微差を積み重ねること、始末をきちんとする事を目指します。悩まずに行動に移します。
毎日0.1%でも
氏神様参拝405
おはようございます
今朝は参拝お休みです。
氏神様参拝404、玄米食485、縄跳び025です。
アーユルヴェーダ習慣091です。
ジョギングは2日に一回です。
ジョギング007です。
今朝は緊急アラートが放送されてました。
北海道付近の方避難してくださいということでしたが、範囲がとても広いですね。
衛星から撃たれたものを確認して、範囲を予測するのでしょうからそれでもすごいですが。
結局日本は平和で自然に恵まれた黄金の国ですから、魅力的なのかと思います。
でも何もなくてよかったです。
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EBPM(evidence based policy making)に関する本を読んでいるところですが、このevidence basedを「科学的根拠に基づく」、という風に説明しています。
科学的根拠に基づく、とはどういうことかというと、人間に生来ある(個人的な)認知のバイアスを取り除いて結果が出る、と言ったような意味と理解できます。
業による認知の癖にとらわれないように物事を認識していこう、という考え方のように思えます。
神様(霊的存在のうち、癖がなく高い次元におられる方々)は低次の執着や欲に囚われない存在と見ることができます。私たちの文化は、神社に参拝したり、仏様を拝むことで、業のとらわれから自由な状態を感じることによりケガレを取り除き、精神性を高めることでより良い人生を歩み社会を作るという文化だというように感じています。
それに対して西欧の文化では、事象を良く観察して、その事象の法則性を記録することにより分析して、客観的な事象と主観的な事象を切り分けて、客観的な事象について理論を当てはめて再現性を高めるという手法を取ります。
人間から業を取り除く、という理念ではなく、人間の罪を前提として、その中で合理的に社会を運営するという理念です。このデータの仕組みを全世界に構築して、客観的に状況を判断できる人材かどうかが試されているように思います。新しい序列です。
客観的に状況を判断できる、というのは仏教でいう出離と同じようなものと理解していますが、それが現代のノアの方舟なのだと思います。
囚われていると船に乗り遅れるのかな、と思ったりします。
神仏に感謝できる方は、気づきが得られるように思います。
倫理なくデータを使うことや、データの捏造は契約社会では受け入れられないように思ったりもします。地道に勉強していきたいと思います。
今日もありがとうございます😊🙇♀️
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