中央アフリカ共和国:新たに続発する無意味な殺人
政府、平和維持部隊は保護を強化せよ
(ナイロビ、2015年10月22日)- 2015年9月25日から10月1日にかけての5日間、中央アフリカ共和国の首都バンギを見舞った宗派間暴力抗争は、少なくとも31人の民間人が狙われ殺害されることとなった。
10月7日から13日までにわたりバンギで行った目撃者への聞取り調査に基づき、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(以下HRW)は、少なくとも(恐らくはもっと多い)31人の民間人が、至近距離で射殺、刺殺、あるいは喉を掻き切られて殺されたことを明らかにした。殺人の大多数は、イスラム教徒自衛団の武装構成員によるものだが、キリスト教徒と精霊信仰者から成る反バカラグループもまた、抗争を扇動し暴力行為に加担、時にイスラム教徒との戦闘を行った。被害者の一部は自宅や避難先で焼殺され、女性9人(内1人は妊娠8ヶ月だった)と高齢男性4人も犠牲になった。HRWは、被害者が武装した男性だった別事件が、8件起きた事実も確認している。
「バンギの民間人は、再び同市を飲み込んだ残虐な宗派間抗争から、緊急に保護される必要があります」、とHRWアフリカ調査員ルイス・マッジは語った。「暫定政府と国際平和維持軍は、宗派間抗争が発生した場合、人命の損失を防ぐために素早く行動できるよう準備していなければなりません」
両コミュニティの武装グループは殺人に加えて、財産の略奪・破壊も行った。HRWは人工衛星画像を分析し、同市に存在するイスラム教徒居留地「キロメーター5」附近の住宅地にあった構築物少なくとも250棟が、破壊されたことを確認した。キリスト教会2棟とイスラム寺院1棟も破壊されている。
この種の更なる暴力から民間人を守るには、現存する緊急回線を通じた救助要請への素早い対応と、異なった宗派的背景を持つコミュニティが互いに接触し火種となる地域における、国連平和維持軍による一層活発なパトロールが、必要だとHRWは指摘した。10月1日に抗争が収まった以降も、HRWは「キロメーター5」の北側住宅地で、散発的に殺人が起き続けているという、信頼性の高い報告を受けている。
国連平和維持軍MINUSCAは、当時約1,120人の警察官と1,100人の兵士をバンギに配置し、サンガリスとして知られるフランス平和維持部隊 900人の支援も受けていた。平和維持軍部隊が200人の援助事業従事者と国連職員を避難させ、同市にある空港と政府建物を含む重要施設の警護を支援した、と国連当局者は述べた。平和維持部隊はまた、同国の他地域から武装グループが首都に入るのを阻止した。国連当局者によれば、反バラカが設置したバリケード、バリケードに居座る民間人、一般的な混乱などにより、民間人保護活動が阻まれたそうだ。
HRWの聞取り調査に応じた目撃者によれば、抗争の間バンギで約900人いたはずの国家憲兵隊の存在を見かけなかったそうだ。
国民暫定政府は10月9日、安置所での遺体数を根拠に、少なくとも77人が死亡したと報告した。死亡者が武装襲撃者なのか、それともイスラム教徒自衛団と反バラカの間の戦闘に巻き込まれた民間人なのか、はたまた意図的に標的とされた民間人なのかを、当局者は区別できなかった。政府発表では、他に414人が負傷している。
直近の宗派間抗争は、17歳のイスラム教徒バイクタクシー運転手アミン・マハマトが、9月26日の早朝に目抜き通り沿いで、喉を掻き切られた遺体となって発見されたことから始まった。「キロメーター5」のイスラム教徒自衛団は報復に、居留地近くのキリスト教徒他の住宅地を襲い始めた。MINUSCAの一部で「キロメーター5」のはずれを本拠地としている国連警察部隊は、抗争を抑えられなかった。
「キロメーター5」のイスラム教徒自衛団長のアリ・ファダルはHRWに、「(ムハマトの)死体を見て、皆は立ち上がった・・。イスラム教徒を狙った事件が多過ぎたからだ」、と語った。中央アフリカ共和国が2013年3月以降、抗争と混乱に見舞われる以前、首都にイスラム教徒は122,000人に住んでいたが、留まったのは僅か約15,000人だ。
66歳の退職公務員アンシャン・ンガンドラは、「キロメーター5」の直ぐ北側にあるサラ地区で殺された。目撃者はHRWに、「イスラム教徒が家に入って来て、アンシャンを外に連れ出したんです。アンシャンは何か言おうとしましたが、襲撃者たちは、“黙ってろ、何も喋るな”って言いました。家の前に出て、ヤツラは腹と頭を撃ちました。アンシャンは反バラカでもセレカでもなく、唯の年取った男の人だったのに」、と語った。
