正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

メインページは検索で「正定寺」
(HP作成は正定寺閑栖:小原壽山)
ブログはFacebookにリンクしています。

お盆に行われていた地区施餓鬼(ちくせがけ)

2013年06月20日 | 日記
今でも「施餓鬼」をセガキと云わずにセガケという
人がたくさんいます。

なぜ「セガケ」というのか分かりません。

お盆は正式には「盂蘭盆(うらぼん)」と言います。

インドの言葉でウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものです。
「逆さ吊りの苦しさから救う法要と期間」を盂蘭盆会と云います。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

お盆の法要はお釈迦さまのお弟子さんの目連尊者(もくれんそんじゃ)が
母を救う話に由来します。

目連尊者は神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち
「逆さ吊り」にされて苦しんでいると知りました。

どうしたら母親を救えるのかお釈迦さまに尋ねたところ、

お釈迦さまは
「僧が修行を終える7月15日に多くの供物をささげて、供養すれば母を救うことが出来るであろう」と
答えました。

目連尊者がお釈迦さまの教えのままにしたところ、
その功徳によって母親は極楽往生がとげられたとのことです。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

それ以来、7月15日には寺院で施餓鬼法要を行い、
父母や先祖に報恩の供養を行う事になりました。

又、仏壇のある家庭ではご先祖さまの精霊を迎える日となりました。


一部の地域で、この施餓鬼法要を「月遅れ盆」の8月15日前後に
小字地区で寄り集まり、輪番で当番を決めて行っていました。

「江河内・間庭・久留須・向船場・神内」などでは、
20年前まで行われていました。

座番の家は隣保の方と、五色の短冊や青竹・施餓鬼棚などを準備して、
家の位牌を持ち寄っていました。

夏の暑い盛りに、住職とその地域の庵主さんの4・5名で施餓鬼法要をしていました。
法要後のお斎は「そうめん」が定番でした。

「お盆合同法要」ですね。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

時代と共に、お盆の法要は個別にお参りするのが一般的になり、
「地区施餓鬼」は消えて行きました。

※宇目は今でも「地区施餓鬼」があります。

正定寺では秋の彼岸に「山門施餓鬼会」を行うようになりました。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

その「地区施餓鬼帳」がお寺に保管されています。





帳面には施主(供養主)や法要の会計簿もちゃんと付け出されて
いました。



お盆の行事は1400年前の推古天皇の時代より続く年中行事です。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