☆今朝の富士山ライブカメラは、山中湖湖畔から(8:29)
★体育の日も引き続いて、良い天気に恵まれている。気温も、10度Cと朝は冷込んでいた。昨夜は義母宅を訪問し、宿泊して先ほど帰宅。祝日のせいか、国道は車も少なく感じた。昔は体育の日と言えば、1964年東京オリンピックの開会式のあった10月10日だった。そこで何時からこの10/10の体育の日が変わったのか調べて見た。そうしたら、2000年(平成12年)からは「ハッピーマンデー制度」の適用により、10月の第2月曜日となっていた。(祝日法)では「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」事が趣旨。まあ特にスポーツはしてないが、早朝のウオーキングを通じて健康増進をと思っている。今朝は、義母宅から高津川の堤防を30分ばかり歩いた。たまには、違ったコースも気分や景色が変わって良い。今朝の富士山は、少し雲が有り昨日程は見えない。忍野八海付近では、今日の3連休最終日もこの時間、沢山の観光客の姿が見られる。昨日の富士山は、この時期では一番素晴らしかったと思うが?特に今季初めての、雪化粧の富士山が印象的だった。
では、月刊『致知』のメルマガでの人間力・仕事力アップに役立つ内容をご紹介しましょう!「Jリーガー、司法試験に挑む」
八十祐治(やそ・ゆうじ=第60期司法修習生、元プロサッカー選手)
■Jリーガーからの転身
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
私は昨年、4度目のチャレンジで司法試験に合格しました。
幼稚園でサッカーの虜になり、高校、大学のサッカー部を経て
Jリーグのガンバ大阪へ入団。
サッカー一筋の人生を歩んでいた私が、
まったく畑違いの司法の道を志したのは、
六年前に現役を引退した後でした。
現役時代は、厳しいトレーニングに耐え、
あらゆる努力をサッカーに注ぎ込みましたが、
一流のプロがしのぎを削るJリーグで
レギュラーの座を勝ち取るのは至難の業でした。
ガンバ大阪に所属した二年間で
リーグ戦に出場できたのは三試合。
その後3つのチームを経て、
31歳でユニフォームを脱ぎました。
目標を見失い、心にポッカリと穴が開いたような
虚しさの中で私は考えました。
世間で定年といわれる60歳までまだ30年ある。
これからいったい何をやっていくべきだろうか。
自分の実力だけが頼りのプロスポーツの世界で
やってきた私には、この先も自分の実力で
勝負していきたいという思いがありました。
その武器となる資格を取ろうと考え、
司法試験へのチャレンジを決意したのでした。
法律や、司法の仕事に関する知識などもちろんなく、
怖いもの知らずで立てた目標ですが、
どうせチャレンジするなら高い目標をクリアしたい。
これまでサッカーに注いできた熱意や努力をもってすれば、
きっと成し遂げられるはずだという信念が私にはありました。
試験の内容は、憲法、民法、刑法、刑事訴訟法、
民事訴訟法、商法と広範にわたり、
民法だけでも千条以上もの条文があります。
これだけの条文をただ暗記するだけでなく、
条文と友達になり、問題を見て瞬時に
反応できるまで身体に染みこませなければなりません。
一度覚えたと思っても、何日か経つと忘れている。
歯がゆい思いをしながら覚え直し、
その繰り返しで少しずつものにしていきました。
特に難しい論文対策としては、
模範解答を何度も書き写し、
手を動かすことで体に叩き込みました。
書きためたものを重ねると大変な厚みになり、
それが努力の証しとなりました。
受験勉強は単調なことの繰り返しです。
最初の頃は初めて触れる内容に知的好奇心が刺激され、
結構楽しみながら取り組むことができましたが、
長丁場となればいかにモチベーションを維持するかが
課題となってきます。
私は勉強をサッカーに置き換えて臨みました。
本番の試験は公式戦で、模擬テストは練習試合。
単調な暗記の勉強は基礎練習に取り組むイメージで、
おもしろくなくても、これが後で必ず生きてくると
自分に言い聞かせながら取り組みました。
■目標達成に近道などない
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
すでに結婚して2児の父となっていたため、
当初は営業の仕事をしながら勉強をしていました。
夕方に仕事を終え、夜の10時くらいまで
