多摩爺の「時のつれづれ(神無月の55)」
夜の丸ノ内、昔話に花が咲く。
何年ぶりになるのだろう。
先週末、25年ぐらい前に一緒に仕事をしていた女性が発起人となって、
飲み会を設定してくれたので、ありがたくお誘いにのって、夜の丸ノ内でしこたま痛飲してきた。
それは管理職(課長)になって2期目で、現場で頑張っていた6月の半ばだった。
30代で本社勤務をしていた頃、お世話になった上司(財務担当の取締役)から突然呼び出され、
社内のある部署で、ガバナンスが乱れて、交際費の使い方が荒っぽいる組織があるので、
来月1日付けで、そこの総務・人事・経理を担当する総括課長で異動してくれと言われたのである。
なんで私が・・・ と、戸惑いが隠せなかったものの、
指名されたと言うことは、私に期待してるということだから、断る理由はなかったんだが、
その職場のトップは、パワハラの権化のようなワンマンで、仕えづらいとの噂があったので、
そのことを問うと「大丈夫だ。地頭はあいつよりお前の方が良い。」と意味不明の言葉が返ってきた。
すかさず・・・ 「あの人は阪大卒の大幹部で、私は高卒の課長ですよ。」と返すと、
今度は「お前はバカか?」と一喝され、
「いまさら数学の試験を受けるわけじゃないんだから・・・ 。」と捲し立てられたのである。
取締役なんで、口答えはしなかったが、この言葉も理解不能だった。
ていうか・・・ 二の句を継がせてもらえないんだから、
もはや「はい。」と言うしかなかったのである。
25年前に、そんなやり取りがあったことを、
飲み会に向かう電車の中で、なに気に思い浮かべながら・・・ 待ち合わせの大手町に向かっていた。
いまの時代なら・・・ 取締役の言葉は、説得というより恫喝であり、パワハラそのものである。
だが当時の社会には、パワハラという言葉も、セクハラと言う言葉も、
辞書の中にある、単語の一つでしかなかったんだから・・・ 如何ともし難い。
さらに取締役は、これから一緒に仕事をするメンバーが必要だったら、
無茶苦茶な人事でない限り、大概のことはなんとかしてやると言われたので、
それこそ1年がかりで、メンタルが強そうで、私より少し年下の男性を3名探しだし、
社内の色に染まってない、入社3年目の若い女性を2名選んで、仲間に加えていただいた。
その後については、細かなことを書く訳にはいかないが・・・ 約3年かけて、
私が選んだメンバーたちと、さまざまな武勇伝を繰り広げながら、組織改革に汗を掻いたのである。
そのメンバーたちとの飲み会だから、盛り上がらないわけがない。
あんなことがあった、こんなこともあったに加えて、
「その話し、オレ知らないよ。」みたいな、マル秘の情報が暴露されたりして、
私たちのテーブルは、あっという間に2000年代初頭に・・・ タイムボカンしてしまった。
私より少しだけ年下だった男性たちは、その後に要職を務めた後、
リタイアする年齢に達した者も出てくるようになっている。
とってもパワフルで、眼光鋭く仕事はできるし、弁舌も爽やかな、頼りがいのあるメンバーが、
穏やかな眼差しとともに、目立つようになった笑顔皺を、さらに大きく綻ばせながら、
孫の写真を互いに見せ合う、爺さんたちに変身してるんだから・・・ 25年の歳月は感慨深い。
また、当時は20代の半ばで、可愛かった女性たちは、50歳の大台を過ぎ、
夫の海外勤務や、単身赴任のなか、子育てに、仕事にと頑張り続け、
いまや貫禄満点の、だれからも一目を置かれるオバチャンたちになっていたが、
彼女たちの笑顔から察するに・・・ きっと、充実した人生を送ってきたのだろう思う。
取締役からお話をいただいたときは、それなりに悩みもしたし、様々な苦労もあったが、
良いメンバーに恵まれ、互いに助け合いながら、社史に残るような仕事に携わらせていただき、
いまさらで大変申し訳ないが・・・ 感謝、感謝、大感謝であり、
当時を振り返って、酒を酌み交わすことができるんだから・・・ ホントに幸せ者だと思う。
そんなこんなで、しこたま痛飲したにも拘わらず、
また飲もうなんて、再会を約束するんだから・・・ ホントに懲りない爺さんたちである。
22時ごろだったと思う。
帰りの電車を降りると・・・ フワッと頬を撫でる優しい風が吹いていた。
もの思いに耽るような・・・ ガラじゃないが、
年老いた酔っ払いが、風の優しさを感じながら家路を急ぐ秋の夜長、
耳をすませば・・・ 遠くで虫の音が聞こえていた。
梅の香を乗せて幾多の春を運び、桜の花を散らせて春が行き、
紫陽花の露を払いて夏を呼び、夕立の跡を撫でて夏が過ぎ、
赤蜻蛉の飛ぶを助けて秋を送り、冬・・・ 粉雪舞いて春ふたたび風光る。
萬古清風・・・ かな?
