今から400年ほど前の慶長6年(1601)に
毛利高政が佐伯藩を治めることになりました。
菩提寺として養賢寺を建立して
以前からあった禅宗の寺院は
全て養賢寺の法脈を継ぎ養賢寺の末寺
として昭和初期まで続きました。
佐伯市で一番古い寺院は毛利家以前の
藩主佐伯家が建立した龍護寺と言われています。
旧南海部郡の寺院は養賢寺よりも古いのですが
養賢寺のように士族など有力な檀家を持たなかったので
郡部の場合は、信徒数の多少でその寺院の格付けが行われました。
※旧宇目町は除く
佐伯市内の妙心寺派の寺院は
必ず歴代祖師(代々の和尚さん)の中に
養賢寺の住職がいます。
自分のお寺はどうなのかこちらで
わかります。
正定寺のホームページは他の寺院の
檀家さんにも勉強になるように作っています。
(自賛
)
載っていない妙心寺派は法脈がはっきりしない
のでカットしています。
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∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
旧南海部郡には士族がいないと書きましたが
士族は役人さんなので出先勤務の方々もいます。
その方々が城下に戻らず居住するケースもあったようです。
正定寺の檀家さんにも「はきら」さんと言う名字の方が
います。住んでいる場所は、佐伯家の出城があった場所です。
毛利家が治める以前の事です。
龍護寺の山号は「羽明山(はみょうざん)」と言います。
佐伯家の家老が名乗った名字だそうです。
羽明(はきら)と読みます。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
正定寺の二代目の嫁が私のおばあさんになります。
とても優しくて読み書きができて、旧佐伯市内の
船頭町浜丁から嫁いできました。
商家の出身で老舗の料亭などが並ぶ界隈だったので
粋な唄も知っていました。
姑にあたる初代の寺庭(お寺の奥さん)は士族の
出身でした。
姑が士族で嫁が商家では当時の時代背景では
歴然とした身分の差があったと思われます。
その姑が使っていた「かんざし・櫛」が
入っていた箱がこちらです。
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箱の底と蓋の裏に毛利家の家紋と
「毛利 留守居方」と書かれています。
この士族出身のお里に、MCえいちゃんの叔母さんが嫁いでいます。
ただ、現在の寺族はこの士族出身の寺庭さんとは血縁がありません。
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毛利高政が佐伯藩を治めることになりました。
菩提寺として養賢寺を建立して
以前からあった禅宗の寺院は
全て養賢寺の法脈を継ぎ養賢寺の末寺
として昭和初期まで続きました。
佐伯市で一番古い寺院は毛利家以前の
藩主佐伯家が建立した龍護寺と言われています。
旧南海部郡の寺院は養賢寺よりも古いのですが
養賢寺のように士族など有力な檀家を持たなかったので
郡部の場合は、信徒数の多少でその寺院の格付けが行われました。
※旧宇目町は除く
佐伯市内の妙心寺派の寺院は
必ず歴代祖師(代々の和尚さん)の中に
養賢寺の住職がいます。
自分のお寺はどうなのかこちらで
わかります。
正定寺のホームページは他の寺院の
檀家さんにも勉強になるように作っています。
(自賛
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載っていない妙心寺派は法脈がはっきりしない
のでカットしています。
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旧南海部郡には士族がいないと書きましたが
士族は役人さんなので出先勤務の方々もいます。
その方々が城下に戻らず居住するケースもあったようです。
正定寺の檀家さんにも「はきら」さんと言う名字の方が
います。住んでいる場所は、佐伯家の出城があった場所です。
毛利家が治める以前の事です。
龍護寺の山号は「羽明山(はみょうざん)」と言います。
佐伯家の家老が名乗った名字だそうです。
羽明(はきら)と読みます。
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正定寺の二代目の嫁が私のおばあさんになります。
とても優しくて読み書きができて、旧佐伯市内の
船頭町浜丁から嫁いできました。
商家の出身で老舗の料亭などが並ぶ界隈だったので
粋な唄も知っていました。
姑にあたる初代の寺庭(お寺の奥さん)は士族の
出身でした。
姑が士族で嫁が商家では当時の時代背景では
歴然とした身分の差があったと思われます。
その姑が使っていた「かんざし・櫛」が
入っていた箱がこちらです。
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箱の底と蓋の裏に毛利家の家紋と
「毛利 留守居方」と書かれています。
この士族出身のお里に、MCえいちゃんの叔母さんが嫁いでいます。
ただ、現在の寺族はこの士族出身の寺庭さんとは血縁がありません。
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