山の記録

35年ぶりに山に行き、昔を思い出して、
昔の山行の記録をまとめています。

井原 (昭和46年1月10日)

2008-09-16 19:45:00 | Weblog
期日:昭和46(1971)年1月10日
同行:一名(O助手)
費用:
 天神・野河内  150円
 曲淵・天神   140円
 市内電車x2   50円
 昼弁当     175円
 サラミソーセージ150円

タイム:
 08:12 天神発
 以後 記録なし

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バス代の記録から、井原山を単純に往復しているようです。
井原に登ったら、雷山に縦走するのが標準だったので、
このときは何をしていたんでしょうね?

1月だし、雪が多くて敗退したのでしょうか?
まったく覚えていません。
(20080916記)

登山靴

2008-09-08 00:21:19 | 道具
古い山の道具等を詰め込んだダンボールを開けてみると、
昔の登山靴も出てきた。


最後に履いたのはいつのことか?
30年以上前であることは間違いない。

利用後の手入れがよかったのか?それほどカビもせず、
磨けば今でも使えそうな雰囲気である。

紙箱には
 昭和44年3月27日 於 川端 サンテド体育堂
 定価 6800円 買値 6000円
と、その後の利用歴が書かれている。

箱のラベルには
 加賀美 Mount Boots
とあるが、Webで探してもこのメーカーは見つからなかった。

靴の裏側を見ると、

と、張りなおした跡が見える。

そう言えば、靴底がダメになり、張りなおしたような記憶が
あるような、ないような? 忘却の彼方ですね。
でも、この靴底のきれいさは張りなおしてるとしか思えない。
というか、張りなおしてから使っているのか?使っていないのか?
というきれいさです。

靴底に黄色のタグが
拡大すると

vibram Motorimoda の文字が

検索かけるとヒットしました。
http://www.motorimoda.com/vibram/index.html
曰く「長年の信用と実績の結晶である黄色いロゴは、世界でもっとも有名な
ソールメーカーの、トレードマークです。」だそうです。
結構メジャーなソールに張り替えているようです。
どこに頼んだのだろう?

箱の使用履歴等によると、3月27日に購入し、4月2日ころに
足慣らしのため久住・大船に行っている。そこで豆を作り、4月9日の
三郡縦走
はバッシュで、4月20日の背振・金山はこの靴で再挑戦して
いるようです。

登山用ストック

2008-09-07 02:44:02 | 道具
keiさんからの
「友のページに飛ぶと皆ストックみたいな杖を持っていますね。
あれはトレッキングに効果的なんでしょうか?」に応えて
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「35年ぶりの久住」の数年前、
それこそトレッキングというか、散歩というか、ハイキングの為に
小型のザックを買いに行って店の人に勧められたのがストックです。
昔はなかった物なのでふ~んと思いながら、1本だけ試しに買いましたが、
最近の山登り(ハイキングですが)はストックを持ってる人の方がメジャー。
それも1本(片手)ではなく、2本(両手)が標準です。

普通の山登り、
「登り」にははっきり言って不要、ジャマですが、
「降り」着地の膝の負担を減らすという意味で、確かに楽ですね。
その分、腕・肩の負担が増えますが、負担分散ですね。
今回の35年ぶりの久住でもストック1本を使っています。
2本は使いこなせないような気がして買っていません。

山屋の世界では我々みたいな素人がストックを使うことに、
賛否、功罪、種々の意見があるようです。

曲淵と野河内

2008-09-06 07:24:54 | Weblog
井原山への登山口として使われていたのが、曲淵。

記録を見ているとバス代に
 ・天神->曲淵  140円
というと時と
 ・天神->野河内 150円
という時とがあり??? どうなってんだろう?