古(いにしえ)より吹き続ける清らかな風が、変わることなくそよいでいるように、
人と人の付き合いも同様で・・・ 25年の歳月を経て尚、変わることなく昔のままだった。
みんな、ありがとう。
また飲もう。
18時ちょっと前の、すっかり暗くなった東京駅の丸ノ内北口
帰宅を急ぐサラリーマンをかき分け、飲みに出かける自分が・・・ ちょっと嬉しかった。
仕事って「仲間」が大事だ、そんなことを私は今も思っています
でも、必ずと言っていいほど「合わないヤツ」もいましたが…。
いろいろと納得のいくお話、誠に勉強になります
それではまた。
仰るとおり、良い仲間に恵まれたと思います。
リタイアしてからは、そんなに連絡を取り合ってるわけじゃありませんが、
これからも長い付き合いが出来れば嬉しいなと思っています。
コメントを頂戴し、ありがとうございました。
楽しい会で何よりでした。苦楽を共にした同士ならではの絆が強いでしょうね。小説やドラマにも出て来そうなシチュエーションですが、事実は小説より奇なりどころか現実です。私の知人の会社でも同じような雰囲気があり、新しい上司が大改革されたそうです。
また、皆様お元気でお会いになる目標が出来て、とても良い事だと思います、なおとも
社会に出ると学歴よりも人望がある人が求められていると思うのです。
逆に東大卒でないと出世が出来ないのが国家公務員でしょう。
良いメンバーに恵まれて、良い仕事が出来ただけのことです。
自慢話になるかもと思ったので、記すことに躊躇しましたが、そこから始めないとつながらないので書くことにしました。
今後、思い出話と武勇伝は、このメンバーだけの宝物にしたいと思っています。
ありがとうございました。
学歴よりも人望とは良く言ったもので、ホントにそうだと思いますが、
今の時代は私たちの時代とは違って、大学まで無償化にしようとの声があるので、
やっぱり勉強してないと、幾ら人柄が良くても勝ち抜くことはできないと思っています。
いまを生きる子どもたちは、ホントに大変でしょうが、なんとか頑張ってくれればと期待しています。
紫陽花の露を払いて夏を呼び、夕立の跡を撫でて夏が過ぎ、
赤蜻蛉の飛ぶを助けて秋を送り、冬・・・ 粉雪舞いて春ふたたび風光る
とても素敵で趣むきある文章ですね。
あの方のこの歌が思い起こされました。(^^♪
https://www.youtube.com/watch?v=1L1vdYmwDFo
大切な思い出仲間たちなんですね。
さすがです。
ばれちゃいましたか?
吉田拓郎さんの「元気です」が、上京してから40年も経つのに、いつも私の耳元残っています。
「元気です」に想いを馳せて、以前に「萬古清風」という表題で記した記事でも、この一節を残していました。
素敵です。
多摩爺さんのお人柄ですね❣️
会社の仲間と何年たっても飲み会があるって素晴らしい👍
私は同じ部で飲み会しようなんて一度も無いです。
同期ではコロナ前に一度飲み会ありました。
同期はみんなバラバラの部だし、働いている時はしょっちゅう遊びに行ったり泊まりでスキーへ行ったりしていました。
懐かしい。
また次回の飲み会も楽しみですね😊
小説のような胸のときめくお話、素敵ですね。
わたしが20代の頃も、職場ではセクハラやパワハラが当たり前の
時代でした。苦笑。懐かしい。
武勇伝、是非もっとお聞かせください。
刺激的な会社員物語、期待しています!