朝から、ずっと、風が、吹き荒んでいますね。今日は、子どもの日です。この風では、きっと、鯉は、吹きちぎれそうなのでしょうね。子どもの頃の自分の家は、父が、小学校教師。でも、その頃の公務員の給料は、民間より、たいがい、安かったんです。昭和三十年代ですから、まだ良かったですが。戦後直ぐの公務員なんて、本当、給料が安い上に、末端程、モラルを求められます。交番のお巡りさんが、闇市に行けなくて、家族を飢えさせて、自殺してしまったなんて、悲劇も、あったようです。
あの頃の我が家は、鯉のぼりは、一匹だけでした。お父さんだけ。それで、父が、なんか、細いけど、木の皮をむしっただけのような裸の柱を立てて、鯉のぼりを、泳がせてくれました。でも、矢車が無いんです。擬きが付いてましたが。柱は、結構高いけど、剥き出しの細い木の幹で、なんかみすぼらしい。それで、鯉も一匹だけ。父が、頑張って立ててくれるから、何にも言えないけど。叔父さんも、結核で入院しているから、貧乏で仕方がないけど。男兄弟は、兄と二人いるんですよね。父も入れれば、男三人。病院の叔父さんも入れれば、四人ですよ。自分の分なんて、どこにいるんでしょうか。
きっと、お父さんが、おじいちゃんから、引き継いだんだろうなと、思っていました。父は、長男で、弟二人。おじいちゃんもいて、男は、やっぱり四人ですよ。お母さんだったおばあちゃんの鯉のぼりだって、普通はいますよ。五匹必要だったんですよね。本当は。
姉は、一人で、お雛様は、ちょっと、小ちゃかった。でも、ガラスのケースに入っていて、お人形の数も、それなりにいた。今思えば、意外と、綺麗だった。羨ましかったですね。母の実家が、自分の実家より、お金持ちだったから、そのせいかも知れませんが。
それより、友だちの家とかが、羨ましった。綺麗な柱に、矢車。お父さんとお母さん。子どもの鯉のぼりも、二匹。随分と違いました。うちは、学校の先生のお父さんの給料が安くて、叔父さんが結核だから、貧乏なんだなと、思っていました。
大人になって、結婚して、でもやっぱり、共稼ぎだけど、あんまりお金はない。公団、今のURの団地ですね。11階建ての3階の1DKです。もちろん、ベランダは、あります。やがて、息子が、生まれました。
「鯉のぼりだね。」自分と妻とベビーカーの息子と。三人です。おじいちゃんの義父には、五月人形を買って貰った記憶が、あります。でも、鯉のぼりは、自分で買いました。買いたかった。「これ、可愛いね!」ニュータウンの大きなスーパーのおもちゃ売り場。「そうだね!」ベビーカーの息子を押しながらの妻。「これにしようか。」「良いよ。」妻。ベビーカーの赤ちゃんの息子は、まだ歩けなくて、きょとん。五月生まれで、もうすぐ一歳。
団地のベランダにかざすのには、ちょうど良かったんです。ベランダの柵に,取り付けられるようになっています。でも、そんなに、小ちゃくない。もちろん、そんなに、大っきくない。ただ、お父さんの自分と、お母さんの妻と、赤ちゃんの息子と。三匹、泳いでいます。高層の団地の広い中庭に面したベランダで。
借金の塊のマンションは、専用庭のある一階でした。引っ越して、直ぐでした。臨月の妻が、急に、産気付いてしまった。義弟も生まれた妻の実家の近くの巨大な産院です。専用救急車で、行ってしまいました。不安気に抱きつく長男を、一晩中、抱きしめていました。
また、男の子です。分かっていましたけど。また、一匹買い足して、翌年の子どもの日。狭い専用庭に面したベランダの柵に取り付けて、今度は、四匹で泳ぎました。自分の子どもの頃とは、違います。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、弟、みんないますね。ちょっと、誇らしい。
田舎の分譲地に、一戸建てを、買いました。庭も、結構あります。でも、ベランダに取り付けるあの鯉のぼりは、可愛い。庭用の大きな鯉のぼりは止めて、2階のベランダに取り付けて、使い続けました。ただ、やがて、子犬が、うちの子になりました。おとこのこです。もうすぐ、子どもの日です。「可哀想だね。」「そうだね。」お父さんの自分と、お母さんの妻と。でも、ちょっと、倹約しました。おまけです。七五三の千歳飴のおまけとか、そんな感じでした。凄く、小ちゃくなるけど。でも、一人前に、泳げるサイズです。その年からは、ちゃんと、五匹になりました。
「しろ、小ちゃ過ぎない?」子どもたち。「でも、子犬だったからね。」でもでも、直ぐに、いぬは、大きくなります。やがて、子どもたちも。いつからか、鯉のぼりは、出さなくなりました。どこにあるのか…
断捨離を、しっかりする妻が、捨てたのでしょう…