専門学校で講義を受け、帰宅後軽く食事をして
さらに明け方の3時くらいまで頑張る。
それでも2年続けて1次試験で落ち、
このままではいつまでも受からないと思い、
会社を辞め、背水の陣をしいて
受験に専念することにしました。
早く受からなければ──収入がなくなったことからくる
プレッシャーは相当なものでした。
なぜこんな難しい勉強を始めてしまったのだろう。
自分はいつまでも受からないのではないだろうか。
不安で仕方なく、頭の中には
悪い考えばかりが浮かんできました。
気持ちが乗らず、机に向かう気にすら
なれないこともしばしばありました。
私はそんな自分に
「絶対諦めない。今度こそ受かってやる」
と必死で言い聞かせ、
「絶対合格する」と繰り返し紙に書いて
心を奮い立たせました。
プロのサッカー選手としては挫折が多かったけれども、
ここで諦めたら、その体験が何も生かされないまま
終わってしまう。
挫折をなんとかプラスに転換し、
成功という形を残したい。
そんな切実な思いがありました。
支えになったのは家族でした。
妻は文句一つ言わずについてきてくれ、
「司法試験より難しいプロのサッカー選手に
なれたんだから、絶対受かる」
と励まし続けてくれました。
長女が覚えたての拙い字で書いてくれた
「パパがんばれ」の言葉は、私の大切なお守りでした。
ついに合格を果たした時には、
安堵で全身から力が抜け、
喜びの言葉すら発することができませんでした。
異色の経歴から、目標達成や夢を実現する秘訣に
ついてよく聞かれます。
しかし私は、自分の決めた目標に向かって
コツコツ地道に努力を続けてきたに過ぎません。
近道などないことを自覚して、
半歩でも前へ進む努力を積み重ねていくしかない、
というのが私の実感です。
サッカーにおいても、実力が伯仲する中で
頭一つ抜きん出ていく人は、
単に技術や体力に秀でているだけではありませんでした。
日頃の練習態度からグラウンドの外の私生活に至るまで、
易きに流されがちな自分に打ち克つ強い心を持っており、
人間的に尊敬できる人ばかりでした。
司法試験は自分の弱さを知り、
自分を深く見つめ直す貴重な体験となりました。
私はいずれ自分のユニークなキャリアを生かし、
引退するプロスポーツ選手の法的支援に
携わりたいと考えています。
司法試験の体験を生かしてさらに人間的成長を図り、
常に全力で仕事に取り組むことで、
クライアントから信頼される
法のプロを目指してまいりたいと考えています。
『致知』2006年6月号「致知随想」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/200606_index.html
今日の「誕生日の花と花言葉」
・シュウメイギク・キブネギク(キンポウゲ科)
・忍耐
☆「きょうの一句」
・手廂(てびさし)に子を追ひかけて運動会 土生重次(はぶじゅうじ)
(NHK・ラジオ深夜便4時台後半より
☆今日は何の日(10月12日)
・体育の日
・クリストファー・コロンブスらが新大陸アメリカに初上陸(1492年)
・大政翼賛会発足(1940年)
・浅沼稲次郎刺殺(1960年)
・メキシコオリンピック開幕(1968年)
~心に響く366の寸言~
【患難に素しては】
「患難(かんなん)に素(そ)しては患難に行なう」
──病気をすると、辛いことは辛い。
しかし、またその病気の中に無限の意味もあり、
効用もある。快楽もある。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
★10月12日 松下幸之助[一日一話]
<経営は総合芸術>
経営者の仕事は、画家などの芸術家の創造活動と軌を一にするものだと考える。一つの事業の構想を考え、計画を立てる。それに基づいて資金を求め、工場その他の施設をつくり、人を得、製品を開発し、それを生産し、人びとの用に立てる。その過程というものは、画家が絵を描くごとく、これすべて創造の連続だと言えよう。
なるほど、形だけみれば単に物をつくっていると見えるかもしれないが、その過程にはいたるところに経営者の精神が生き生きと躍動しているのである。その意味において、経営はきわめて価値の高い、いわば総合芸術ともいうべきものだと思います。
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
