時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

野辺送り

2021年06月17日 | 時のつれづれ・水無月

多摩爺の「時のつれづれ(水無月の18)」
野辺送り


最近では、ほとんど使われることがなくなった言葉の一つに・・・ 「野辺送り」というものがある。
土葬が当たり前だった時代とは違って、火葬することが一般化している現在では、
昔のように、埋葬する亡骸を見送る「野辺送り」は、火葬場へと送り出す出棺に置き換わってしまい、
「野辺送り」と云っても・・・ 知らない人が多くなったのではなかろうか?

今月2日の朝方、1本の電話が入り・・・ 義母の危篤が伝えられた。
動揺する女房に「帰郷するように準備をしようよ。」と伝えると、
女房は「直ぐに帰っても・・・ 病院は会わせてくれないんだよ。」と返してきた。

「危篤って・・・ 大よそ24時間以内に亡くなる可能性が高いから、
親族に連絡を取り、いざというときに備えて集まってくれということなんじゃないの。」と伝えると、
ハッと我に返った女房が準備を始めた。

亡くなったとの連絡が入ったのは・・・ それから約8時間が経った同日の18時30分過ぎだった。
私たち夫婦が、車で東京を発ったのは3日の未明
ほぼ同時刻に、大阪から義妹夫婦の車は、阪神高速を経て山陽道を西へ西へと向かっていた。
義弟夫婦は、翌朝一番の特急と新幹線を乗り継いで茨城北部の町を発ち実家へと向かった。

一番早く帰省したのは・・・ 義妹夫婦で、3日の昼前だった。
申し訳なかったが、姉弟3人で連絡を取りながら、
3日午後の遺体の引き取りから、4日の通夜、5日に葬儀へと続く、
一連の準備と段取りを仕切ってもらたうえに、

遺体を引き取るまでの数時間の間に、空き家だった実家の掃除をしてもらったのだから、
本当に頭が下がるし、この穴埋めはけっして忘れることなく、必ずどこかでせねばならない。

義弟夫婦が帰郷したのは3日の夕刻
私たち夫婦は、大阪からフェリーを乗り継いだため、4日の朝8時過ぎになったが、
どうしても車が数台は必要となる田舎だけに、ぶっ通しで1000キロを走るリスクを考慮すれば、
こればっかりは致し方ないだろう。

女房の実家は、それなりに車が通る県道沿いにあるが・・・ いわゆる、山間部の寒村で、
幼い頃の記憶が、いまなお残る農村の原風景そのままで、
10軒程度の兼業農家が、先祖代々の田畑を守り続け、稲作に精をだす小さな集落にあった。

県道沿いに流れている小川に沿って、人が一人歩ける程度の畔が縦横に広がり、
畔に仕切られた田には水が引かれ、数週間前に植えたばかりの苗が整然と並び、
水無月の風に揺れていた。


田から一段上がると・・・ そこには、生活に必要な野菜を作る畑があって、
野良から庭へと続き、その先に実家が見える。


県道沿いのバス停から、小川に架かった小橋を渡ると、畔、田、畑、野良を横に見ながら、
山に向かって続く、緩くうねった約100メートルの上り坂は、
車が1台やっと通れる程度の幅でしかない。


実家を過ぎて上り坂を進み、3軒先の家の前から、舗装されてない野辺を歩くこと約5分
猪や鹿よけの柵を開けて入った、野辺と里山の境界辺りに、
この集落を守り暮らした人々が眠る、先祖代々の墓がある。


墓の後方には、人が分け入っても迷うことがない里山があり、奥山から嶽へと続くが、
里山から先は、ここで生まれ育った女房でも入ったことがない・・・ 未開の土地らしい。

自宅で行った神道の葬儀(初めての経験)から、火葬場までの野辺送り、
今後しばらくは、だれもいなくなってしまう実家の後片付け等々、
想像できないぐらいの仕事が待ち構えていた。


半年以上も人が住まなくなっていた農家が、いったいどうなっていたのか、
それは、まさに驚きの連続だった。

家の裏にはスズメバチの巣があって、台所の窓ガラスにはヤモリが住みつき、
土間を片付ければムカデが出てきて、家の周りの雑草を刈ればアオダイショウ(蛇)だから、
なにが出てくるかわからない。


葬儀のために帰省したのに・・・ これじゃまるで、アドベンチャーツアーである。
最初はキャーキャー言ってた女性たち(かなり、おばちゃんですが)ですら、
3日も経つと驚かなくなるんだから、慣れって恐ろしい。

家の周辺を片付けたら、今度は女性たちが仕分けしていた不燃物と可燃物を車に積んで、
清掃工場に持ち込み、
2台で1日2往復だから、恐ろしいほどの量の、
衣服や書物、食器や花瓶などの瀬戸物などを処分が続く。


さらに家の裏には、30年ぐらい溜めてたんじゃないかと思うぐらい、
段ボールが山積みになっていた。

昔は田の畔で焼いてたんだろうと思うが、
ゴミを家の周りで焼くことが禁止されてからは溜まる一方だったのだろう。

家の裏に置いてあったので、ゴミ屋敷と云うほどではないが、その量はバンパではなかった。

土間にあった、使ってない冷蔵庫と水屋は、お金を払って業者の人に処分をお願いし、
爺さんが触らせなかった書庫の中身を見てみれば、何年も前に役目を終えたものばかりで、
これも一気に処分すると、
なんと、なんと40年以上も開けたことがなかった、
開かずの扉(鍵の掛かったサッシ)が開き、
南北に抜ける風が気持ちが良いんだから、
一同ビックリ(これには、ホントに仕事やった感があった。)