近くのヤキテ地区で45歳の女性は、「近くで銃声と手榴弾が爆発する音が聞こえ、隣人の家に隠れようとして自宅を出た」、「走って逃げていた時、別の隣人であるアベル・ヤキテとその妻も逃げようとしているのが見えた」、「2人が家を出ようとした時、4人の若いイスラム教徒の男たちが、ライフルを手に2人に近づき、ベランダにいたアベル・ヤキテとその妻を射殺した」、と語った。
抗争に関する情報が拡大するにつれ、主にキリスト教徒と精霊信仰者から成る反バラカに所属する武装グループが、国際平和維持軍への暴力を煽り、更に暴力行為を働いた。反バラカとその支持者は速やかに市内全域でバリケードを設置、時に女性や子どもに自分たちの行動に参加するよう促したが、おそらくそれは平和維持軍がバリケードを撤去しようとするのを抑えるためだった。反バラカが武装したイスラム教徒と交戦した事例も幾つかあった。FACAとして知られる国軍に所属する兵士の一部は、反バラカ戦闘員を支援した。
反バラカはまた、抗争阻止に何もしないとして非難していた外国人への攻撃もけしかけた。人々に外国人車両への投石を奨励するメールを回したのだ。混乱に乗じた反バラカ戦闘員他の者は、その殆どが抗争の起きた住宅地から数キロしか離れていない所にあった援助機関9団体を略奪している。
9月28日には首都の中心的な刑務所であるンガラグバ刑務所から、およそ600人の服役囚が脱獄し、同国の不処罰問題における戦いを大きく後退させた。刑務所看守と国軍兵士の一部は、メインゲートを開けて脱獄を手助けしたが、それは恐らく受刑囚の一部が兵士だったからであると思われる。刑務所近くに配置されていたルワンダ兵士から成る国連平和維持軍が、脱獄を阻止しようして威嚇射撃をし、少なくとも1度は受刑者に発砲して、1人に負傷させたが、脱獄阻止は果たせなかった。
国連と暫定政権は、機能する基本的な条件を満たす刑務所の再確立を、緊急優先事項にすべきだ、とHRWは指摘した。
The violence in Bangui came ahead of national elections, which were to start with a referendum on October 4, but have since been delayed.
バンギでの抗争は、10月4日の予定が延期された国民投票を皮切りに、始まるはずだった国政選挙を前にして起こった。
国際刑事裁判所(以下ICC)は、暫定大統領カトリーヌ・サンバ=パンザからの委託を受け、2014年9月に中央アフリカ共和国での新たな捜査を開始した。今年9月30日にICC検察官ファトゥ・ベンソーダは、ICCの司法管轄権の中で犯罪を行う者は、「個人的に責任を追及されることになる」、と警告した。
「暫定政府は、自国憲兵と兵士がキリスト教徒であれイスラム教徒であれ、全民間人の保護を促進するよう、抗争に加担しないよう保証しなければなりません」、と前出のマッジは語った。「殺人の応酬という恐ろしい連鎖は、加害者の責任を問い、刑務所が脱獄を許さず、戦闘員の武装解除をして初めて、断ち切ることができます」
The Crisis in Central African Republic 中央アフリカ共和国の危機
The Central African Republic has been in crisis since late 2012, when the mostly Muslim Seleka rebels opened a campaign against the government of Francois Bozizé. The Seleka took control of Bangui in March 2013. Their rule was marked by widespread human rights abuses, including the wanton killing of civilians. In mid-2013, anti-balaka militia organized to fight against the Seleka. Associating all Muslims with the Seleka, the anti-balaka carried out large scale reprisal attacks against Muslim civilians in Bangui and western parts of the country.