そういや、曲淵方面に行くのは「西鉄バス」と「??バス」の
2社あったんですね。(会社名思い出しませんね)

西鉄バスの終点は曲淵小学校の前あたりだったと思いますが、
??バスはもうひとつ奥(あまり違わなかったような)まで行き、
10円高かったんだ。

今は無き福岡市内のチンチン電車が片道25円の時代ですから、
10円の差は小さくないぞ。

ちなみに高校時代のチンチン電車は片道13円。往復割引き25円。

野河内のバス停がどこだったか思い出せずにいますが、このバスは
三瀬峠を越えて(トンネルはまだ無い時代です)北山ダムまで
行っていたような気がします。

友の頁(http://www.sannoh.co.jp/yacht/rasa/year2007/autumn/newpage3.html)
を見ると、現在の登山口は野河内渓谷を過ぎた水無の鍾乳洞のところ
みたいです。

水無には戦後引き上げて入植している人が生活していた。
曲淵から水無まで林道はあったものの、普通の乗用車で通りたい
(通れる?)道ではなかった。

曲淵から水無までが1時間ちょっと。
水無から井原山まで1時間ちょっとという記録が残っていますね。
その意味では歩く時間は昔の半分。

40年振りに再挑戦するには手ごろな距離・時間ですね。

宝満山 昭和42年初日の出

2008-09-06 01:24:27 | Weblog
同行:なし(単独)
夜9時過ぎに紅白が始まる頃、箱崎の家を出て大宰府に向かう。
天満宮を0時前に通り過ぎて、かまど神社に向うも小雨が降っている。

かまど神社に着くころには本格的な雨に。
かまど神社の境内には様子見の登山客でいっぱい。

本殿でしょうか、祭殿でしょうか?、屋根のあるところが開放されており、
すでにぎゅうづめ状態だったが、一人分の空きをこじ開けて、小さく?
うずくまる。

結局、登頂はあきらめてかまど神社で夜明けまで沈没。

明るくなったところで、小雨の中、帰路へ。
ということで、この年は写真もなし。

かまど神社では数人の知人と顔を合わせた記憶はあるが、
誰だったでしょうか?

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この年度末から父が転勤族の仲間入りをし、年末年始は両親のいる処へ
行く(帰る?)ようになり、元旦のご来光登山はなくなった。

それでも近くの小高い丘には毎年行ってたんですがね。

井原・雷山(昭和46年12月5日)

2008-09-04 05:15:30 | Weblog
期日:昭和46(1971)年12月5日
天候:くもり 雨 ときどき曇り

コースタイム
 08:10 天神
 09:30 野河内 発
 10:20 水無
 10:30 第1鍾乳洞
 11:40 井原山頂
 12:25
 13:32 雷山山頂 着
 15:35 雷山スキー場 発
 16:15 雷観音 着
 18:13 前原 発

雷観音発のバスが18:20まで2時間も無いので、
前原方面に歩いていると(何キロあったんでしょうね)、
(地図で計ってみると直線で7km程度ですね。)
小型トラックが止まって、荷台に乗せて前原まで送ってくれた。

これが山行の最後の記録となっている。

これから2008年まで37年間何してたんでしょうね?

祖母傾縦走(昭和46年10月・11月)

2008-09-04 05:14:11 | Weblog
期日:昭和46(1971)年10月31日~11月2日
同行:一名(E)

傾山頂より祖母方面
雲海の向こうには、左手祖母山の奥に阿蘇5山、右手人の奥に久住の山なみが見えている。
(古いパノラマ写真をスキャン)

五ヶ所まではいつもの夜行からの乗り換えのコース。
高森からのバスが遅れ、都留での乗り換えに間に合わず、
同じコースをめざしていた別のグループと一緒にタクシーで
五ヶ所まで入った。

コースタイム

10月31日 晴れ
 10:20 五ヶ所
 11:25 鳥居
 11:53
 12:26 ワナバの滝
 12:35
 13:00 ピーク
 13:20 三角点
 13:30
 13:42 水場
 13:48 国見峠
 14:09 水場
 14:15 九合目
 14:25
 14:28 小屋別れ
 14:38
 14:45 祖母山頂
11月1日 快晴
 06:00 小屋出発
 06:15 祖母山頂
 06:35
 07:30 クロガネ尾根
 07:40 天狗
 07:48
 08:08 障子岳
 08:15
 08:28 土呂久別れ
 09:10 古祖母
 09:25
 10:25 水場
 10:30 高圧線下通過
 10:45 尾平
 11:42
 12:00 水場
 13:08 三国岩
 13:23 本谷
 13:27 水場
 13:45
 14:40 笠松
 14:45
 15:00 遭難碑
 15:35 九折越小屋到着
11月2日
 05:15 起床
 06:16 小屋発
 07:20 傾山頂
 07:45
 08:40 小屋
 09:00
 10:43 九折
 10:55
 11:45 上畑
 11:52
 12:38 竹田駅
 12:51 急行ひまわりで帰途へ

