山の記録

35年ぶりに山に行き、昔を思い出して、
昔の山行の記録をまとめています。

北ア 槍・穂高(昭和43年7月20日~25日)

2008-09-04 04:43:57 | Weblog
北ア 槍・穂高(昭和43年7月20日~25日)
期日:昭和43(1968)年7月20日~25日
同行:一人(手打ち庵)

初めての北アルプス

7月20日
09:15特急つばめで福岡をたつ。
計画の途中でKが降り、こちらも不安になる。

名古屋におりるとすごい行列。
発車の3時間も前から数百人。席が取れるか不安。

なんとか席を取るも、なかなか眠れず。うとうとを繰り返すうちに

7月21日
03:30 松本着。手打ち庵と合流。
新島々でバスの出発を見送り、徳本峠を目指すも、
ひょんなことからタクシー1000円で上高地へ。

予定変更し、大正池でおろしてもらい、
のんびり朝の散歩をする。

朝もやの残る大正池、それに映る穂高はすばらしい。
  大正池より穂高

田代池は後にし、梓川に沿って歩く。
標高1500mと云えども暑い。
水の冷たさにおどろき、穂高に感激してザックの重さを忘れる。

  河童橋より穂高

写真でたびたび見ていた河童橋に出る。
人の多さにビックリ。バス停がこの少し下にあるとか。
団体旅行のミニスカートのかわいい娘。
穂高を眺めていつまでも座っていたい。

河童橋より明神、徳沢、横尾と平坦な道を飛ばす。
ガイドブックの8割くらい。
それでも上高地発が遅く、横尾到着は正午ごろ。

途中、山岳部のザックにビックリ。少なくとも2倍か、3倍くらい
かついでいる者もあり、ほんとにヒーヒー言って歩いている。

昨日の転落事故(九大山岳部)らしき者が車でおろされて行くのに出会う。
やはり好い気持ちではない。

夜行の疲れも出てきて、泊まることにする。
河原の岩のゴツゴツしたところにテントを張り、まずは昼寝。

夜8時ころ騒いでいるパーティに「うるさい」と怒鳴って、
21日の夜は更けていく。

7月22日
明けて22日も快晴。
本日の予定は槍まで。のんびり行きましょう。

横尾よりようやく山道らしくなる。
しばらくはササを分け、林に囲まれて小沢を渡り、と涼しいみちでもあった。

一の俣の丸木橋をおっかなびっくり。
二の俣のつり橋を揺らしながら渡る。
ここらより傾斜もきつくなる。
汗はタラタラ。

  槍沢の雪渓

涼しい風が吹いてきたな!と思うと槍沢小屋に出た。
雪渓を目の前にしてオー!・・・

のんびり休んで腹ごしらえ。
小屋で聞くと、今年は雪解けが半月遅いとのこと。
槍沢小屋のほんの先から始まっている。

雪渓の下を水がゴーゴーと流れていると思うとムズムズしてくる。

夏山の雪渓などたかが知れてると!と思っていたのは大間違い。
雪上訓練の無さが響く。
キックステップが一歩一歩続く。
ときどき滑って手をついて止まる。
これが槍まで延々4時間も続く。
もう雪を見るのはイヤダ!と叫びたくなる。

バテ気味で殺生ヒュッテに着く。
キャンプ場はヒュッテの横。

下から眺める槍は素晴らしい!

  殺生ヒュッテのテント場 槍の真下

夜半、Iがトイレに抜け出して叫んだ。「星が多いぞ!」

7月23日
日の出に槍に登るのはやめ、のんびり朝食。
明け方の寒さは厳しい。
キルティングを着ていてもガタガタ。
コンロに点火してほっと一息。
テントの中から富士山が雲の上に顔を出しているのを眺める。

  槍より穂高方面(寝るな!起きろ!)

やったぜ 3180m! 日本第5位。
初めての3000m、いや2000m越えるのも初めて。
高一の長期計画では大学一年で登るつもりだったのが、
2年も遅れてしまった。
あとどれだけ登れるやら・・・

=====
アルバム上の写真、メモはここで終わっている。

このあと、南鎌尾根を穂高に向う。
南岳からいよいよ大キレット、その向こうには北穂があるはず。
それがガスって何も見えない。
キレットは明日にして、南岳の小屋に素泊まり。

天候はますます悪くなる。
隙間から吹いていくる風は湿気を含んだものから、小雨混じりに。

翌朝も雨雲の中にあった。
体調も今一。
高度にうまく順応できなかったようで、体がむくんでいる。
げんこつを握っても、手の甲の指の関節のデコボコができず、
ドラえもんの手のように丸くなっている。

穂高をあきらめて、降りることにする。
同じ結論を出した松山(?)の二人連れのパーティと一緒に、
南岳から槍沢へのルートをとることにした。

このルートはあまり使われていないルート、さらに今年は雪が多い、
ということで、ルートを探すのに結構時間がかかる。

松山のパーティと隣り合わせで徳沢でテントを張る。
元気なもので、1500mにおりてくると、先ほどのむくみは
とれている。げんこつの甲にもデコボコが戻ってきた。

上高地・河童橋はミニスカート・ハイヒールの世界。
明神までは散歩の範囲。スニーカーの世界、たまにヒールもいる。
徳沢になるとさすがにスカートはいなくなるが、まだ観光客もいる。
徳沢の小屋(宿)、徳沢園は「氷壁の宿」として有名になっているが、
ここはまだ「宿」と言える。(その上の横尾は「小屋」ですね。)

早めの夕食をして、松山のパーティと話していると、
徳沢園の小屋から父親と娘の二人連れが話しかけてきた。
嫁入り前の親子での最後の旅行だそうだ。
キャンプファイヤーをやったことがないという、お父さんの希望を
かなえるべく、山から下りてきた我々4人と、その親娘でミニキャンプファイヤ。
マキはお父さんが徳沢園から園の人と運んでくれた。

徳沢と云えども山を目指す人の夜は早いので、8時ころには終了。
30年後には私もと思ったものだが、35年後に娘が結婚する時には、
そんなことは忘れてしまっていた。

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2 コメント

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おわび(笑) (K)
2013-08-30 13:22:28
>計画の途中でKが降り、こちらも不安になる。

これが小生ですか!?
ごめん!!!

この頃の貴兄は怖いものなしだ。
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その通り (t2)
2013-08-30 17:45:14
昔もK、今もKですよ!
返信する

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