中央アフリカ共和国は、殆どイスラム教徒から成るセレカ軍が、フランソワ・ボジゼ政権に反乱を起こした2012年末以降、危機に陥ったままだ。セレカは2013年3月にバンギを占拠したが、勝手気ままに民間人を殺害するなど、彼らの統治は広範な人権侵害が顕著だった。2013年半ばに反バラカ民兵組織が、セレカとの戦いを組織した。全てのイスラム教徒をセレカに結び付けて、反バラカはバンギと同国西部のイスラム教徒民間人に大規模な報復攻撃を行った。
The Kilomètre 5 Enclave 「キロメーター5」居留地
In December 2013 French forces pushed the Seleka out of Bangui, leaving the Muslim community unprotected and at the mercy of the anti-balaka. Muslims were forced into enclaves, one in Kilomètre 5 and another north of the city at PK 12. In April 2014, after continued attacks from anti-balaka, the Muslim residents of PK 12 were evacuated to northern parts of the country, with UN support and protection from African Union peacekeepers. That left Kilomètre 5 the last remaining Muslim enclave in the capital.
2013年12月にフランス軍がセレカをバンギから追出し、イスラム教徒コミュニティは無防備となり、反バラカのなすがままに放置された。「キロメーター5」と同市北部の「PK12」という居留地に、イスラム教徒は強制移住させられた。反バラカによる襲撃が続いた後の2014年4月、「PK12」のイスラム教徒住民は、国連の支援とアフリカ連合平和維持軍の警護を受け、同国北部に避難、「キロメーター5」が、首都に残った最後のイスラム教徒居留地になった。
The New Violence in Bangui バンギでの新たな抗争
On September 26 the body of Amin Mahamat was discovered early in the morning in the 8th arrondissement, near the headquarters of the Central African Herders Federation, and taken to the Ali Babalo Mosque in Kilomètre 5.
今年9月26日早朝、アミン・マハマトの遺体が第8区、中央アフリカ牧畜業者連盟本部近くで発見され、「キロメーター5」内のアリ・ババロ寺院に運ばれた。
A relative of Mahamat told Human Rights Watch, “Amin left the house at around 8:30 p.m. on September 25. Everything was normal, and he left with his motorcycle. We got a call the next morning saying he had been killed. When I saw his body I could see that he had been tied up. His throat had been cut.”
マハマトの親族はHRWに、「アミンは9月25日の午後8時30分頃に家を出ました。何も変わったことはなく、バイクに乗って出かけました。翌朝、アミンが殺されたという電話を受けたんです。死体を見た時、アミンが縛られているのが見え、喉が切られていました」、と語った。
Muslim men quickly organized to exact revenge. Fadul, the president of the Kilomètre 5 Muslim self-defense groups, told Human Rights Watch that, “Everyone in the neighborhood is a member [of a self-defense group]. We all have guns. We are attacked here and we have no support, so we have to defend ourselves.”
イスラム教徒の男たちは、素早く報復行動に出た。「キロメーター5」のイスラム教徒自衛団長アリ・ファダルはHRWに、「この居留地の者は皆、(自衛団の)メンバーだ。我々は皆、銃を持っている。ここで襲撃されても、支援は受けられない。だから自分たちで自衛するしかないのだ」、と語った。
Since early 2014 Human Rights Watch has documented other isolated cases in which Muslim civilians who left the enclave were targeted, threatened or killed.
2014年初頭以降HRWは、居留地外に出たイスラム教徒民間人が標的にされ、脅され或は殺された、それぞれ他とは関連のない事例を複数取りまとめて来た。
The Muslim groups attacked residents of neighborhoods near their enclave, in the 3rd and 5th arrondissements, including in Sara, Fondo, Sanga Bibale, Yakité, and Bazanga neighborhoods.
