577年三河新城(愛知県)に奥平家の菩提寺として万松寺を開創したのが
始まりである。

奥平氏は信昌以降、徳川家康の外孫として重視され、藩主として各地の藩主
を務め、最後に1711年中津藩主になっている。

これに伴い、万松寺も転々と移り、1717年現在の中津に移転している。
1745年に自性寺と改名している。

1764年12代住職が赴任するにあたり、画家・池大雅夫妻を伴って自性寺に
入っている。

大雅は滞在中に40数点の書画を残し、これが現在の自性寺・大雅堂
に展示保管されている。

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同封された寺報には、大正12年から昭和6年までの「大雅堂拝観簿」の事が書かれていました。

その拝観簿には、
政治家では清浦総理大臣。若槻総理大臣。
文学では与謝野鉄幹・晶子。
経済界は別府温泉の父油屋熊八と鳥瞰図絵師の吉田初三郎が・・そのほかにも
画家・哲学者などなどが名簿に名前を連ねていると書かれていました。

是非、中津観光に行きましたら「大雅堂」を拝観して、自性寺の和尚さんが考案した
「兵糧梅」を一粒ご賞味ください。