たかはまアーカイブス

吉浜まちづくり協議会 広報部から受け継ぎ2024年4月から「たかはま歴史探検隊」が発信しています。

たかはまアーカイブス「夢の橋まつり」

2020-07-11 22:36:57 | 懐かしい写真
この程高浜市郷土資料館の膨大な資料の中から「夢の橋まつり県下相撲大会パンフレット」を所蔵一覧から見つけ、吉浜まちづくり協議会広報部として申請し「郷土資料館資料模写等許可」を得ましたので、高浜市における相撲に関する
新たな1ページが記録として残る事になり未来の宝物となれば幸いです。

昭和27年7月15日 中日新聞三河版より引用しています。

夢の橋まつり 高濱大煙火目録 チラシ残念ながら半分しか残されていませんでした。

高濱大煙火目録の裏にガリ版刷りで収支決算報告書が残っていました。

県下相撲大会 夢の橋祭り パンフレット表紙

大会順序

出場選手体格表 エンピツ書きで大会の成績が書き込みされています。

高浜から4チーム参加して(C) チームが4位になっています。 高浜(A)チーム中堅 天野三一氏(昭和6年生まれ)に取材をしています。

試合順序

試合順序 吉浜 ノノヤマ印刷所

参考資料として、西尾市吉良町 相撲研究家 富永行男氏の三河相撲興行覚より引用しています、画面左側に昭和27年とかかれていて、
右側の上から2段目に8月3日 試合相撲 碧海・高浜町・埋立地と書かれています。

たかはまアーカイブス「明治用水中井筋落差工付近」

2020-05-26 21:38:33 | 懐かしい写真
吉浜小学校のすぐ東に有る明治用水中井筋落差工付近の写真が有りますので紹介します。
地元の人は通称「大川」と言って農業用水に使うため堰が有り又魚釣りや川での水泳訓練や冬季に川の堰を止めての消防団がかいどりをした場所ですが・・・・
時代の流れで堰は無くなり川底も深くなり大きく変わりました。


昭和18年~19年頃で吉浜尋常小学校高等科の女子学童が自然堤防だった土手の上での手旗信号訓練風景 遠方右端の林は高吉神明社です。
画像提供:八幡町 内藤氏

昭和26年12月に開園した吉浜保育園の先生が昭和27年頃撮影した写真です、一本橋と堰が有ります又遠方右端は高吉神明社です。画像提供:小池町 丹羽氏

昭和27年頃に写された写真で初公開です、一本橋を渡り進むと高吉神明社の南にでます、現在の場所は翼ふれあいプラザ辺りです。画像提供:小池町 丹羽氏

昭和39年度から明治用水中井筋の改修工事が始まり昭和40年2月小中根落差工が竣工しています。昭和52年撮影 画像提供:高浜市役所

たかはまアーカイブス「衣浦大橋建設中」

2020-02-28 20:50:06 | 懐かしい写真
昭和31年1月27日夢の架け橋と言われた、三河と知多を結ぶ衣浦大橋の開通式が行われました・・・そんな時代の工事中の写真が偶然見つかりましたので紹介します。
全ての画像提供:呉竹町 中川氏

昭和30年9月25日撮影



高浜市におけるショッピングセンター・デパート等の歴史

2019-12-27 23:07:59 | 懐かしい写真
現在では、大型店舗やドラックストアチェン店が乱立していますがかっての店を調査しましたよ・・・


昭和40年主婦の店高浜として高浜町石神38ー2に開店しています・・・・この店が高浜町(当時)のショッピングセンターの先駆けとなった店です。


昭和41年11月24日 よしいけ住宅内によしいけショッピングセンターが開店しています・・・高浜町商工会が声かけして寄合百貨店としてスタートしました。


よしいけショッピングセンター内部の様子です・・・・買い物した後レジは無く各店にて現金支払いの形でした。


昭和43年高浜本通にスーパー丸中が総合食料品店として開店しています。



昭和46年7月 ヤマナカ高浜店が開店しています。


昭和60年5月 ヤオハン高浜店として開店しています。


たかはまアーカイブス「クワガタムシの住む森が消えました」

2019-07-06 17:15:13 | 懐かしい写真
令和元年7月5日(金)たまたま車で移動中見つけた現場です・・・・かっては吉浜保育園、吉浜小学校低学年の遠足で遊んだ「高吉 神明社跡」の場所が造園業者による森の伐採工事に遭遇しました。




伐採作業風景







平成23年2月広報部撮影 きちんと整備されこどもたちの遊び場であったが、いつの間に荒れ放題になりうっそうとした雑木林となってしまいました。



近くの田畑で作業する方たちの休憩場所でもあった・・・


昭和47年氏子関係者による石柱奉納



昭和14年発行 碧海郡神社写真帳より  戦時中はアメリカ軍の飛行機からの銃撃を逃れる時逃げ込んだ村の鎮守様