イスラム教徒のグループは居留地近く、第3区と第5区の住宅地、サラ、フォンド、サンガ・ビバレ、ヤキテ、バザンガなどの地区で生活する人々を襲った。
A cluster of neighborhoods referred to as the “Quartier Sara bloc,” on the border of the 3rd and 5th arrondissements, suffered some of the worst violence. One woman who lived there saw David Pabe killed on September 30:
第3区と第5区の境界にある「カルチェ・サラ・ブロック(サラ区)」と呼ばれる団地が、抗争で最悪の被害を受けた。そこに住んでいたある女性は、9月30日にデイビット・パベが殺害されるのを目撃し、以下のように語った。
We were staying at the displacement site at Sainte Trinité, but we left on Wednesday (September 30) to go back to Sara to look after our things. We were leaving the house when a band of about 10 men came. They were dressed in normal clothes and Muslim robes. I recognized some of them…. I hid under the bed. I heard a man say, “Is that David?” He answered yes. The man said, “Give us the rifle.” But David said he did not have a rifle. The men started to beat him and I heard a shot.
「私たちはサンテ・トリニテにある避難所にいたのですが、水曜日(9月30日)に自分たちの物がどうなっているか見に、サラに帰りました。自宅から出ようとしてたら、10人位の男たちが来たんです。普通の服とイスラム教徒のローブを着てました。何人かを知っていたので・・・私はベッドの下に隠れました。そしたら男が、“お前、デビットか?”って訊いてるのが聞こえました。そして“そうだ”って言う声も。男が、“ライフルをよこせ”って言い、デビッドは“ライフルを持っていない”って答えてました。そしたら男たちが乱暴を始めて、その後銃声が聞こえたんです」
Another woman from the Sara neighborhood described how her mother was killed:
サラ地区のもう1人の女性は、母親が殺された時の様子を以下のように説明した。
I was behind the house and I looked through the window and saw my mother talking to armed Muslim men. They asked if there were men in the house and my mother said no. Then they asked for money. My mother said, “We have no money.” They shot in the air with a rifle and my mother tried to run, but they shot her in the chest. I ran to hide and later came back with relatives. When we came back we saw that they had chopped her body with machetes.
「家の後ろにいて、窓越しに、母が武装したイスラム教徒の男たちと話をしているのを見ていました。男たちは、家の中に男はいるかって訊き、母はいないって答えました。その後、男たちはお金を要求しましたが、母が“金はない”って言うと、ライフルを空に向かって撃ったんです。母は逃げようとしましたが、胸を撃たれました。私は逃げて隠れ、後になって親戚の人と一緒に戻りました。帰ってみると、男たちは母をナタでバラバラしていたんです」
A resident of Sanga Bibale quarter said she saw Aime Yangate, a 47-year-old man, killed at his home:
サンガ・ビバレ地区の女性住民は、アイム・ヤンガテ(47歳:男性)が自宅で殺害されたのを目撃、以下のように語った。
When the shots started we were too scared to leave. Two men came to the house and broke open the door. They had rifles. One of them said, “Everyone has left the neighborhood and you have not, that means you are anti-balaka.” Aime said, “I am not anti-balaka.” But before he could finish, they shot him in the head.
「銃声が聞こえ始めた時には、怖くて家から出られませんでした。男が2人、家に来て、ドアを壊して開けたんです。そいつらはライフルを持っていて、1人が、“みんなこの地区から出て行ったのに、お前はそうしなかった、ちゅうことは、お前は反バラカってことだ”って言ってました。アイムは、“私は反バラカじゃない”って答えたんですが、それを言い終わらない内に、連中はアイムの頭を撃ったんです」
Martine Thailla, a 40-year-old woman from Fondo, was killed in her home. Her neighbors said they had seen armed men from Kilomètre 5 enter her house. A relative who later found her body at one of the morgues said her throat had been slit.
住宅地フォンドのマルティーヌ・タイラ(40歳:女性)は自宅で殺された。複数の隣人が、「キロメーター5」の武装した男たちが彼女の家に入ったのを見ている。後に遺体安置所でタイラの遺体を発見した親族は、彼女の喉が掻き切られていたと語った。
Some people were killed trying to protect their homes from looting either by armed Muslim self-defense groups, the anti-balaka or other criminals seeking to take advantage of the chaos.
