たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎水仙

2012-01-08 08:02:43 | 日記
☆富士山ライブカメラ(忍野八海カメラ) 今朝7:55。一時は故障中だった様ですが、昨日の夕方復旧した様です。

★今朝の当地方は、青空も少し有り久し振りに陽射しが帰って来た。しかし、早朝の気温は2℃と冷え込んでいた。7時過ぎより、歩数計を腰に付けて30分少々歩いた。今現在歩数計の数字は、2965を表示している。昨日は、天気が悪かったので夕方少し歩いた程度。従って、目標としていた数字には程遠い4000歩前後だった。もし夕方有るか無かったら、1000歩も行かなかったであろう。従って、意識的に歩かず家にいたら数百歩程度で千歩も行かなかったであろう。
今朝歩く途中に、高津川の堤防に水仙の花が咲いていたのに気付く。我が家の水仙は、未だ
芽がのぞいたばかりで、開花は随分先になりそうである。花の少ないこの時期、水仙の花には癒される。朝刊の朝日の天声人語を見ていたら、水仙にまつわる話題が出ていた。その一部を!
▼英国の自然詩人ワーズワースの名高い水仙の詩が浮かぶ。〈谷また丘の上高く漂う雲のごと/われひとりさ迷い行けば/折しも見出(みい)でたる一群の/黄金色に輝やく水仙の花/湖の畔(ほとり)、木立の下に/微風に翻(ひるが)えりつつ、はた、躍りつつ……〉(田部重治訳)▼うたわれているのはラッパ水仙だという。冬枯れの寂しい山野にいち早く開く水仙は、かの地でも希望と喜びをもたらす花として親しまれたそうだ。日本でも「早春」の一語を真っ先に胸に呼び込む花だろう▼〈燕(つばめ)も来ぬに水仙花/大寒(おおさむ)こさむ三月の/風にもめげぬ凜々(りり)しさよ〉はシェークスピアの戯曲「冬物語」から抜粋した上田敏の名訳詩。洋の東西で、寒さにひきしまる咲き姿に、清と凜(りん)のイメージがよく似合う
各コラムに中で、天声人語が気にいった朝でした。又、NHKニュースでは
・石見空港でスイセンプレゼント
益田市の石見空港で飛行機の乗客に地元で栽培されたスイセンの花束がプレゼントされました。
これは、益田市の花、スイセンをPRするとともに石見空港の利用促進を図ろうと、住民グループとスイセンを生産している「JA西いわみ水仙部会」が毎年この時期に行っているものです。
飛行機の利用者にプレゼントされたのはスイセンづくりが盛んな益田市鎌手地区の生産農家が栽培したスイセンの花束です。
搭乗待合室では、生産農家や地元の小学生など14人が、ふるさとから東京へ向かう人など131人に、声をかけながら次々と手渡しました。
花束を受け取った乗客たちは、「さわやかな香りでとてもうれしかったです」とか「近所にも配りたいです」などと話していました。「JA西いわみ水仙部会」によりますと、今シーズンは去年の8月から9月にかけて雨が多かったことから花の出荷はいつもの年よりおよそ1か月早いペースで進んでいて、1月中旬で終了する見通しだということです。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【夢を実現する今日の一言】

・下を向いて歩いても

 夢は落ちてないよ

 上を向いて歩いてごらん

 そこには夢を自由に描ける

 大きな空があるから
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
~今日は何の日~
☆歴史上の出来事
▼京都駅で入営見送り中の77人圧死(1934),▼ブリヂストン美術館開館(1952),▼国産初の人工衛星「さきがけ」を打ち上げ(1985)
☆記念日・行事・お祭り
●初薬師,●どんど焼き
☆今日の誕生日
▼森英恵(デザイナー・1926),▼小泉純一郎(第87、88代内閣総理大臣・1942),▼市川染五郎(歌舞伎俳優・1973)
☆クローズアップ!
・初薬師/どんど焼き
 毎月8日は薬師如来の縁日。1年の最初の日は初薬師と呼ばれている。薬師如来のご利益は健康。十二誓願を発し衆生の病患を治すとされる。どんど焼きは、氏子から集められた正月飾りを山積みにして焼き、無病息災と家内安全を祈る行事。“どんど”とは、子どもたちが青竹で地面を叩くという囃子詞「どんどやどんど」に由来する。
..
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・デンドロビウム(ラン科)
・華やかな魅力
「きょうの一句」
・凍鶴(いてづる)が羽ひろげたるめでたさよ   阿波野青畝(あわのせいほ) 

☆~心に響く366の寸言~
 ・今日の言葉~「安岡正篤 (やすおか まさひろ)一日一言」より(致知出版社刊)
【挨拶の意味】
挨拶とはどういう意味かと申しますと、挨も拶も、直接の意味はぴったりとぶつかる、すれ合うということで、従って物を言うのに、相手の痛いところ、痒いところへぴったりと当たる、これが挨拶であります。
☆1月8(日): 松下幸之助[一日一話]
【祈る思い】
 みずから何もせずしてただ神仏にご利益を願うというようなことは、人間としてとるべき態度ではないと思う。また、そんな都合のよいご利益というものはあり得ないだろう。

 しかし人間がほんとうに真剣に何かに取り組み、ぜひとも成功させたい、させねばならないと思うとき、そこにおのずと何ものかに祈るというような気持が湧き起こってくるのではないか。それは神仏に祈念するというかたちをとる場合もあろうし、自分なりにそれに準ずるものを設定して願うという場合もあろう。そういうことは一つの真剣さの現われであり、またみずからの決意を高めるという意味からも、大いにあっていいことだと思う。
タイトル:「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 897日

最新の画像もっと見る

コメントを投稿