ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

船木vsヒクソングレーシー

2015年05月17日 | 格闘技
週刊ゴングの表紙にこの衝撃のTOP写真が
載せられて、もう15年経つんですねぇ。
船木誠勝vsヒクソングレーシーの世紀の一戦。
その一ヶ月前程に桜庭がグレーシー柔術象徴の男
ホイスグレーシーを90分の激闘の上TKO勝ちして
日本、いや世界中の溜飲を下げ
あのホイスグレーシーを倒したという偉業で
桜庭の名前が世界に知れ渡ったのです。

そのたった一ヶ月弱、
日本、至宝の一人、船木がグレーシー最強の男
ヒクソングレーシーと世紀の一戦を戦った
コロシアム2000、東京ドームでの試合。
日本の圧倒的期待を受け、「400戦無敗」を謳う
ヒクソンと闘いました。
私の周辺での下馬評は「ヒクソン勝利」でした。
船木側が求めていた頭突き、肘打ちの攻撃アリという条件は
ヒクソンが拒み、最終的にテレビ東京が船木の要求を
却下するという、船木サイドからしたら大変不利な条件で
試合が組まれました。

当時私は赤坂見附から終電で帰る仕事をしていたので
テレビ東京で放映されたコロシアム2000を録画し
逸る気持ちを抑えて電車で帰宅しました。
でも、放送枠はたった1時間・・・
1R15分をエンドレスで闘うルールのこの試合にしては
確か22:00からの放送と記憶していますが
余りに短いのでは?と疑い不安な気持ちで電車に乗っておりました。
唯一すがる所はパンクラスの同僚、高橋が本家UFCで
グレーシー出身のヴァリッジイズマイウに勝利し
その作戦を立てて、完璧に勝利に導いたのは船木だったという
その1点にすがっておりました。
桜庭と違い、プロレスを止めパンクラスで総合格闘技路線を進んだ
船木は勝ったり負けたり。
特にバスルッテンには顔面ボコボコにされて破れたというイメージ。
一方ヒクソンは高田との第二戦、格闘技のバックボーンが無い高田相手に
意外と手こずったというマイナス要素。

家に着き、いざ録画ビデオを観ました。

船木誠勝VSヒクソン・グレイシー


https://www.youtube.com/watch?v=n-6UzaYtdE0

攻防は手に汗握る展開。
組合い、船木をコーナーに詰めて
グラウンドに持ち込もうとするヒクソン、
そうさせまじとコーナーで粘り
40歳という年齢のスタミナ落ちを狙う船木。
そのハラハラドキドキな展開を手に汗握りながら
展開が動いて、船木がヒクソンをテイクダウン成功、
そのまま、ホイスvs桜庭戦の展開のように
太ももを蹴りまくるという展開。
しかし、ストライカーである船木の蹴りに全く鋭さが無い!
後で聞けば船木はコーナーでの攻防で足の腱を切っていたそうな。
そこがヒクソン最大のピンチ。
そしてヒクソンが隙をついて立ち上がる事に成功。
打撃の展開で船木のパンチがヒクソンに当り
目を潰す事に成功したのも束の間
ヒクソンにはたき込められてまんまとグラウンドの展開
あっとういう間にマウントを取られヒクソン必勝の土壌へ。
船木の手の自由を奪って顔面にパンチを叩き込み
チョークスリーパの体勢に。
ゲストで来ていた、当時まだ総合格闘技入りしていなかった
現役の柔道金メダリストが、解説者が
「後4分は厳しいなぁ・・・」と
絶望的なコメント。
そのままチョークスリーパーが決り、
絶対ギブアップをしない、タオルを投げないと
死の覚悟をしてリングに上がった船木は目を閉じ
そのまま、あのイケメンの目が開いた。
失神・・もう死んでいる目でした。
そして、タオル投入か?レフリーが止めたか?
ここは記憶が定かでは無いですが試合が終わり
ヒクソンが勝利しました。
レフリーが止めた瞬間、船木は立ち上がり戦闘モードへ。
一方ヒクソンは立ち上がろうとした船木の背中を
かかとで蹴る。
グレーシー一族が「ヒクソン!!!」と声を上げ
歓喜で我を忘れるような盛り上がり。
一方、葬式のような船木パンクラス勢。
あの鈴木みのるも居る・・・。
引き上げる船木が突然マイクを掴み
突然の引退宣言・・・。まだ31歳。