武装したイスラム教徒自衛団、反バラカ、その他の犯罪者による混乱に乗じた略奪から、自宅を守ろうとして殺害された人々もいた。
Francois Juvenal Bangassou, a popular musician known as “Bibesco” and his friend Julia Edith Bobele, were killed trying to stop looting at Bangassou’s home in Sara. Family members said that Bangassou sought safety with friends and family in Benz-vi during the day, but would return home every evening to try to protect his property.
“ビベスコ”として知られた人気ミュージシャンのフランソワ・ジュブナル・バンガスーと友人のジュリア・エディス・ボベルは、サラ地区にあるバンガスーの自宅の略奪を止めようとして殺された。バンガスーは友人複数と家族と共に日中は避難していたが、夜は自宅に戻り財産を守っていた、と家族は話している。
But he was killed there on September 29. Relatives who found the bodies said that Bangassou had been stabbed to death and his friend’s throat had been slit. “We don’t know who killed them,” a relative said. “The entire house was pillaged. They took his television, his radio, and his musical instruments…. They even took his clothes.”
しかし彼は9月29日に自宅で殺された。遺体を発見した親族によれば、バンガスーは刺殺され、友人は喉を掻き切られていたそうだ。「誰が2人を殺したのかは分かりません。犯人は家全体を略奪していました。テレビ、ラジオ、楽器・・・服も盗っていきましたよ」、と親族の1人は語っている。
Fadul told Human Rights Watch that his members had not targeted civilians or killed women. “These accounts are false,” he said. “The extremist anti-balaka do not want social reconciliation and they kill people and blame it on us.” But he later added that he might not know everything that happened and that some members of his group had “taken advantage of the situation to burn homes.”
前出のファダルはHRWに、自衛団員は民間人を狙わず、女性を殺していないと以下のように語った。「そういう話はデタラメだ。過激派の反バラカは社会的な和解など望んでおらず、ヤツラが人を殺し、それを我々のせいにしている」 しかし彼は後に、起きた全てを知っている訳ではないこともあり、団員の一部には、「事態に乗じて民家を焼いた」、者がいると付け加えている。
Using satellite imagery recorded before and after the violence on September 22 and October 4 Human Rights Watch identified at least 250 destroyed residential and commercial buildings in neighborhoods near Kilomètre 5, including two churches and a mosque. The damage was consistent with fire and the looting of rooftop materials. Since fire-related damage can be limited to building interiors and hidden by overhanging trees, it is possible that many more buildings might have been damaged.
抗争発生前の9月22日と収まった後の10月4日に撮影された人工衛星画像を使い、HRWは「キロメーター5」近くの住宅地で、キリスト教会2棟とイスラム寺院1棟を含む、少なくとも250棟の住居用と商用の建物が破壊されたことを確認した。火事関連の損傷は建物内部に限定され、覆い被さった木に隠されてしまうことがあるので、更に多くの建物が損傷を受けた可能性がある。
This latest round of violence in Bangui is not the first time Muslim self-defense groups based in Kilomètre 5 have killed civilians. On May 28, 2014, a group attacked a displacement camp at the Notre Dame Parish in the Fatima neighborhood, south of Kilomètre 5, killing at least 17 people, Human Rights Watch found. The attack occurred just after a heated street battle between the anti-balaka and Muslim self-defense groups. Isamel Lawan, the assistant to the mayor of Kilomètre 5 told Human Rights Watch at the time: “We can’t walk out of our neighborhood without being killed. We have been trapped here; we must defend ourselves.” The armed Muslims said they believed some of the anti-balaka had sought shelter among the displaced people at the church. The 17 deaths recorded by Human Rights Watch were all civilians.