上畑から竹田へのバスは朝1本だけ。
九折の店で竹田市内のタクシー会社に電話して、県道?の上畑まで
迎えに来てもらうように連絡し、それから1時間ほど歩いて上畑に
着くころにタクシーもやってくる、という感じです。


祖母登山口について(2010年9月記)

久住(昭和46年10月)

2008-09-04 05:12:28 | Weblog
期日:昭和46(1971)年10月3日
天候: 晴れ
コースタイム
 牧ノ戸  09:15発
 久住山頂 10:40着
      11:15発
 牧ノ戸  12:20着

何しに、誰と行ったんでしょう?記録なし。
昼飯前のひと運動という感じですね。

記録に残っている最後の久住です。

井原・雷山(昭和46年9月15日)

2008-09-04 05:08:02 | Weblog
期日:昭和46(1971)年9月15日
天候:曇りのち晴れ
同行:二名以上(二名の教官の名前が明記されている)
コースタイム
 野河内  09:42発
 二股瀬  09:55
 川渡   10:25
      10:35
 林道出会い10:50
 水無   11:15
 第1鍾乳洞11:20
      11:30
 尾根取付 12:20 (沢との別れ)
      12:30
 井原山頂 12:57
      13:45
 雷山山頂 14:52
      15:35
 雷観音  16:40着
      17:20発のバス

費用:
 弁当    100円
 市内電車   50円(天神までの往復)
 天神・曲淵 140円
 雷観音天神 200円

北ア 表銀座(昭和46年7月)

2008-09-04 05:06:33 | Weblog


期日:昭和46(1971)年7月25日~30日
同行:一名

7月25日
 博多   09:15発(特急つばめ)
 名古屋  20:56着
      23:35発 鈍行?急行?特急?
7月26日
 有明   04:13着
      04:30発 バス
 中房温泉 05:30着 天候 雨、気温 19.5度
      06:36発
 第1ベンチ07:05通過
 第2ベンチ07:30着
      07:42発
 第3ベンチ08:50着
      08:55発
 合戦小屋 09:27着
      10:15発
 合戦の頭 10:30通過
 燕山荘  11:00到着

7月27日 晴れのち曇り
      05:45発(空荷で往復)
 燕山頂  06:00着
      06:15発
 燕山荘  06:25着
      06:56発
 喜作レリーフ 08:23
 大天井ヒュッテ09:03
      09:30
 ヒュッテ西岳 11:15
      12:40 ???11:40の誤りか?
 水俣乗越 12:40
      12:50
 ヒュッテ大槍 14:20
      14:30
 槍が岳山荘 15:15着

7月28日 晴れ
 山荘   06:50発
 槍沢ヒュッテ 09:50
      10:10
 涸沢新道 12:55
 涸沢小屋 15:30着

7月29日 晴れ
 小屋   06:30発
 穂高小屋 07:45
      08:05
 奥穂高  08:35
      09:45
 穂高小屋 10:15
      10:25
 涸沢   11:48
      13:00
 横尾   15:05
      15:20
 上高地  17:35

7月30日
 松本経由で東京へ

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前年の西銀座(立山・槍)の時と同じく、
山の上で梅雨明けに遭遇した。

26日燕への登りは土砂降りとは言わないが、本降りの雨の中を
登った。昼前に小屋に入り、雨が止むのを祈っていた。

明日も雨だったら? もう一日、小屋に沈殿するか?
それでも雨だったら? 山を降りるか? という感じに思っていた。

それが、27日早朝、雲が下がった。雲海だ! 南アの山の横に
誰が見てもすぐにわかる富士山の頂きも見えいている。
 雲海の上に浮かぶ富士山



燕山頂より、東鎌尾根の先に槍、さらに左に南鎌尾根の先に奥穂高、前穂

これが梅雨明けだった。
俗に「梅雨明け十日(は晴れ)」というが、その通りだった。

北アの「表銀座」というので、大したことなかろう、素人向けと思って
いましたが、大天井から槍まで結構のアップダウン。

垂直に近い結構長い梯子にはいくらかビビりました。

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(2008.09.05) 友人(リワキーノ)が写真をPhotoshopで修正してくれたので、差し替えしました。