多摩爺の「時のつれづれ(神無月の39)」
イスラエルは、だれのもの?
中東の火薬庫イスラエルで、またまたパレスチナとの大規模な紛争が起こってしまった。
双方の国連大使は互いを非難し合い、解決の糸口がみつからない。
正確に記せば、イスラエルという国家とパレスチナ自治区が起こした紛争ではなく、
自治区政府とは一線を画す別働隊の、イスラム過激派組織「ハマス」が、
どこのだれか(イランとの情報もあるが)は不明だが、スポンサーの支援を得て攻撃準備を整え、
タイミングを見計らってイスラエルに仕掛けた・・・ テロ攻撃である。
難儀なのは、パレスチナ自治区にとっても、ハマスは厄介な集団に位置づけられてるが、
それを声にしても、自治区内のアラブ人から支持が得られないこともあり、
痛し痒しのパレスチナ自治区は・・・ 昔からアラブ人とユダヤ人にある対立構造に基づき、
ハマスを支持せざる得ない状況にあることだろう。
なぜ・・・ このタイミングでと思うが、
おそらく、ロシアによるウクライナへの侵略が1年半経ち、膠着状態に陥ったことと、
ウクライナを支援する国々に、疲れと不満が見え始めたタイミングを見計らっていたのだと思う。
そう捉えれば、ウクライナを支援してきた国々は、
ズル賢い奴らを支援するスポンサー(イラン?)が、すぐ近くにいたことを、
少々甘く見ていた感がしないでもない。
ただ、いまそこにはユダヤ人を中心とした、イスラエルという国家があって、
そのイスラエルという国家のなかに、パレスチナ人が自治権を持つ自治区があることから、
いささかややこしいが・・・ 双方の言い分を検証すると、
国境というものが、まだ正確に引かれてなかった昔に遡らねばならないから、事態は相当に根深い。
間違ってたらゴメンだが、遡るといっても100年前はアラブ人が支配していたはずだが、
紀元前まで遡るとユダヤ人に分があるから・・・ ややこしい。
私の学生時代の記憶が確かなら、紀元前この地にあったのはユダヤ人の王国で、
バビロニア帝国だったか、ペルシャ帝国だったか忘れちゃったけど、ユダヤの王国は征服され、
その後、アラブ人のビザンチン帝国の支配を経て、十字軍のローマ帝国の属国になるまでは、
アラブ人がこの地を支配していたと学んだような記憶が・・・ なんとなく残っている。
その後、ローマ帝国からオスマン帝国の支配を経る間に・・・ 多くのユダヤ人が戻ってきて、
第一次世界大戦後の大英帝国の統治を経て、第二次世界大戦後には、
この地に住むアラブ人とユダヤ人が分割して統治をするようにと・・・ 国連が求めたものの、
経済力に勝るユダヤ人が、一方的にイスラエルを建国したまま現在に至ってると記憶してる。
(あくまでも個人的な記憶なので、間違ってたらホントに申し訳ない。)
私の記憶を整理すると・・・ もともとは、ユダヤ人が住んでいたが、
かなり前に、アラブ人に追い出された後、
先の大戦を経て、ユダヤ人が挽回したとのイメージが強い。
イスラエルの大地は、いったいだれのものなんだろうか?
昔々、そこに住んでいた者たちのものか?
それとも・・・ そこに長く住んでいた者たちのものか?
そのどちらでもなく、いまそこに住んでる者たちのものだと思うが・・・ 如何なものだろうか?
もちろん、歴史の捉え方には様々な視点があるが、
都合が悪くなると、もっと昔に遡れと主張することから、
どちらの言い分が正しいのかなんてことは・・・ それこそ、神のみぞ知るになってしまう。
また、神にその問いを投げかけても、
そこにはユダヤの神と、イスラムの神がいるので、
双方に都合の良い解釈があり、明解な答えが見つかるとも思えない。
そう捉えれば、いまを生きる者たちが知恵を絞り・・・ 互いが一歩引き、胸襟を開いて、
妥協点を見つけることしかない・・・ なんて、
いかにもお利口さんらしいコメントを発する、MCや解説者ばかりになるが、
そのようなコメントは・・・ 果たして的を射ているのだろうか?
もちろん、そのような考えは正論であり、異論を唱える者はいないと思うものの、
一方でそれは、平和な国に暮らしている、善意の第三者たちの考えであり、
都合の良い言葉を操って、話し合いをすべき・・・ と云うものの、
人の命を軽視する覇権主義者、共産主義者、イスラム原理主義者の心に届くことはなく、
残念だが、行き着くところまで行かないと、落ち着くところに落ち着かないのかもしれない。
この地で火の手が上がると・・・ 我々はどうしても、
イスラエルのサイドから見てしまうが、それで良いのだろうか?
