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八百万とは

おはようございます

色々と疑心暗鬼を誘うようなことを次々と行う技がございます。心に揺さぶりをかけて下さり、その信心如何か、と問うて下さいます。今のところの個人的な信心についての話です。

なぜ、一つの神様ではないのか?などの問いがございます。私は、古来から八百万の神様たちの国であったように理解しております。それぞれの土地の風土というものがありまして、元は仏教の神様だって氏神様として祀られてきたのです。

そこをお治め下さって、天津神様は大変尊いことなのだと感謝しております。

全てのみこころに神仏がおられる、というのが私の思うところでございます。

私たちは、表面上はところどころ得意なことと不得意なところがありまして、得意を活かしあって不得意を補いあいます。そうして社会を営んできて今の世の中になって参りました。

和を持って尊しとなす。とも言えるように思います。

ですから、それぞれの場所で力を発揮することが重要でございます。

最近は情報量が増えて、各人に合う考えを受けることができるので、よりきめ細やかな八百万となっているのではないでしょうか?

ですから私は、「あなたの得意なことは何ですか?」と問うのです。自分にも周囲の方にも。その中で必要なことを行って参ります。

相手、周囲、社会があってこその自分の力ですから、その出し方は喜ばれるように調整する必要がございます。
正しい、正しくないは、真理あるいは深い視点からは変わりませんが、表面上や社会の常識では変化して参ります。

そこを踏まえて物事を決めていくのですから、返答は重層的になりますが、そこを切り取って議論をするのは、危ういことであるように思います。

私は、目の前の生活をさせていただけるなら、長期的な視野で物事をみることを好みますが、リズムが合わない方はおられるでしょう。

その場合は、調整の上調和するのか、それぞれが生かせるスタイルでお仕事をするのか、それぞれの選択があるように思います。
そもそも根本的な意見の違いではなくて、視野や視点の優先順位の問題でございます。

どちらの視点に一方を引き込むということではなく、時代と共に皆微調整して参ります。

一時的な不協和音があると感じられても、本質的な対立ではないと思っております。

今日もありがとうございます😊


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励まし合って学ぶ庭

おはようございます。

色々と感ずること、考えることが多いですが、私は毎日個人的に祝詞の奏上や念誦をしておりますが、その時に何をお祈りするかといえば、関係各位の幸せでございます。

関係する方の幸せを願うことは、割と小さな時から無意識に行ってきたように思いますので、おかげでわりと長年変わり者です。
(私の)劣等感や淋しい心を利用するのはダメでございます。そもそも神様はそんなこと思われませんし、観音様は観音妙智力がございます。

大丈夫ですよ。全ての方に神仏はおられるのです。日々の仕事や生活に集中することが大切です。一生懸命努力してきたことはちゃんと知っております。

先週お寺に行った時に何となく神様が怒っておられたのはこのことでしょうか?
愛情優先で行きなさいということなのかもしれません。タロットに出てた、選択のカードですね。
私は愛情優先は当たり前すぎて、わざわざ表現しない時があります。

私は今でも変わらず、自分のことと周りの幸せを願っております。厳しくするのが愛情か、優しくするのが愛情か、の判断は時に難しいものがございます。

やっぱり「縁があるからやってみよ!」という足取りが大事です。失敗はしません。10年前も20年前も励まし合ってやってきたのです。それが何よりの証拠です。私たちは何でもできるのです。

小学校の校歌に「励まし合って学ぶ庭よ」という歌詞がありましたが、良い歌詞ですね。

いつも言葉不足で申し訳ありません。常日頃から感謝しております。

今日もありがとうございます😊



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