首長族。

首長族。や、カレン族、タイ北部に注目するブログ。

失われたもの

2013-12-26 22:00:41 | 首長族。
フアイプーケンを発ち、ボートから陸に上がった私は、次の首長村“ナイソイ村”へ。

108号線西バイパスを北上、パイ川を渡る前に左折、ソイ川沿いに進む。
ナイソイの町(村?)までは道路が良い。町を抜けて未舗装路へ。土の道が、波打っている。
雨季に沈む、砂防ダムの縁のような道を渡って、さらに悪路を進む。
また道が、まるで眉間の皺の様にエグれてきたので、心底、車で来て良かったと思った。オフロードバイクじゃないと、かなり厳しそうだ。

難民キャンプの検問の前を左折、教会を横目に進む。ナイソイの、首長族の村。
ほとんど土産物の店が無いなー、静かだなー、と進む。

集会所のような所を過ぎると広場。

運転手兼ガイドのガイさんは突き進む。簡易校舎を抜け、村の裏手へ。豚さんがお出迎え。

必死こいて立ち上がってるのだから、愛着が涌くよ。(食べないで!!ってそりゃ無理か・・・。俺の豚じゃないし。)
ガイさん、勝手に台所へ突入。


坂を上がると、お化けが!?

じゃなく、タナカ(ミャンマーの日焼け止め化粧)をしながら、昼飯を素手で立ち食いしてる子。

着ている服の色合いを見ると、カヤー(耳長族)のような気もするが。(気のせいか。)
たしか、9歳。(猫の歳は知らない)

戻って他の人達を探す。農地へ。

昼時だったので、誰も働いていない。それに、良く考えたら、首に真鍮を巻かない男達が農業やるんだろうね。


戻る途中に、変わったモニュメントがある。新年か何かの儀式でもするんだろう。

子供も調理中。こちらもお腹がすいたので帰る。

帰り際、入り口の店に、先ほどは居なかった女性。

良く見ると、首は長いが真鍮を巻いていない。もしや!!
案の定、町へ働きに出てたら奇異の目で見られるので外してしまった(らしい)。そもそも、首長の状態で働きに出る事自体が珍しい。色々あったのだろう。(反抗期とか?)
21歳(らしい)。(首長族の結婚適齢期らしいのに、婚姻関係を調査するの忘れた。。;)

いいもん見れたな。(もちろん、チップ渡し)

チェンマイ・チェンライ近郊の首長村が盛況なうえ、メーホンソンではどうしてもフアイプーケンのほうが知名度が高いし、
ナイソイから先の道が酷いので此処は取り残された感がある。良い意味でも悪い意味でも。(サポートするなら一番、やりがいがあるかもしれないね。)

私は普段、(チェンマイ・チェンライの)街道沿いにある首長族の村を廻っているので、
(此処の人達は)もっと道の良い所に住んだらいいのに、と思わないでもない。

首長族の本場へ

2013-12-26 18:45:36 | 首長族。
カレン族宿「オムコイ・バンブーハウス」を旅立った私は、バイクを返してすぐチェンマイ空港へ。バイク用品を国際線側に見つけた保管ロッカーへ預ける。(1日200バーツ。高い。※スワンナプームは1日100バーツ)
ノックエアーでメーホンソンへ。プロペラの音がラピュタを連想させる。

飛行中に窓から、山が一つだけ雲の上に突き出ていた。後から調べたら、どうも、タイ最高峰のドイ・インタノンらしい。オムコイに行く途中にあるので、今度バイクで上ってみよう。

30分も経たずメーホンソンに着いて、トゥクトゥクで町中へ。
ホテルにチェックインして荷物を置いてから、首長族の村の情報収集へ。ホテルの受付に聞いても首長村について知らず。
通りは、トゥクトゥクもソンテウも全く走っていない。歩いて観光案内所を発見して地図を貰うが、村へはこうこうこう行くんだよという指示だけ。歩いて行けってか?!

しょうがないのでレンタバイクを探すも、なかなか見つからない。
途方に暮れているとセブンイレブンの隣にツアー代理店を発見、ボートで行く首長村と、車で行く村をダブルで申し込む。3000バーツ、地味に痛い。

次の日、ホテル前からソンテウに乗り出発。しばらく走って船着場へ。運転手のガイ(鳥というあだ名)さんもボートに乗る。

ボートの縁が水面ぎりぎりじゃん、とか楽しかったのは最初のうちだけ。
一番有名な首長村、フアイプーケン到着。
確か、ミャンマー側か何者かに焼き討ちされて首長族たちが移ってきた村だ。

