常陸の国の片隅で…。

鉄の話とか日々のこととか

車高短ブギ

2013-09-26 20:39:36 | 模型のはなし



だいぶ前に、mixiの日記にこの写真付きで書いた事あるんだけど、あの時は軽いノリだった。
今もそれは大して変わらないんだけど、中身が膨らんで来ているというか、少しずつまとまりの無かったモノが繋がりつつあるというのか、その途上です。

モデモの京福嵐電の足回りに、改造計画の変更で宙に浮いた鉄コレ旧南武100のボディを載せてやると可愛い電車になった。

これで二年ほどほったらかしだったんだけど、このところヘビーな実在の電車たちの製作の傍らで路面モジュール再構築計画とかとリンクさせたらおもしろいかな?と思い始めたところへ、メーカーさんからのとどめの一撃…。

「路面電車用プラットホーム新発売!」

またしても、パズルのピースは繋がる。
(まだ手にしてはいないけど…)

嵐電は嵐電で楽しめるのだけど、関東から実質離れたことが無く関西で生活したことのない自分が「地面」を作ることにはなにか躊躇いがあって、やはり地元の方にはかなわない。

ならば、自分なりのツールとして生かしつつ、そのエッセンスを取り込みながらも自分なりの遊び方を模索してみよう…ということに。


今の所は、嵐電の足回りを基準に大きさの合う独自のデザインを持つ電車たちを考え始めたところ。
新旧取り混ぜて10両くらいはいけそうです。
じつは、他の改造で発生するジャンクとなるボディ端材とかの再利用という側面もある。

路線の全貌や地域とか、まだまだ決めていないことも山ほどありますが、少しずつでも、自分の心象鉄道というか俺様電鉄の一社として披露できるようなモノにしてみたいとは思っています。

ドライブしたいなあ…

2013-09-23 17:48:18 | 日記


これは、去年まで仕事として乗ってたクルマのコクピット(笑)なんだけど、そういうの抜きにして久しくプライベートでハンドル握る機会を失ってから結構な時が経つ…。
というより外出自体ほぼ出来ない。

このまま朽ちるのみなのかなあ?

ブログ始めて四週間

2013-09-22 13:01:26 | 日記
虫の声にあわせて、テンプレート変えました。


気が付いたら、ブログを開設して一月弱。
書き始めてはみたものの、なかなかコンスタントに上げられず、書いては消し…の繰り返しも恥ずかしながら実は結構しています。

なかなか外出すらままならないし、デジカメはあるけどそれを上げられる環境でもないので、なかなか人様のブログのようには行かないのですが、無理に背伸びしてもどこかでしっぺ返しはあろうと思うので、今の自分に出来ることしかしていません。

のんびり、コーヒーを飲みつつ、時に煙草をくゆらせながら、まったりと話がしたい…

一応、目標はそれなんですが…果たして?

まあ、まだ振り返るよりも、小出しでも良いから綴っていくことの方が大事ですね。
まだまだ試行錯誤していますが…。

路線の歴史、風景の歴史と、地面作りのなんか変…

2013-09-18 00:57:03 | 模型のはなし


ここ何日か、模型いじりはお休み中。
机の上と頭の中がちょっと雑然とし過ぎたので、どちらも交通整理が必要かな?と感じたので。

一寸コーヒーブレイク…ではないですが、余計な話を幾つか。

自分が地面ネタをやるときに、一番注意しているのは、自分がその地面に降り立ってみて、物理的な無理がないかなあといろんな立場に立って考えてみること。

歩行者だったり、道路を走る車のドライバーだったり、はたまたそこを走る電車の乗務員だったり…。

有り得ないところに、有り得ない道路標識が建っていたり、鉄道絡みの標識や信号機が実は(模型の)乗務員からは視認できないところに建っていたりする…なんてのはよくある話。
自分自身、身に覚えのない話ではない。

それに気づかされたのは、ある映画のシーン。

製作上の理由で、仕方ない面とかを大きく割り引いても、かき集めたいにしえのクルマがひしめく街の景色の中に何かが足りない…
街路樹までご丁寧に植わっているのに、信号機は有るけど道路標識の類がほとんど見あたらない…

そっか、そういうことか…
それでようやく気がついた次第…。


閑話休題。

これらはこの後の話になるけど、今後作る予定のモジュールにその路線や街の歩んできた歴史というか変化みたいなものを連作する中でキチンと織り込んでやりたいなあ…というのがあります。
一つの会社、一つの路線としてはトータルで統一されてるけど、個々を見ると違って見えるというか、実在の鉄道路線の設備とかもそうだけど、今現在ある姿はそこに行き着くまでの過程があるのがほとんどなので、そういったことを自分なりに表現してみたいなあと思っています。

単発の行きあたりばったりな事が多かったので、考えてみることないまま作っていたのですが、自分なりの「俺様電鉄」のストーリーやシナリオ、キャストを考えるようになってそのあたりの要素も大事だなあと思うようになって、どうも模型づくりの手を止めた一因でもあったようです。

そのあたりを少しまとめて、頭の中片づけたらまた切った貼ったを再開させるとしましょう。








ひたち号50年

2013-09-14 17:25:18 | 鉄ばなし
来月、タイトルの如きイベントがあるので、はあ?となってしまったんだけど、特急ひたちではなく、列車名としての「ひたち」登場50年ということで納得。
ちょっとややこしいのだけど、「ひたち」の愛称が一番最初に使われたのは、特急ではなく「準急」だから。

昭和38年10月、平(現在のいわき)までの電化開業に伴って、当時の常磐線中距離輸送の要だった準急「ときわ」系統も大幅に電車化されたんだけど、そのうちの1往復だけ全席座席指定となり、区別するためにこの列車に「ひたち」と言う愛称を付けたのが起源。

昭和41年に「ときわ」共々急行になり、翌42年に「ときわ」に統合されていったん消滅。


次に「ひたち」の名が登場するのは、昭和44年。

初の常磐線線内特急としての再登場。1日1往復、しかも毎日運転ながら季節列車の扱い。
これには理由があって、同時に運転開始となった上越・羽越本線経由の秋田特急「いなほ」と運用が背中合わせだったため。(翌年のダイヤ改正で定期列車になる)

上り「いなほ」で上京した編成が、折り返し下り「ひたち」となり、平で滞泊。
翌日上り「ひたち」で上京して、折り返し下り「いなほ」となって秋田に帰還するパターン。
車両は、まだ羽越本線が非電化だったため、秋田機関区のキハ80系(先頭はキハ81)。

冬の大雪対策として、この運用が組まれていた当時は「特発対応」として、急行型の451・453系電車が上野駅に近い尾久で1編成待機しているよう運用が組まれていた。

ちなみにこのときのキハ80系のヘッドマークにのみ、ひらがなの「ひたち」の下に漢字で小さく「常陸」と併記されていた。


「ひたち」が483・485系電車化されたのは、昭和47年10月のダイヤ改正。
当初は「あいづ」の運用と紐付けされた9両編成だけだったものの、やがて「ひばり」運用と紐付けされた12両編成も登場。このあとダイヤ改正毎に急行「ときわ」系統の「ひたち」へのシフトが進む…。


このあと、急行全廃、分割・民営化、「スーパーひたち」登場…などと歴史は辿って行くのですが、そこまで書くとキリがなくなってしまうので、今回はこのあたりで…。