ハッキリ言って、荒れ放題のあばら家ではない。
正面からのパッと見(外観)は・・・ 赤瓦が葺かれた立派な古民家である。

義母が体調を崩し、入院してから4年弱、岳父の一人住まいが続いていたが、
骨折を機に入退院を繰り返しながら・・・ 再入院してから、もう半年近くが経っていた。
改めて気づかされたのは、人の気配が消えてしまうと、
電気も、ガスも、水道も普通に使えるのに・・・ 家が呼吸を止めてしまうということだった。

5年後には、義弟が年金生活に入るのを機に戻ってくるとは云うが、
今回手がつけられなかった部屋が、まだ三つもあって、片付けねばならないし、
座の一部が弱り、足の踏みどころを間違ってしまうと、
床ごと抜けとしまいそうなところも数カ所あった。


いざとなったら、女房は相続を放棄すると云うが、それじゃ義弟に押しつけることにもなりかねず、
維持管理を含めて、姉弟を中心に話し合わねばならないことが、たくさんありそうだが、
幸いなことに、それぞそれの配偶者を含めた6名が、互いの立場を認め合っており、
けっして無理を強いることがなく、協力し合えることは本当にありがたい。

誰かがやらなきゃ、片付かない仕事があって、
誰かに言われなくても、待つことなく進んで働く者たちの姿に、
義兄弟とはいえ、ちょっと心を打たれた。


インターネットとのつながりを絶ち、ただひたすらに女房のサポートに徹するつもりだったが、
年を取った、いまだからからこそ他人任せにせず、他人に頼ることなく、
一人称で行動できなきゃダメなんだと・・・ 改めて気づかされた帰省でもあった。

きっかけは葬儀という、のっぴきならぬ用事ではあったが、
いろんな気づきに出会えるんだから、やっぱり旅って良いなと思う。
早くワクチンを打たなきゃ・・・ ならないだろう。

夜が明けて間もない実家の前に広がる水田、あと3ヶ月もすれば、黄金色の稲穂となって頭を垂れるのだろう。

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16 コメント

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Unknown (けいこ)
2021-06-17 06:53:47
おはようございます。
先ずは、お悔やみ申し上げます。
奥さまのお具合は大丈夫でしょうか?
そして本当にお疲れさまでした。

家も呼吸しない。おっしゃられて、、
私も今まさに義実家の片付けをほぼ終え 思っておりました。

こちらは小さな一軒家ですがそれでもなんと荷物があることか!(*_*)
人が、生きていると言うことは。
これから手直しします。

とにかく ゆっくりしてください。ひとまず。

ご兄弟の皆さん素晴らしくてそれが何より羨ましい、、今の私の心境です(^_^;)
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仰る通りです (ダム)
2021-06-17 07:13:10
多摩爺さん、お早うございます。
この度は、お義母さんのお悔やみを通じた、ご親族のチームワーク。
なかなか、仕事柄でも伺えない貴重なお話でした。
又、一人称で行動する時の肝。
ひとりよがりではなくて、様々な横の繋がりにて思いを共有して、初めて個々の一人称が活きていくんだと再認識できました。
御身、ご自愛ください。
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Unknown (kaminaribiko2)
2021-06-17 07:28:10
感動的な記事でした。これからしばらく大変と思いますが、お身体に気をつけて頑張ってくださいませ。
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Unknown (多摩爺)
2021-06-17 08:55:44
けいこさん
コメントを頂戴しありがとうございました。

ホントにホントに後片付けは大変でした。
けっこう片付けたつもりでも、半分にも満たないと女房たちは云ってますので、
自分の実家のことを思えば、憂鬱を超えて恐ろしくなりました。
物を大切にする思いは、とっても大事なことですが、
不要となった物を捨てる思いを、忘れちゃならないと痛感しました。
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Unknown (多摩爺)
2021-06-17 08:58:31
ダムさん
コメントを頂戴しありがとうございました。

縁あって親族になった義理の兄弟ですが、価値観を共有できる人たちで本当に良かったと思っています。
あまえることなく、頑張らなきゃと思った次第です。
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Unknown (多摩爺)
2021-06-17 09:00:52
kaminaribiko2さん
コメントを頂戴しありがとうございました。

本当に疲れました。
来週の22日はワクチン接種ですから、疲れをしかっかり取って臨みたいと思います。
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Unknown (ひろ)
2021-06-17 10:03:29
お義母様のこと お悔やみ申し上げます。

ご葬儀など大変な時こそご兄弟皆様のご協力
読ませていただきとても爽やかな気持ちになりました。
振り返って自分の身の周りを見直さねばとも思いました。

お疲れが出ませんように、ご自愛くださいませ。
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Unknown (多摩爺)
2021-06-17 10:37:12
ひろさん
コメントを頂戴しありがとうございました。

思い出がたくさんあって、こればっかりは捨てることはできませんが、
孫やひ孫たちの思い出作りのためにも、実家を大事に維持管理せねばと思っています。
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Unknown (toki-tsubone)
2021-06-17 13:03:03
お義母さまのご冥福をお祈りします

大変な後始末のご様子、明日は我が身と老親を持つ身に染みますが、みなさんお互いを思いやりながらの処し方が素晴らしいと思いました
お疲れもおありでしょうが無事にワクチン接種できますように
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Unknown (lilyalley)
2021-06-17 13:22:11
お義母さまのご冥福をお祈りいたします。
多摩爺さん(さま)もお疲れのことと思います。
お身体に気をつけてゆっくりなさってください。
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