臨済宗妙心寺派の専門道場で
養賢寺と言うお寺が佐伯市にあります。
その養賢寺の第19世の老師で天慧智門和尚
(天保3年~明治42年 1832-1909)と言う方がいました。
号を鼎山人・鼎道人・黄鉉人などと称して
欄の花や墨跡を佐伯市内に数多く残して
います。
その和尚さんは下記の号も使っていました。
その号が読めなくて困っています。
私の予想では「駒玄」・「駟玄」・「釣玄」などかな?
又どうして、そのような号を使っていたのかも
知りたいと思っています。
「鼎山人・鼎道人」などは養賢寺が
「龍鼎山」という山号なので使っていたのだと
推測ができます。
黄鉉人は「鼎に黄耳あり金鉉あり」から
取ったのだと推測ができますが、
写真の号の推測さえできなくて困っています。
誰か教えてください。
なんて書いているのか!

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養賢寺と言うお寺が佐伯市にあります。
その養賢寺の第19世の老師で天慧智門和尚
(天保3年~明治42年 1832-1909)と言う方がいました。
号を鼎山人・鼎道人・黄鉉人などと称して
欄の花や墨跡を佐伯市内に数多く残して
います。
その和尚さんは下記の号も使っていました。
その号が読めなくて困っています。
私の予想では「駒玄」・「駟玄」・「釣玄」などかな?
又どうして、そのような号を使っていたのかも
知りたいと思っています。
「鼎山人・鼎道人」などは養賢寺が
「龍鼎山」という山号なので使っていたのだと
推測ができます。
黄鉉人は「鼎に黄耳あり金鉉あり」から
取ったのだと推測ができますが、
写真の号の推測さえできなくて困っています。
誰か教えてください。
なんて書いているのか!
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