たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎中九州の名所・旧跡めぐり4日間の旅(三日目の5/18(金))

2012-05-24 06:26:16 | 旅行
★今日は、間もなく次男が帰省するので心待ちにしている。その為、今朝は5時前に起き、近くを30分ばかり歩く。5月も下旬に入り日の出時間も随分早くなったが、山から太陽が出て来るのも5:10頃になった。当地は今日も、朝から陽が射して良い天気の様である。
次男が帰宅したら、何処かに出掛け様と思っている。
さて、昨夜は嬉しいニュースが!「里見さん最年少で女流4冠に
」NHK島根県のニュースより
・雲市出身の将棋の里見香奈女流3冠は、23日、福岡県飯塚市で行われた女流王位戦5番勝負第3局で、甲斐智美女流王位に勝ち3連勝でタイトルを獲得し、これまでの記録を大幅に更新する史上最年少での女流4冠となりました。出雲市出身の里見香奈さんは、将棋の6つの女流タイトルのうち「女流名人」と「女流王将」、それに「倉敷藤花」の3つを保持しています。
里見さんが、4つ目のタイトルを目指す女流王位戦の5番勝負は、甲斐智美女流王位に2連勝してタイトル獲得に王手をかけ、23日、福岡県飯塚市で、第3局が行われました。
甲斐女流王位の先手で始まった対局は、中盤以降、里見さんの優勢な展開で進み終盤もリードを保って、甲斐女流王位が120手で投了しました。
この結果、里見さんは3連勝で「女流王位」のタイトルを獲得し、女流4冠となりました。
又、対局後のコメントが良い
「女流4冠となって、うれしいといった気持ちは、実感として無く、ほっとした気持ちでいっぱいです。地元・島根の方々が応援してくれているので、それに応えることが出来てうれしいです。これからも一生懸命がんばっていきます」
是非次を目指して欲しいものである。
中九州の名所・旧跡めぐりの3日目も天気に恵まれ、お陰で旅を満喫する事が出来ました。ツアーには入って無い所や、知らなかった名所等を中心に観光。中でも、岡城跡は一度は訪れる価値ある名所だと思った。特に岡城跡の石垣には、ビックリした。当時これだけの石垣を積むには、大変な労力と技術・時間を要しただろう。それに通潤橋も石造りなので、それぞれ石を利用しての文化と言えるであろう。では、3日目をどうぞ!
<3日日>5/18(金)
阿蘇リゾートグランヴィリオホテル(7:30発)⇒大観峰(8:20~8;45)⇒大分里の駅・スカイパークあざみ台(9:30)⇒くじゅう花公園(9:40~10:00)道の駅 竹田(1:30)⇒岡城跡(11:10~12:00)⇒原尻の滝・道の駅  原尻の滝(12:10~13:00)⇒通潤橋(4:20~4:40)⇒亀の井ホテル泊:朝夕2食付きプラン(熊本県菊池郡大津町引水)延べ走行距離780km
☆朝風呂の後、7時からの朝食前にホテル周辺を散策。雄大な阿蘇外輪山に囲まれた静かなホテルで温泉も有り(6:08)気温13℃



☆大観峯に到着(8:30頃)気温12℃
・大観峰(だいかんぼう)は、熊本県阿蘇市にある山である。標高は935.9m。阿蘇北外輪山の最高峰であり、カルデラ盆地の阿蘇谷や阿蘇五岳をはじめ、九重連山を一望することができる。
「大観峰」の名は熊本県出身のジャーナリスト・徳富蘇峰によって命名されたとされており、古くは「遠見ヶ鼻」と呼称されていた。阿蘇谷を一望できることから熊本県内のテレビ放送局が阿蘇北中継局を設置しているほか、警察庁の無線中継所も設置されている。

・中学生と思われる修学旅行の団体バス3台が到着(8:42)

