「もうそろそろ帰ろうか。パパの晩御飯も作らなきゃならないし。」
パパというのは自分の夫のことを指しているのだろう。私はわかったが、わざととぼけてみた。
「パパって誰のこと。お母さんのお父さんのこと。」
母は私のことを馬鹿じゃないのというような目で見た。
「あなたのお父さんに決まってるでしょ。」
あれ、私は母の娘に戻っているようだ。
「私は誰でしょう。」
母はますます馬鹿じゃないのという顔をした。
「あなたふざけているの、真理子。家に帰るのよ。」
正解。母は私を娘と認識していた。でも、帰る場所は不正解。母は自分の実家に帰るのだ。そこにはあなたの夫はいないのよと私は物悲しく思った。父は仕事にかこつけて、自分の妻を放り出したのだ。こんな風に母を追い込んだのは父だというのに。妻を壊してしまったのは自分だというのに。生活費を出してくれるだけ、ましというものだろうか。お金の問題に頭を悩まさなくていいのは、まだ恵まれているほうだろう。私はそう思うしかなかった。そう思わなければ、父を憎むことに力を使ってしまう。母との生活でいっぱいいっぱいだった私はそんな心の余裕はなかった。父にはお金以外は何も求めなかった。そう割り切ることで、父との感情の軋轢を回避していた。でも、今ははっきりと言える。私は父を軽蔑している。父は自分の責任をお金で放棄した。父は母と向かい合うことができなかった。ひいては自分の生き方とも向かい合っていないのだ。それすらできない弱い、臆病な人間だ。どんなに傲慢で威圧的な態度をとられても、私は恐れなくなった。所詮は虚勢だ。私は父を冷たい目で見つめることとなった。ただ、そんな父をー愛する価値なんてないと私は思うーひたすら慕う母が哀しかった。たくさんのものを母は失った。もちろん、すべて父のせいとは言わない。しかし、その一端をになっているのは確かなのに。母はすべてを忘れ、まだ父との生活を望んでいる。私はただただ、哀しかった。私は静かに頷いた。
「じゃあ、帰る。」
「うん。」
母はうれしそうだ。
「疲れた。タクシー呼ぼうか。」
「ううん、大丈夫。」
「階段、上れる。」
「うん。」
母は手すりを持って慎重にゆっくりゆっくり上る。私たちが住んでいる家に帰り着くころには、元の家のことも父のことも忘れていることを祈りながら、私は母を見守っていた。
パパというのは自分の夫のことを指しているのだろう。私はわかったが、わざととぼけてみた。
「パパって誰のこと。お母さんのお父さんのこと。」
母は私のことを馬鹿じゃないのというような目で見た。
「あなたのお父さんに決まってるでしょ。」
あれ、私は母の娘に戻っているようだ。
「私は誰でしょう。」
母はますます馬鹿じゃないのという顔をした。
「あなたふざけているの、真理子。家に帰るのよ。」
正解。母は私を娘と認識していた。でも、帰る場所は不正解。母は自分の実家に帰るのだ。そこにはあなたの夫はいないのよと私は物悲しく思った。父は仕事にかこつけて、自分の妻を放り出したのだ。こんな風に母を追い込んだのは父だというのに。妻を壊してしまったのは自分だというのに。生活費を出してくれるだけ、ましというものだろうか。お金の問題に頭を悩まさなくていいのは、まだ恵まれているほうだろう。私はそう思うしかなかった。そう思わなければ、父を憎むことに力を使ってしまう。母との生活でいっぱいいっぱいだった私はそんな心の余裕はなかった。父にはお金以外は何も求めなかった。そう割り切ることで、父との感情の軋轢を回避していた。でも、今ははっきりと言える。私は父を軽蔑している。父は自分の責任をお金で放棄した。父は母と向かい合うことができなかった。ひいては自分の生き方とも向かい合っていないのだ。それすらできない弱い、臆病な人間だ。どんなに傲慢で威圧的な態度をとられても、私は恐れなくなった。所詮は虚勢だ。私は父を冷たい目で見つめることとなった。ただ、そんな父をー愛する価値なんてないと私は思うーひたすら慕う母が哀しかった。たくさんのものを母は失った。もちろん、すべて父のせいとは言わない。しかし、その一端をになっているのは確かなのに。母はすべてを忘れ、まだ父との生活を望んでいる。私はただただ、哀しかった。私は静かに頷いた。
「じゃあ、帰る。」
「うん。」
母はうれしそうだ。
「疲れた。タクシー呼ぼうか。」
「ううん、大丈夫。」
「階段、上れる。」
「うん。」
母は手すりを持って慎重にゆっくりゆっくり上る。私たちが住んでいる家に帰り着くころには、元の家のことも父のことも忘れていることを祈りながら、私は母を見守っていた。