「キロメーター5」を根拠地とするイスラム教徒自衛団が民間人を殺したのは、バンギでの直近の抗争が初めてではない。2014年5月28日に同団はファティマ地区内のノートルダム教区にある避難民キャンプを襲撃、少なくとも17人を殺害した事実を、HRWは明らかにしている。その襲撃は、反バラカとイスラム教徒自衛団の間で、激しい市街戦が行われた直後に発生した。「キロメーター5」の助役イサメル・ラワンはHRWに当時、「居留区外に出たら殺されます。ここに閉じ込められており、自衛するしかないのです」、と述べている。武装したイスラム教徒は、反バラカの一部が教会にいる避難民の中に逃げ込んだと考えた、と語っている。HRWが取りまとめた17人の犠牲者は全員民間人だった。
Escape from Ngaragba Prison ンガラグバ刑務所脱獄
On September 28 between 500 and 700 prisoners escaped from the Ngaragba Prison, the country’s main prison. Authorities did not know the exact number of prisoners since lists had not been updated. The prison held both military and civilian prisoners, including anti-balaka and Seleka fighters.
9月28日に500人から700人の受刑者が、同国の中心的刑務所ンガラグバ刑務所から脱獄した。当局は名簿を更新しておらず、正確な受刑者数を把握していない。同刑務所には、反バラカとセレカの戦闘員を含む、軍と民間の受刑者が服役していた。
According to UN officials and an escaped prisoner Human Rights Watch interviewed, the prisoners had begun to dig holes in the prison walls on September 27, emboldened by the sounds of violence coming from the city. On September 28 they managed to break the locks on two internal doors and faced UN Rwandan peacekeepers and national FACA soldiers. The Rwandan peacekeepers fired warning shots, and possibly fired at the prisoners, injuring one, to deter the escape. The FACA soldiers called for re-enforcements. UN officials said, though, that when additional FACA soldiers arrived, they facilitated the escape rather than helping to deter it.
HRWの聞取り調査に応じた複数の国連当局者と1人の脱獄受刑者によれば、受刑者は9月27日に刑務所の壁に穴を掘り始め、市内から聞こえてくる抗争の音に勇気づけられていたそうだ。9月28日には、刑務所内の2つの扉の鍵を破ることに成功、国連平和維持軍のルワンダ兵と国軍であるFACA兵士と対峙した。ルワンダ兵は、脱獄を防ぐために威嚇射撃し、その後受刑者に発砲した可能性もあり、受刑者1人が負傷した。FACAは援軍を求めが、F援軍が到着しても、彼らは脱獄を防ぐのではなく、むしろそれを手助けしたと、複数の国連当局者は語った。
An escaped prisoner, not associated with the anti-balaka or the Seleka and convicted of a crime, told Human Rights Watch:
反バラカでもセレカでもなく犯罪で有罪判決を受けていた、上記の脱獄受刑者はHRWに以下のように語った。
We were so tired of the horrible conditions. We had no medicine, no food, no toilets. The prison officials eat or sell our food. So we decided to leave…. By 10 a.m. [on September 28] we had opened the second door and we were facing the MINUSCA and the FACA. They shot at us and were saying, “Go back to your cells!” The anti-balaka and the Seleka were not going to go back and the rest of us [criminals] knew that if we stayed we would be punished severely, so we decided to try to leave too. By 5 p.m. we decided that they were not going to shoot us and we just started to walk out of the main gate. There were more FACA there, some of them yelled at us, but they did not try to force us back in, so we left. The MINUSCA and the FACA just watched us go.
「酷い所にウンザリでさ、薬はネー、食い物もネー、便所だってネーんだぜ。刑務所のお偉方が俺たちの食い物も食っちゃてるか売っちゃてるんだわ。で俺たちは逃げてやるって決めた分け・・・。(9月28日の)午前10時までに第2ドアを開けて、MINUSCA と FACAにガチンコよ。ヤツラ、俺たちに撃って来て、“房に戻れ!”って言ってた。反バラカとセレカは戻らネーし、残りの連中(犯罪者)は残ったら、ヒドイ罰を受けるって分かってたので、俺たちも脱獄しようって決めたのさ。午後5時までに、連中は俺たちを絶対撃たないって思ったんで、中央ゲートから歩いて出始めた。FACAは増えていて、俺たちに怒鳴ってたけど、力づくで戻そうとはしなかったんで、俺たちは脱獄したんだ。MINUSCA と FACAは唯見てただけさ」
Interim government officials later conceded that soldiers and prison guards had helped to facilitate the escape.
