ダイアナ妃が、パリで亡くなったその日に、パリの街はセーヌ河の周りには
たくさんの警察隊が集合していた。河の所を写生していたのだが、
喧噪の空気を感じて、何が起こったのかが直ぐには、私は分からなかった。
でも、スケッチを続けるのは、落ち着かなかった。
それで私は、ユーロスターの切符を丁度手に入れた時だったので、
ロンドンに少しの間、スケッチの時間を求めて移動することにした。
随分と前のことだが、よく覚えている。
ロンドン駅に降り立った時に、報道のテレビカメラがプラットホームに、
パリからの客を取材にきていた。当然に私もカメラをむけられたことを、
忘れていない。
その時には、自分がスケッチしていたセーヌ河岸の、丁度後ろの地下高速道路で、
ダイアナ妃が事故死されたことを知らずにいたのだっだ。
しかも、後にロンドンの御葬儀の場所を描いていたのが、上記のスケッチの中の、
遠方の右に描いた建物であって、その前に人々を道路に描きこんでいた所だと、
後になって知るのだった。
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