相手サイドの立場に立って見ることが、すっぽり抜けているとはいうものの、
この国の周辺にも、力ずくで現状変更を企む輩がいて・・・ それどころではないのだ。
80年ぐらい前のことだから、心の傷として忘れられないことは致し方ないと思うものの、
それを逆手にとって、ヘイト教育を進める隣国では、
元首相が銃撃され、亡くなった事件を揶揄して、高校の運動会で寸劇にしたというんだから、
ヘイト教育に毒された若者は、やって良いことと悪いことの区別すら、つかなくなっているようだ。
さらに隣国は、大陸棚まで領海だと主張し、国際法を力ずくで捻じ曲げ、周辺諸国を威嚇しながら、
相手の堪忍袋が切れるのを待って、攻撃のタイミングを見計らっているようにも見えるから、
暢気にイスラエルとハマスの紛争を評論するのは良いが、
その裏で、虎視眈々とタイミングを見計らってる国があることも忘れてはならない。
いまさらながらになるが・・・ 防衛費については、真剣な議論を願いたいと思う。
なにも起こらなければ、防衛費の増大は明らかに無駄金であり、捨て金といっても良いだろう。
しかし、なにも起こらないと決めつけていたら・・・ 生命保険や損害保険などの、
サポートビジネスや、バックアップビジネスは成立せず、不安が広がることも否定はできない。
いまこの時もなお、中東で打ち合ってるミサイルは、
あっという間に、人の命も生活も奪い去り、無慈悲な無差別殺戮を引き起こしている。
さて、この国はこの事態をどう捉え、どういった行動を取るべきなのか、
自然体で見ているだけでは、済まないような気がしないでもない。
この期に及んでも、話し合えば分かると云うのであれば、
どういった条件を提示して、だれを仲介に立てて、話し合うべきなのか?
まずそこから・・・ 物申すべきではなかろうか?
個人的な心情を述べれば、イスラム過激派ハマスの悪行は許せないし、
彼らを支持することなど・・・ サラサラないが、
ここに至るまで、ひたすら我が儘を押し通してきたイスラエルの対応は看過できず、
我慢を強いられてきたパレスチナに・・・ 寄り添いたい気持ちの方が強い。
なぜなら・・・ 先の大戦から約80年も経つというのに、
国連からユダヤ人と、アラブ人それぞれに、統治の提案があったにも拘わらず、
彼らは未だに、自らの国を持たない、自治区に住む難民なのである。
歴史を100年遡る必要などないし、ましてや・・・ 紀元前まで遡る必要もない。
先の大戦後の、たった80年の歴史を振り返り、検証することができれば、
妥協点と方向性が見えてくると思うが・・・ 如何なものだろうか?
頭が悪すぎて・・・ 自らの考えが纏まらず、方向性を示すことができないのは残念だが、
現実社会に直視すれば、この問題をややこしくしてるのは、
イスラエルの近隣諸国が、ミサイルを打ち込んだアラブ人に親和性を持っていることではなかろうか?
情報と技術のグローバル化は、どんどん国境を越えて進化しているのに、
人が持つ感情と、土地や海などの生活圏にフォーカスすれば、
歴史が絡んだ・・・ 如何ともし難い拘りがあって、
グローバル化に適さないのか、好まれないのか分からないが・・・ 良い知恵がないようである。
そういった状況で、我が国に突きつけられた問題があるとすれば、
イスラエルを取り巻く・・・ アラブ人に親和性を持つ近隣の諸国は、
この国の生活に欠くことができない、産油国ばかりということではなかろうか?
今回の紛争を地政学的にみれば、どうみても他人事ではあるものの、
その現実は、原油価格が人質に取られているに等しく、
他人事とは云えないと思うが・・・ 如何なものだろうか?
この国からは遙か遠い、アジアの西の果てでの出来事ではあるが、
対岸の火事だなんて、甘い考えでいると、
西から痛烈なパンチが飛んできそうな気がするが・・・ さて、どうなるのだろうか?
だらだらと思いの丈を述べたが・・・ 最後に胸の内を吐露させてもらうと、
多くのユダヤ人が信仰するユダヤ教って、そんな宗教だったのだろうか?
アラブ人が生まれたときから信仰を義務づけられたイスラム教って、そんな宗教だったのだろうか?
もし、そうだとしたら・・・ 人々を不幸に導く、罪な宗教だと云わざる得ない。
ほとんど同意しますが、最後の部分の宗教の部分だけコメントさせていただきます。
イスラム教について、神の啓示が本当にあったのか、開祖ムハンマドが途中から自分の都合のいいように神の言葉を変えていないのか、そもそも、本当に啓示があったのかと、実は絶えず議論されている部分なのです。
もともと、宗教というものが、人間の妥協の産物であることを知る人は(日本では)少ないようです。
教祖といわれた人たちは、神の言葉が後世、ゆがめられていくであろうことは知っていたのでしょう。
真の啓示をうけた人々は、あえて(このことは)見過ごしたのだと思っております。
ユダヤ教について、あまりに遠い存在なので、コメントは難しいのですが…。
私は戒律とは、こう思っております。(ユダヤ教は戒律の宗教でもあります。)
まだ小さな子供に、まだ判断がてきない子供に、親がこれをしてはいけないよと言うことはあると思います。
しかし、だんだんと大人になり、自分でことの良し悪しがわかれば、そんな禁止は必要なくなります。戒律を守ればそれでよしとすそことは、本当に大切のな判断にはそぐわないのです。
そこらへんの事情は、新約聖書にもありますね。
偉そうに書いて申し訳ないのですが、気になった部分だけ簡単に書きました。
コメントを頂戴しありがとうございました。
詳しく説明をしていただき、ありがとうございました。
私の思いとしては。殺戮行為を神はけっして許さないだろうなとの思いから、このような締めの言葉としました。
よって締めの言葉には、全くもって他意はありませんので、ご容赦いただければ幸甚です。