暫定政権高官は後に、兵士と刑務官が脱獄を手助けしていたことを認めた。
After the escape at Ngaragba, approximately 50 prisoners escaped from the Boaur prison on September 29 and another 9 escaped from the Bria prison on October 8. The only functioning prison for men is currently at Camp de Roux, in Bangui, a military base that houses 12 anti-balaka leaders. The female prison in Bimbo, just outside of Bangui, is still functional.
ンガラグバでの脱獄事件の後の9月29日、約50人の受刑者がボアウル刑務所からも脱獄、10月8日にはブリア刑務所から9人が脱獄した。現在機能している男性刑務所は、バンギ市内の軍事基地、ロークス基地にあり、そこでは反バラカ指導者12人が服役している。バンギの直ぐ外、ビンボにある女性刑務所は今も機能している。
International Response to Fighting 戦闘への国際的な対応
UN officials told Human Rights Watch they were surprised at how quickly the violence escalated. Although a UN police unit was based near Kilomètre 5, it was unable to stem the violence when it began. During the first four days of the violence, the MINUSCA response was led by its police force of nearly 1,120 officers. By September 30, four days into the violence, UN officials decided a more robust response was needed and established a joint task force with the police led by the military. Additional troops were called from other parts of the country to re-enforce the 1,100 peacekeepers already based in Bangui.
国連当局者はHRWに、余りにも急速に抗争がエスカレートしたのに驚かされたと述べた。国連警察部隊は「キロメーター5」の近くを基地としているが、抗争が始まった時にそれを抑えられなかった。抗争勃発後4日間のMINUSCAによる対応は、1,120人弱の警察部隊によって率いられていた。抗争4日目の9月30日までに、国連当局者は、もっと断固とした対応が必要だと決断、軍が率いる警察との混成部隊を設立した。バンギに既に配備されていた1,100人の平和維持軍を再強化するべく、同国他地域から増援部隊が招集されている。
The UN Security Council has approved 10,750 peacekeepers and 2,120 police for the Central African Republic. As of July, 9,110 peacekeepers and 1,552 police had been deployed. Additional UN troops, including special forces, are expected in the capital in the coming months.
国連安全保障理事会は中央アフリカ共和国向けに、10,750人の平和維持軍兵士と2,120人の警察官の派遣を承認、2015年7月現在、9,110 人の平和維持軍兵士と1,552人の警察官が派遣されていた。特殊部隊を含む 首都向けの国連増援部隊は、今後数ヶ月以内に着任の予定だ。
The French Sangaris provided support to MINUSCA, including using their helicopters to target armed men and deter the violence. Their task was complicated because the armed men gathered in densely populated areas, including the Combatants neighborhood near the international airport.
フランス軍のサンガリス部隊は、自軍のヘリコプターを使って武装グループを狙う或は抗争を抑えるなどし、MINUSCAを支援してきた。国際空港近くのコンバタンツ地区を含む人口密集地帯に、武装グループは集まるので彼らの任務は困難だ。
A hotline, known locally as the “green line,” established by aid agencies for protection, recorded over 700 calls during the violence. Some of these calls were to report cases of human rights abuses, others to ask for help. The ability of UN police to respond was limited due to the limited capacity of the call center, cell network overload, and competing priorities for the police, MINUSCA officials told Human Rights Watch. In a number of cases, MINUSCA did not respond when civilians called for help.
保護を求める援助機関が設立した地元で「グリーンライン」として知られるホットラインは、抗争期間中700件以上の電話を記録した。それらの電話の一部は、人権侵害事件を報告していたが、その他は助けを求めていた。国連警察の対応能力は、コールセンターの微々たる能力、携帯電話網への過負荷、警察が対応を求められる競合した優先事項などが原因で限られている、とMINUSCA当局者はHRWに述べた。多くの事例にでMINUSCAは、民間人による救助要請に応えていない。
The UN disarmament, demobilization and reintegration (DDR) program, a critical program to remove weapons from armed groups in Bangui and across the country, has made little progress and lacks funding. UN and government officials said that pre-DDR has started, but all concede that this has not been nearly enough or very effective. They said that 1,180 Seleka fighters are being held in three cantonment bases in Bangui, but there is no cantonment of anti-balaka or other militias in the city that have easy access to weapons. A community violence reduction (CVR) program, aimed at these militias and self-defense groups, has yet to start.