ボートを降りて、村の入り口に行くと、なんか待ち構えてる感じ。

予想通り、ここの村は顔が素朴。地元の岩手かと思っちゃった。(特に横から見ると)


たしか、ほんとは7歳くらいから真鍮の輪を首に巻くんじゃなかったか?さすが観光地。何でもアリ。

首長族の子供達の近くを歩く、先進国の子供を見ると変な感覚。

奥まで歩くと、ガイさんが脇の方へ連れて行ってくれた。
なにやら西洋人が首長族を取材撮影中。帰りに通ったら、布が掛けられてシャットアウトされていた。物好きね、って俺もか。
教会に着く。

やっぱりここでも、寺が何もしないから、教会が世界に訴えてサポートしてもらってる、とのこと。毎度、耳が痛いですね。(こういう地域は当然、キリスト教に改宗した人が多い。)
橋を渡って行ったら、広場だった。
子供たちがセパタクロー?(サッカー・バレー)をやっていた。

おやつ中の子も。

観光地化されてるし、家にソーラーパネルが設置されているし、難民と言ってもパッと見では悲壮感は無い。

公衆電話が!無い。

腹下してたから、繊維質でも取ろうとバナナ焼きを食べて、他の参加者が帰ってくるのを待つ。

水漏れ??ボートで戻って、

次の村に車で向かう。

道との遭遇。

2013-12-25 16:08:37 | カレン族
二日目の夜を寝袋と焼酎でしのいだ私は、しかし食べ過ぎによる体調不良。
残り最後の整腸薬を飲む。

天気も良いので、洗濯をする。予備のズボンを忘れたので、オムコイの町で199バーツで買ったジャージを履いて洗濯開始。
洗ってたら、ジーンズの股の所が破ける。やばっ。

日本人ボランティアが町に寄るという話を聞いて(常日頃、震災ボランティアに参加しなかったことを後悔している自分は)興味があったので、ジャージズボンで格好悪いが、昼食ついでに町に向かった。
町に着いて、飯でも食べながら待つか・・、なんて思ってたら、宿主K・Yさんがバン(ハイエースワゴン)の窓をあけて中の人と話し出す。どうやらボランティアのようだ。
次の瞬間KYさんが私を指して、「この人は岩手の震災復興ボランティアにも参加した人で、興味が有るらしいので付いて行っていいですか?」なんてことを言う。

え!?ちょっと!(そんな嘘を!!)、と思った瞬間バンが走り出す。

慌ててメットを被り、K・Yさんの「どうせ一本道だから、すぐ追いつくはず。」と言う言葉を頼りに追いかけ、しばしバイクで飛ばしたところで追いつく。
しかし、一台しか見えない。この車か?もう一台か?どっちだ?!焦る。(結局一緒)

山を登り、下って未舗装路に突入したあたりで前の一台にも追いつく。

未舗装路との格闘が終わってから、今度は道路の陥没が多くなり、パンクの心配をしながら進むが、もう午後2時近い。お腹もすいた。
ここで引き返したら男が廃る、と意地で付いていく。

川を越え川沿いを走り、集落・学校から更に川を渡って集落を抜けて、

牛の群れを抜けてやっと教会の学校へ。

着いてウロウロしていると、可愛い娘さんが挨拶してくれた。
なんでも、岩手にも震災ボランティアで5回ほど来ているらしい。ありがたや。

聞いてみると、後から男衆(彼氏含む)も来て4日間ほどワイワイ楽しくやるよう。

午後二時半。空腹と疲れと、上はバイクウェアなのに下はジャージ。
特に参加申込みしてる訳じゃないし、手ぶらだし道を見失うとヤバいので(残念ながら)帰ることにする。

道を思い出しながら、写真を撮りながら、なんとかオムコイの町まで帰って、教えてもらったクッティアオ屋で遅めの昼食。物産館でお土産を買う。

宿に帰って、「メーターを見たら片道80kmほどある。あそこはオムコイと言えるのか?!」と、素直に宿主K・Yさんに疑問をぶつけたら、
あそこはオムコイからの分離の動きもあるらしい、とのこと。そりゃそうだ。

その後、夕食、焚き火で煙に包まれ、整腸薬が切れたので胃薬を飲んで寝袋で就寝。

酒が入ってないから、少し寒い。
次の朝、肌寒いのでバイクウェアの上にバイク用レインウェアを着て、いつもの首長族の村へと旅立つ。


>ボランティアについては、「こっちがボランティアして欲しいくらい(切迫している?)ですよ」と、タイ山岳地帯に住む宿主K・Yさんは言うけど、
旅行者の自分としては、手伝いたかったな~。(移住したら、また別なんでしょうけど。)
ただ、ボランティアの内容が子供達と遊ぶのが中心だったようなので、コミニュケーション能力の欠如した私は役に立たないか。

