常陸の国の片隅で…。

鉄の話とか日々のこととか

私鉄の荷物電車

2013-12-02 02:24:29 | 鉄ばなし
今となっては完全に死語ですが…

記憶を辿ると、荷物電車の類は見ているようで見ていないような…。
荷物扱いしない「事業用車」などに括りを広げてみても、そんなに多く目にしていないかも。

東急、小田急、京王、京急…位だろうか??

首都圏で言えば、西武は間に合わなかったし、東武・京成・相鉄はまだ行動の範囲外。
まさか、相鉄の荷物電車だった車を旅客車に再登板させたものと後に関わり持つとは思わなかったけど。

関西私鉄やほかの地域の私鉄のこの手の車も、実はほとんどお目にかかったことがない。
というのも、特定の私鉄を除いて、車庫や工場といったところに見物しに行ったこともそれほどないから。

興味が無かったわけではないけれど、タイトにあちこち見て回るので手一杯だったのかも知れない。


模型でネタになりそうなのがあったり、以前作りかけで失敗してしまったものを発掘してしまったりと心が動かされるような事象が幾つかあって、ちょっと気になりだしている。





ブルートレイン全廃!?

2013-11-14 03:28:11 | 鉄ばなし
いろんな見方があるとは思うんだけど…。

個人的には、よく今まで持たせられたなあ…という感じかなあ?
そりゃあ、なくなってしまうことに一抹の寂しさはあるけど、ブルートレインに限らず夜行列車というものと、今の日本の実情との乖離がこうも大きいと。
鉄道会社の責任云々…ってことでは済まない要素が、多すぎるのではないだろうかと。

地域差はあるとして、国内航空路や新幹線、高速バスがこれだけ充実しているわけだし、実際羽田と千歳を結ぶ航空路線は旅客数世界一になってから随分経つわけで。



一度くらいは、ブルートレインの車中で誰かと一献…位はしてみたかったかなあ?
若い頃、何度も乗ってはいるけれど、単独行だったので。


ひたち号50年

2013-09-14 17:25:18 | 鉄ばなし
来月、タイトルの如きイベントがあるので、はあ?となってしまったんだけど、特急ひたちではなく、列車名としての「ひたち」登場50年ということで納得。
ちょっとややこしいのだけど、「ひたち」の愛称が一番最初に使われたのは、特急ではなく「準急」だから。

昭和38年10月、平(現在のいわき)までの電化開業に伴って、当時の常磐線中距離輸送の要だった準急「ときわ」系統も大幅に電車化されたんだけど、そのうちの1往復だけ全席座席指定となり、区別するためにこの列車に「ひたち」と言う愛称を付けたのが起源。

昭和41年に「ときわ」共々急行になり、翌42年に「ときわ」に統合されていったん消滅。


次に「ひたち」の名が登場するのは、昭和44年。

初の常磐線線内特急としての再登場。1日1往復、しかも毎日運転ながら季節列車の扱い。
これには理由があって、同時に運転開始となった上越・羽越本線経由の秋田特急「いなほ」と運用が背中合わせだったため。(翌年のダイヤ改正で定期列車になる)

上り「いなほ」で上京した編成が、折り返し下り「ひたち」となり、平で滞泊。
翌日上り「ひたち」で上京して、折り返し下り「いなほ」となって秋田に帰還するパターン。
車両は、まだ羽越本線が非電化だったため、秋田機関区のキハ80系(先頭はキハ81)。

冬の大雪対策として、この運用が組まれていた当時は「特発対応」として、急行型の451・453系電車が上野駅に近い尾久で1編成待機しているよう運用が組まれていた。

ちなみにこのときのキハ80系のヘッドマークにのみ、ひらがなの「ひたち」の下に漢字で小さく「常陸」と併記されていた。


「ひたち」が483・485系電車化されたのは、昭和47年10月のダイヤ改正。
当初は「あいづ」の運用と紐付けされた9両編成だけだったものの、やがて「ひばり」運用と紐付けされた12両編成も登場。このあとダイヤ改正毎に急行「ときわ」系統の「ひたち」へのシフトが進む…。


このあと、急行全廃、分割・民営化、「スーパーひたち」登場…などと歴史は辿って行くのですが、そこまで書くとキリがなくなってしまうので、今回はこのあたりで…。




「池上線」と「チン電」

2013-08-25 04:10:33 | 鉄ばなし


こんな言い方をしちゃうと、なんだか自分も年寄りみたくなっちゃうんだけど…
私の趣味のルーツにまつわる話。


…生まれて小学校に上がるまで育ったのが、品川区の平塚。
東急池上線の戸越銀座と東急目蒲線(現・目黒線)の武蔵小山のほぼ真ん中あたりに住んでいた。
どちらも、勿論今でも都内でも屈指の商店街だけど、昔はもっと活気があったというか…

買い物に出掛けるとなると、だいたいこのどちらかで、たまに荏原中延の駅周辺…みたいな感覚。
まれに少し足を伸ばして、田園都市線(現・大井町線)の戸越公園や大井町辺りにという他は、母親の叔母がやっていた店が西馬込にあったから、たまにそこに地下鉄都営1号線(現・都営浅草線)で連れられて行った程度。

ところが…

母親が、自分と弟を連れて実家へ帰省するとなると、茨城県の日立市までの壮大な冒険になるわけで…
で、その実家というのがちょっと距離はあるけど、家にいながらにして、常磐線と数年前に廃止になった日立電鉄の線路が見える…という何ともまあ鉄的情操教育(笑)には打ってつけというか…

そんな環境で趣味に目覚めたものだから、実は割と何でもイケてしまうというのか、同じ趣味の他の方のように明確な線引きというかカテゴライズされてないのかなあと自分で自分のことを思ってみたりもする。
今となっては、「古物好き」には違いないんだけど…
でも、そんなに何でもかんでも首突っ込むって事もないんだけど…。

「チン電」とは何ぞや??と言われるとアレなので説明すると、日立電鉄線のことを地元の人は「チンチン電車」と言っていた。いつの間にかそれが縮まって「チン電」になっていた…と言うわけ。



だからなのか、あの頃の池上線や目蒲線、そして今はなくなってしまった日立電鉄の電車に関しては既製品を活かすにしても、自分なりの味付けというかそういうのを盛り込みたいなあと言うのは思うとこでして。
池上線や目蒲線はともかくとして、日立電鉄の電車が立体パズルを組み合わせるようなことをしてでも、「改造で作れる」ようになったことはすごく大きいなあと。

ということで、趣味や模型のネタに関してはその手の話が多くなろうとは思いますが、ご笑覧頂ければ幸甚です。