国連による武装解除・動員解除・社会復帰(以下DDR)プログラムは、バンギと同国全域の武装グループから兵器を一掃するために極めて重要なプログラムだが、殆ど進展せず、資金も不足している。国連と政府の当局者は、プレDDRを開始したと述べたが、決して十分でなく、効果的でもないことを全員が認めた。彼らによれば、1,180人のセレカ戦闘員は、バンギ内の野営基地に拘留されているが、反バラカ他の民兵組織には野営地がなく、武器の入手は容易だそうだ。それらの民兵組織や自衛団を対象とした、コミュニティ暴力削減(以下CVR)プログラムはまだ始まっていない。
Accountability説明責任の追及
Impunity has fueled grave atrocities in the Central African Republic and past crimes have not been prosecuted. During the national reconciliation forum in Bangui in May, all participants underscored the importance of truth and justice for these crimes, both as a right of victims and as a precondition for lasting peace.
過去の犯罪が訴追されず、不処罰が中央アフリカ共和国の重大な残虐行為を煽ってきた。5月にバンギで開催された国民和解フォーラムの際、全出席者が犯罪の真相究明と法の裁きの重要性を、被害者の権利として、更に恒久的平和の前提条件として強調していた。
In 2004, the Central African Republic ratified the Rome Statute of the ICC. Since then, authorities have twice asked the ICC to investigate grave international crimes in the country. The first ICC investigation related to mass rapes and killings at the time of a 2002 coup and resulted in the trial of Jean-Pierre Bemba, a former Congolese rebel leader and later vice-president of the Democratic Republic of Congo, whose troops were called in to help defend the then-elected president and were implicated in atrocities.
中央アフリカ共和国は2004年にICCのローマ規定を批准した。それ以降当局は2度、国内での重大な国際犯罪を捜査するよう、ICCに要請している。最初のICC捜査は、2002年のクーデター時に行われた集団強姦と大量殺人に関係しており、コンゴ人の元反乱軍指導者で後にコンゴ民主共和国の副大統領になった、ジャン・ピエール・ベンバの裁判をもたらした。ベンバの部隊は、当時の選挙で選ばれた大統領の警護を手助けするために呼ばれたが、残虐行為に関与した。
In September 2014 the ICC prosecutor opened a second investigation concerning crimes during the latest crisis, since August 2012. The investigations are ongoing.
ICC検察官は2014年9月、2012年8月以降、直前の危機の際に行われた犯罪に関係する、2度目の捜査を開始した。捜査は現在進行中だ。
In June 2015 Samba-Panza promulgated a law creating a Special Criminal Court within the national justice system, which will focus on grave international crimes and will include both national and international judges and prosecutors. The court is mandated to investigate crimes committed since 2003 and is intended to address the lack of capacity of the national justice system to investigate these complex crimes and to complement the work of the ICC, which will probably only handle a small number of cases. The Central African authorities and the United Nations have started preparations to establish the Special Criminal Court, which will require funding, technical support, and a contingent of international experts to function effectively.
カトリーヌ・サンバ=パンザ大統領は2015年6月、重大な国際犯罪に焦点を当て、国内と国際的な裁判官及び検察官で構成する、特別刑事裁判所を国内司法制度内に創設する法律を公布した。同裁判所は、2003年以降行われた犯罪を捜査する権限を与えられ、複雑な犯罪を捜査する国内司法制度の能力不足に対処する目的で、恐らくは少数の事件しか取り扱えないだろうICCの活動を補完する。中央アフリカ当局と国連は、特別刑事裁判所の設立に向け準備を開始したが、それには資金・技術的支援・効率的に機能するための国際的専門家部の部隊を必要とするだろう。
While work on the court is under way, MINUSCA should provide technical support and security to national investigators and prosecutors so that they can begin to investigate serious crimes, Human Rights Watch said.
同裁判所を巡る取組は進行中だがMINUSCAは、重大犯罪の捜査を開始できるよう技術支援と警護を、国内の捜査官と検察官に提供すべきだ、とHRWは指摘した。