★体育の日も引き続いて、良い天気に恵まれている。気温も、10度Cと朝は冷込んでいた。昨夜は義母宅を訪問し、宿泊して先ほど帰宅。祝日のせいか、国道は車も少なく感じた。昔は体育の日と言えば、1964年東京オリンピックの開会式のあった10月10日だった。そこで何時からこの10/10の体育の日が変わったのか調べて見た。そうしたら、2000年(平成12年)からは「ハッピーマンデー制度」の適用により、10月の第2月曜日となっていた。(祝日法)では「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」事が趣旨。まあ特にスポーツはしてないが、早朝のウオーキングを通じて健康増進をと思っている。今朝は、義母宅から高津川の堤防を30分ばかり歩いた。たまには、違ったコースも気分や景色が変わって良い。今朝の富士山は、少し雲が有り昨日程は見えない。忍野八海付近では、今日の3連休最終日もこの時間、沢山の観光客の姿が見られる。昨日の富士山は、この時期では一番素晴らしかったと思うが?特に今季初めての、雪化粧の富士山が印象的だった。
では、月刊『致知』のメルマガでの人間力・仕事力アップに役立つ内容をご紹介しましょう!「Jリーガー、司法試験に挑む」
八十祐治(やそ・ゆうじ=第60期司法修習生、元プロサッカー選手)
■Jリーガーからの転身
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
私は昨年、4度目のチャレンジで司法試験に合格しました。
幼稚園でサッカーの虜になり、高校、大学のサッカー部を経て
Jリーグのガンバ大阪へ入団。
サッカー一筋の人生を歩んでいた私が、
まったく畑違いの司法の道を志したのは、
六年前に現役を引退した後でした。
現役時代は、厳しいトレーニングに耐え、
あらゆる努力をサッカーに注ぎ込みましたが、
一流のプロがしのぎを削るJリーグで
レギュラーの座を勝ち取るのは至難の業でした。
ガンバ大阪に所属した二年間で
リーグ戦に出場できたのは三試合。
その後3つのチームを経て、
31歳でユニフォームを脱ぎました。
目標を見失い、心にポッカリと穴が開いたような
虚しさの中で私は考えました。
世間で定年といわれる60歳までまだ30年ある。
これからいったい何をやっていくべきだろうか。
自分の実力だけが頼りのプロスポーツの世界で
やってきた私には、この先も自分の実力で
勝負していきたいという思いがありました。
その武器となる資格を取ろうと考え、
司法試験へのチャレンジを決意したのでした。
法律や、司法の仕事に関する知識などもちろんなく、
怖いもの知らずで立てた目標ですが、
どうせチャレンジするなら高い目標をクリアしたい。
これまでサッカーに注いできた熱意や努力をもってすれば、
きっと成し遂げられるはずだという信念が私にはありました。
試験の内容は、憲法、民法、刑法、刑事訴訟法、
民事訴訟法、商法と広範にわたり、
民法だけでも千条以上もの条文があります。
これだけの条文をただ暗記するだけでなく、
条文と友達になり、問題を見て瞬時に
反応できるまで身体に染みこませなければなりません。
一度覚えたと思っても、何日か経つと忘れている。
歯がゆい思いをしながら覚え直し、
その繰り返しで少しずつものにしていきました。
特に難しい論文対策としては、
模範解答を何度も書き写し、
手を動かすことで体に叩き込みました。
書きためたものを重ねると大変な厚みになり、
それが努力の証しとなりました。
受験勉強は単調なことの繰り返しです。
最初の頃は初めて触れる内容に知的好奇心が刺激され、
結構楽しみながら取り組むことができましたが、
長丁場となればいかにモチベーションを維持するかが
課題となってきます。
私は勉強をサッカーに置き換えて臨みました。
本番の試験は公式戦で、模擬テストは練習試合。
単調な暗記の勉強は基礎練習に取り組むイメージで、
おもしろくなくても、これが後で必ず生きてくると
自分に言い聞かせながら取り組みました。
■目標達成に近道などない
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
すでに結婚して2児の父となっていたため、
当初は営業の仕事をしながら勉強をしていました。
夕方に仕事を終え、夜の10時くらいまで
専門学校で講義を受け、帰宅後軽く食事をして
さらに明け方の3時くらいまで頑張る。