疑問なのは、あの娘たちは参加費いくら払ったんだろう?(最近は、参加費5万円以上のボランティア体験が流行っているらしい。まあ現地の団体としても、肉体労働は間に合っているだろうから、資金のほうが欲しいところだろう。口は出さずに金を出せ、という事か。)

ちなみにオムコイ・バンブーハウスは食事つき一泊500バーツ(1500円くらい)なので、チェンマイからの交通費入れても5万円なんてかかりません。(せいぜい1万円)

カレン族村リターンズ

2013-12-22 18:03:45 | カレン族
その町の名をオムコイと云う。
チェンマイから南西に180キロほどの山岳地帯の町だ。
此処を恐れるタイ人もいるという。

なんてね。
前回訪れたカレン族宿へ寄る。(もちろん宿主/旦那様は日本人K・Yさん)

メーテーンからチェンマイを抜けて二時間近く、ほとんど休まずにバイクで走って、ホートの時計台を右折。最後のガソリンスタンドで給油して、山岳ステージへ!?

景色の良い川沿いで、前方を遅い車に捉まる。なかなか追い越せない。
上りに入って追い越す。前方に120キロくらいで飛ばしている車も居たが、カーブで追い越す。カーブは寝かせられるバイクの方が断然早い。
所々、補修部分の砂利が滑りやすかったりしたが、段差と陥没に集中してたので、全体的には気にならず。(後日のチェンライ方面は砂っぽくて、路面がスリッピー)

前回食べたオムコイの町の食堂でカオパッ(タイチャーハン)を食す。そのまま宿まで、自分で走行。着いて挨拶して、竹の家で爆睡。(メーテーンから4時間連続運転で、ひざも痛かったので)

夕食・焚き火、

そして寝る。
異常気象ということで、メーテーンも寒かったし、覚悟はしていたのだが山の上だから更に寒い。
しかも、竹の家は隙間から風がダイレクトに吹き込む。寝ていて体感温度は外と変わらない。
冬に暖房が止まってしまった時の、東北の部屋の中と同じくらいだ。後日、「寒くない」とか言う客も居たそうだが、焼酎を呑むのと呑まないので大分違うようだ。

次の日、温泉に入りに行った。
しかし、昼は日差しで暖かいし、特に麓の温泉の辺りは低地なので暖かい。
これは暑くて温泉に入れないかなと思ったが、個室の中はちょうど良い気温だった。

水着&野外の西洋スタイルとかじゃなくて良かった。(外のも入れそうだが)
タイマッサージも受けて、バイク運転の疲れを取って75kmの山道を帰る。。;

夕飯時にはまた肌寒くなってきた。そして、三日目の“未知との遭遇”、に続く。

この日、3っつ目の首長村へ。

2013-12-21 17:38:33 | 首長族。
メーリムから北へ。
メーテーンに入り、1095号線(パーイへ行く道路)も通り越して、メータマン・エレファントキャンプ方面へ。

途中で左側に首長村を発見。(帰りに寄る。)
さらに進んだ所の右側の、なんとかリゾートへ。
タイならではのユルい滝がある。子供たちが水遊びをしていた。年少の子供達しか見えない。

入村は500バーツ。ここまでの距離を考えると、高い。(コストパフォーマンスが悪い)
まあ、入村料が有意義に使われればいいが、首長族っぽくない人に毎回渡すので、どういう金の流れなんだろうか?と疑問。(元締めは誰だ?)

戻って、さきほど見つけた首長村へ。CHOKCHAIエレファントキャンプと書いてある。
ツアーに組み込まれているようで、どうやら、個人で来る人は少ないようだ。しばし待たされる。

行っていいよ。300バーツでいいよ。というので払って進む。
吊り橋を渡ると、ゾウが放し飼い。キャンバスのようなものが有るので、ゾウのショーの舞台のようだ。

ゾウを横目に進むと、斜面にへばりつくように村がある。

入っていったが、日が暮れ始めていたので人が少ない。

子供たちは中央に集まって勉強中だった。

旦那と話していた奥様が土産売り場に来たので、写真を撮らせてもらう。
24歳だという。

若いんだが、既婚だと、化粧っ気が無くなって一気に老けて感じるね。(子育てで忙しいんでしょうか?)

「普段はほとんど化粧しないよ」っていう女性もタイには居るようなので、(日本では、スッピンで人に会うのは相手に失礼なんでしょうけど)タイ自体の化粧事情から調べるべきか?

日が暮れる前に予約したコテージへ急ぐ。(うまく撮れなかったが、)1095号線での夕暮れが綺麗だった。