と、15年前の試合が鮮明に残りすぎ
映像を見ないでもここまで解説出来てしまいました。
それだけ、衝撃の試合だったのでしょうな。

その後、桜庭と小川が対戦名乗りを上げます。
が8ヶ月後にヒクソンは長男を事故で失い
失意状態から現役を離れる事になります。
ヒクソン側は小川との試合を決めかけていた矢先に
突然の不幸。

後にインタビュー受けたヒクソン。
400戦無敗と謳うあのヒクソンが
「負ける、死を覚悟した」対戦相手は
船木誠勝であった事。
試合後のインタビューでも語ってましたが
グラウンドに倒れ、太ももに蹴りを喰らい
スタンド時に船木のパンチを受けたヒクソンは
眼窩底骨折をし、片目が見えない状況で
ギリギリの精神状態に追い込まれたそうな・・・。
まさか事実上引退試合となった船木の試合が
一番、ピンチで危険な試合と後に語る事になるとは。
その後ヒクソンは当時、最強と言われた
皇帝エメリアエンコヒョードルとの対戦が打診され
話が進んでいた最中に怪我をし、試合の話が流れたと。

あれから時は流れ、船木は俳優を経て引退を撤回
K-1ドリーム、メインイベントで桜庭と対戦し
アームロックでギブアップ負け。
やはり全盛期をとっくに過ぎた船木は負け続け
唯一勝利を上げれたのがパンクラスで弟子にあたる
当時勢いに乗っていたミノワマンにヒールホールドで
ギブアップを奪う(ミノワがシューズを履いていなければ
ヒールホールドは決らなかったであろう・・・)も
古巣のプロレス復帰。同期の武藤を頼り
全日本のリングに上がり、さらに古巣で若手の頃育ててもらった
新日本のリングに上がり、永田の膝が事故で顔面に決まり
船木が左頬骨折で6ヶ月欠場。
後に秋山を破り、3冠統一チャンピオンになった試合は
以前このブログで記事にした事があります。
全日本分裂で武藤と共にW-1に参加し
今に至る、激動の船木格闘技人生です。

こんなに大長文になるとは、
書き始めには思いもしませんでした。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« メガデスに再加入し損ねたニ... | トップ | 阿修羅原が亡くなってなんて... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ミルクマンさん (太郎)
2015-05-18 00:22:50
有難うございます(笑)
名調子になっていましたか???
いやぁ・・・世が世でも(下野した後でも)
流石にターザンの下は嫌ですねぇ(笑)
GKの下だったらまだ・・・。
船木のデビューは早かったですしね、高田よりは
リアルファイトに適応出来る年齢だったかも知れません。
エルボーや頭突きが可能でしたら違う結果になっていたかもですね。
現に相当トレーニングしていたそうだし。
実際、頭突き肘打ちがOKな本家UFCをOAしていた
テレ東の理不尽なルール決定でしたしね。
確かに赤いマフラー爺さんは、それをやっていましたしね(^^:

阿修羅原ですか・・・まず阿修羅というリングネームが
当時凄いセンスしていますよね。
一歩間違えれば大ズッコケです^^;
また記事のネタにしたいと思います。
返信する
あっぱれでしょう (ミルクマン)
2015-05-17 12:35:26
日曜ですし(^_^;)
もちろん太郎さんの名調子にですよ。世が世なら
ターザンあたりから「一緒にやらないか」くらい
言われてますね(まあその頃のターザンは下野してましたけど)
試合は船木はパンクラスという格闘技の仕組みを作った男として、純プロレス、U系とは少し違った人脈や、その理詰めのようなファイトスタイルで期待してました。
いっそ初めから頭突きやエルボー連打してノックダウン奪って反則負けくらうくらいのほうが、その先の格闘技ビジネスに一石投じたかもしれません。赤いマフラーの爺さんはそういう先見の明だけはあります、違った、ありま~す!
では最後に太郎さんから阿修羅原さんにメッセージをどうぞm(__)m
返信する

コメントを投稿

格闘技」カテゴリの最新記事