☆スカイパークあざみ台展望所:大分里の駅(9:21)気温13℃




☆標高850m久住高原:花の駅(9:47)気温14℃




☆史跡 岡城跡(11:21)気温21℃
竹田市に入り道路を走ると、瀧廉太郎の名曲、「荒城の月」のメロリーが流れ不思議に思った。後で、瀧廉太郎との関係を知る。
・竹田市、九州の小京都とも呼ばれ、古くからの町並みを残す静かな街である。湧水の郷でもあり、多くの湧水スポットが集まる竹田湧水群は日本名水百選に選定されている。国道57号線や交わる主要道沿線は現代の町並みを呈するが、市内へ入れば昔ながらの店や家が連なる和風の町並みが目に飛び込んでくる。人口2万人を割り込む静かな山里、それ故に無闇な開発も行われずに昔ながらの雰囲気を残しているのだろう。
そんな市内を抜けて岡城址を目指す。岡城は市内からすぐであるが、自然の造形を守りの一部として活用した天然要害型の城である。戦国時代後半に出現した、平野部に石垣と堀による城郭を持つ江戸城や大阪城等の、大名の見栄も入ってそうな要害造営型に比べると戦闘防御能力は高い(生活面はやや不便だろうが)。ちなみにに天然要害型、要害造営型とは私の勝手な呼称である。
さて、岡城ではもう一つ有名なのが瀧廉太郎の名曲、「荒城の月」のモデルとされているところだ。岡城は、明和8年(1771年)に城下町の火災の延焼により焼失していることもあるが、明治維新後はさらに荒廃する。
では岡城と瀧連太郎とはどういったつながりがあるのか。瀧廉太郎は明治12年(1879年)に生まれ、明治36年(1903年)に23年間の生涯を閉じた。実に短命である、改めて驚いた。才がありすぎたのか早すぎる生涯、神はニ物をなかなか与えてくれないらしい。生まれてからは東京で暮らしていたが、父親の転勤によって12歳の頃にこの地に移る。14歳で再び上京するが竹田は故郷となり数回帰省している。
この頃に瀧廉太郎が見た、あるいは遊んだのは荒廃している岡城である。そんな荒れた城から月を見たのだろうか、荒城の月は生まれた。荒涼とする中で、かつての賑わいを偲んだのだろう。荒城の月は、作曲・瀧連太郎、作詞・土井晩翠で、1901年(明治34年)の「中学唱歌」の作曲募集に当選、後に名曲の多い当時の中にあって、名曲中の名曲と称されている。余談だが、「こうじょうのつき」と聞いたら「工場の月」や「交情のツキ」と思う人、今ならいるかも。(大分観光九州より)
※さらに詳しくは、「あしこし九州」をご覧下さい。
http://www.ajkj.jp/ajkj/oita/takeda/kanko/okajyo/okajyo.html





☆道の駅 原尻の滝近くの原尻の滝へ(12:18)気温22℃
・幅120m、高さ20m。田園に囲まれた平地に突如滝が現れるのが特徴で、「東洋のナイアガラ」と呼ばれる。滝の下流には木造の吊り橋「滝見橋」が、また、すぐ上流には沈下橋がそれぞれ架けられており、これらの橋を通って滝の周りを一周する遊歩道が整備されている。また、滝壺の岸まで降りたり、滝壺をボートで遊覧することもできる。



☆滝近くのつり橋:滝見橋(12:22)この橋の中央からは、真正面に滝が見渡せた。

☆お昼を過ぎたので、滝側の水車の有るお店にて昼食(12:31頃)

・何故かここで食べた「ざるそば」は、これまでの中で一番美味しく感じる。お店の雰囲気・周辺の景色・そば・スタッフのサービス・お腹もすいていたせいも?等々で大満足する。

☆宿泊ホテル近くの「道の駅 大津」(14:55)気温26℃
・道の駅大津は、国道57号沿い「阿蘇の玄関口」大津町にあります。 熊本県及び全国の工芸品と面白いグッズが一杯の「おもしろ館」や、県内各地の特産品を網羅した「物産館」で楽しくお買物いただき、 熊本の郷土料理と味が自慢の「レストラン肥後の路」でおくつろぎ下さい。

☆山都町の通潤橋(つうじゅんきょう)16:00~16:20気温23℃
・阿蘇外輪山の南西側すそ野、上益城郡山都町(旧矢部町)に、全長79.64m、橋幅6.65m、橋高21.43m(昭和59年3月の通潤橋修理工事報告書より)の堂々とした「通潤橋(つうじゅんきょう)」という、大きな石橋がある。この橋は江戸時代ペリーの来航騒ぎの最中、安政元年(1854)矢部手永(てなが)惣庄屋(そうじょうや)布田保之助(ふたやすのすけ)の企画、石工丈八(じょうはち)達の技術、矢部郷住民の献金と労力奉仕のもとに完成したものである。
通潤橋は人を渡す橋ではなく、橋の上に石造パイプを3列並べた通水管を通し、水を渡す水路橋である。水路は水の吹上口が取入口より約6m低くなり、逆サイホン(注)とも呼ばれる連通管によって対岸に水を送る特異な構造になっている。アーチ橋自体の技術史上、また文化史上貴重な遺構、極めて重要な建造物と認められ、昭和35年2月9日に文化財保護法の規定により、国の重要文化財にも指定されている。(熊本国府高等学校パソコン同好会制作より)



※尚興味ある方は、通潤橋物語(通潤橋の謎)を参照下さい。
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/isibasi/tuujun_s.html

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