正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

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現実にあるんですね

2013年02月17日 | 日記
檀家さんのご主人が相談にこられました。

このご主人は、養子さんでお里は、
同じ妙心寺派で隣町のお寺さんの檀家さんです。

相談内容は、先日お里のおいごさんが佐伯市から
1時間30分ほどの大分市で亡くなったそうです。

喪主は、おいごさんの奥さんが行ったそうです。

葬儀に参列した相談者は、少し違和感が在ったそうでが
喪主が行う葬儀なので他の親族と同じように、
ただ手を合わせていたと言います。

でも、
葬儀を行う和尚さんが昔から見慣れた
菩提寺の和尚さんではなく、
見かけない和尚さんだったので、

葬儀のあと、喪主に聞くと

「ちゃんと我が家の宗旨を知っていたので、
 禅宗のお寺さんを葬儀社さんから手配していただきました。」

と言ったそうです。


位牌や戒名もあって、立派な葬儀が行われたと、
遺族も親族も思っていたそうです。

ここからがトラブルの相談になります。

3月に四十九日の法要を大分市の和尚さんに
行ってもらい、
次の日に隣町にあるお里のお墓に納骨する
予定だそうです。

納骨を行うのに、
お里の菩提寺へ納骨のお経をお願いしたら
断られたと言うのです。

私に
「和尚さんどうしたら良いでしょうか?」

との相談でした。

隣町の菩提寺の和尚さんの平素の
布教活動が出来ていないから
檀家さんが他のお寺さんに弔いの依頼をするのだ。

と言えば和尚さんの反論はありません。
確かにそうなのですから。

喪主のお嫁さんは、

「ご先祖さんと同じ宗旨で葬儀をしたので、
ご先祖さまに背いた法要はしていない。」と
考えているようです。

確かに・・。


遺族や相談者は、
納骨を断る菩提寺の和尚さんに少しご立腹のようでした。

仏さまのお心で人に接して、家族を失い悲しみの
中で納骨する遺族を救うお心がない。

と言われていました。

葬儀を行った大分市の和尚さんの配慮が足りなかったのか。

いつ頃からこんな話しを良く聞くようになったのでしょうか?




平素の布教がやっぱり大切ですね。

最近、本当に良く聞く現実のお話です。

でも、どこか間違っている気がします。

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