それでも2年続けて1次試験で落ち、
このままではいつまでも受からないと思い、
会社を辞め、背水の陣をしいて
受験に専念することにしました。
早く受からなければ──収入がなくなったことからくる
プレッシャーは相当なものでした。
なぜこんな難しい勉強を始めてしまったのだろう。
自分はいつまでも受からないのではないだろうか。
不安で仕方なく、頭の中には
悪い考えばかりが浮かんできました。
気持ちが乗らず、机に向かう気にすら
なれないこともしばしばありました。
私はそんな自分に
「絶対諦めない。今度こそ受かってやる」
と必死で言い聞かせ、
「絶対合格する」と繰り返し紙に書いて
心を奮い立たせました。
プロのサッカー選手としては挫折が多かったけれども、
ここで諦めたら、その体験が何も生かされないまま
終わってしまう。
挫折をなんとかプラスに転換し、
成功という形を残したい。
そんな切実な思いがありました。
支えになったのは家族でした。
妻は文句一つ言わずについてきてくれ、
「司法試験より難しいプロのサッカー選手に
なれたんだから、絶対受かる」
と励まし続けてくれました。
長女が覚えたての拙い字で書いてくれた
「パパがんばれ」の言葉は、私の大切なお守りでした。
ついに合格を果たした時には、
安堵で全身から力が抜け、
喜びの言葉すら発することができませんでした。
異色の経歴から、目標達成や夢を実現する秘訣に
ついてよく聞かれます。
しかし私は、自分の決めた目標に向かって
コツコツ地道に努力を続けてきたに過ぎません。
近道などないことを自覚して、
半歩でも前へ進む努力を積み重ねていくしかない、
というのが私の実感です。
サッカーにおいても、実力が伯仲する中で
頭一つ抜きん出ていく人は、
単に技術や体力に秀でているだけではありませんでした。
日頃の練習態度からグラウンドの外の私生活に至るまで、
易きに流されがちな自分に打ち克つ強い心を持っており、
人間的に尊敬できる人ばかりでした。
司法試験は自分の弱さを知り、
自分を深く見つめ直す貴重な体験となりました。
私はいずれ自分のユニークなキャリアを生かし、
引退するプロスポーツ選手の法的支援に
携わりたいと考えています。
司法試験の体験を生かしてさらに人間的成長を図り、
常に全力で仕事に取り組むことで、
クライアントから信頼される
法のプロを目指してまいりたいと考えています。
『致知』2006年6月号「致知随想」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/200606_index.html
今日の「誕生日の花と花言葉」
・シュウメイギク・キブネギク(キンポウゲ科)
・忍耐
☆「きょうの一句」
・手廂(てびさし)に子を追ひかけて運動会 土生重次(はぶじゅうじ)
(NHK・ラジオ深夜便4時台後半より
☆今日は何の日(10月12日)
・体育の日
・クリストファー・コロンブスらが新大陸アメリカに初上陸(1492年)
・大政翼賛会発足(1940年)
・浅沼稲次郎刺殺(1960年)
・メキシコオリンピック開幕(1968年)
~心に響く366の寸言~
【患難に素しては】
「患難(かんなん)に素(そ)しては患難に行なう」
──病気をすると、辛いことは辛い。
しかし、またその病気の中に無限の意味もあり、
効用もある。快楽もある。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
★10月12日 松下幸之助[一日一話]
<経営は総合芸術>
経営者の仕事は、画家などの芸術家の創造活動と軌を一にするものだと考える。一つの事業の構想を考え、計画を立てる。それに基づいて資金を求め、工場その他の施設をつくり、人を得、製品を開発し、それを生産し、人びとの用に立てる。その過程というものは、画家が絵を描くごとく、これすべて創造の連続だと言えよう。
なるほど、形だけみれば単に物をつくっていると見えるかもしれないが、その過程にはいたるところに経営者の精神が生き生きと躍動しているのである。その意味において、経営はきわめて価値の高い、いわば総合芸術ともいうべきものだと思います。
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
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