多摩爺の「時のつれづれ(如月の24)」
近くて遠くに感じる労働組合
今年の春闘が始まって大凡(おおよそ)1ヶ月・・・ その成果(賃上げ)は、まだ先にあるが、
賃上げ闘争と云えば、その主役は労働者が団結して組織化された、労働組合のはずなんだが、
なんて言ったら良いのか、その言葉に迷ってしまうが、
今年の春闘に限っては、目立つのは政府や経営側であって、組合や組合の支持を得た野党が冴えない。
私が社会人になった1970年代の半ば、
春闘といえば・・・ そりゃもう、ガチンコだった記憶しかない。
ストライキあり、残業拒否ありに加えて、集会に参加してはデモ行進までやっていた。
ある年の春闘では、デモ行進の先頭に立って、ハンドマイクを握って声を出していたら、
「◯◯◯(組合名)の◯◯君(私の名前)、ジグザグデモは止めなさい。」と警察から声をかけられ、
「あれっ、なんで警察が俺の名前知ってんの?」なんて・・・ ドキッとしたものの、
組織の指示なので止めるわけにはいかず・・・ 心臓がバクバクしていたこともあった。
また、今思い返しても恥ずかしくて、若気の至りでは済まないが、
組織の指示を受けて、スト破り(ストライキに参加しない組合員)が多かった郵便局の窓口に行き、
10円だったか、100円だったか忘れたが、入金と出金をなんども繰り返して、
窓口業務をしている郵便局員への嫌がらせに・・・ 動員されたこともあった。
さすがに、こんなことしちゃ拙いだろと思って、入出金を1回しただけで郵便局を後にしたが、
組織の指示だったとはいえ、ホントに恥ずかしいことをしてしまったと反省しているし、
私の人生において、消すことができない汚点として・・・ いまでも鮮明な記憶として残っている。
そんなガチンコの春闘が、あっという間に様変わりをしたのは、
おそらく、昭和60年代の始めごろで、バブル景気が始まったばかりのころだと思う。
偶然にもその時期は、年功序列の給与体系に不満を持ち始めた、戦後に生まれた私たちの世代が、
正確に言えば、私より少し上の団塊の世代の先輩方が、30代の働き盛りになり、
地力をつけるとともに、発言力や行動力に一目も二目も置かれるようになってきており、
年功序列を改めて、個人の業績を適正に評価して、会社の業績に連動させた、
成果給に変更するようにとの声が・・・ 次第に大きくなってきた時期でもあった。
おそらく組合的には、高齢の組合員も居ることから、諸手を挙げて賛成ではなかったと思うが、
働き盛りで組合の中心にいる、若手の声に応える必要があったのだろう。
こういった背景のなか、大手を中心に新たな給与体系へシフトする動きが見えてくると、
家電やメーカー系の企業から広まり始め、給与体系が徐々に変わり始めてきた。
そして、いつしか会社の業績と個人の業績を連動させた成果給が、スタンダードになってくると、
賃上げを主導してきた労働組合は、個人の成績に連動するという踏み絵を踏むことから、
一律◯%という賃上げ目標から、平均◯%という曖昧な目標にせざる得なくなり、
成果に濃淡がでてくると、組合活動の軸足は・・・ 賃上げから、政治へと向き始めてきたと思う。
こういった状況を経て、労働組合が活動する主戦場は、
労使間の協議の場から、議会(政治)で与野党が対峙する場へとシフトし、
労働マターの問題を超えた、さまざまな社会的な議論に埋没するようになってしまい、
春闘で、往年の輝きを失ったばかりか・・・ 組合自体の活動が見え辛くなっていったように思う。
その結果の最たるものが、現在では当たり前となった、労働組合を踏み台にして、
地方議会や、国会へ転身する・・・ 組織内候補という仕組みが確立されたことであり、
対象者は違うが、労働貴族なんて言葉も、その当時に生まれている。
ところが時代の流れは、さらなる試練を与えるんだから怖ろしい。
昭和60年代の始めから、平成に入って数年・・・ わずか4年強でバブル景気が崩壊すると、
その間に、この国の大企業の給与体系は、様子見ながらも、すでに元に戻れないほど変化が進む一方、
直接雇用関係のない社員を、取引会社へ派遣する、派遣社員制度ができたのもこのころだった。
バブル景気の崩壊は、求めて給与体系の変革を、前に進めたにも拘わらず、
結果として・・・ 勝ち組と負け組を、より明確にしまったこともあり、
労働組合としては、果たしてこれで良かったのか、悩ましいところかもしれない。
さらに、定期昇給までもなくし、業績連動の固定給や資格給に切り替えたもんだから、
会社の業績が悪ければ、給与も賞与も増えないし、場合によっては減ることだってあるなか、
個人の成績で評価を得た社員は、それなりの昇級昇格を得て、賞与を貰うことになるので、
業界毎の勝ち組、負け組もさることながら・・・ 社内での勝ち組、負け組まで作っている。
さらに、そういった苦難に追い打ちをかけたのがリーマンショックだろう。
企業は存亡のための内部留保を進めたことから、成果主義はさらなる厳しさと格差を生み、
産業界における、勝ち組と負け組の差は・・・ 取り返しができないぐらい広がってしまった。
話しはちょっと横道に逸れるが、
元来この国は、仕事の内容よりも、会社名を重んじる風潮があって、
そこに信用が付いてくるものだから・・・ この国の労働組合は、終身雇用が前提にあり、
賃上げワンイシューで闘うことができる、欧米の労働組合とは違った闘いが求められている。
まずは、そこから見直さねばと思うものの、
そこには、通知するだけで解雇を認めることにも繋がりかねず、
外資に勤めて、高給を求めるならいざ知らず、国産ブランドの企業では容易なことではないだろう。
こういったことを書くと、厳しいのは中小であって、大手ではないと云われるかも知れないが、
大手が動かないと中堅、中小に風が吹かないこともあり、
まずは、止まったままの歯車を、動かすことからだと思っている。
私は20代では組合の役職を務め、35歳の時に組合員でない者が務める役職に就き、
その後40歳で管理職になったので、労働組合歴は20年弱だが、
組織を任されるようになった40代の後半から・・・ 軸足の置き方に違和感を持ち始め、
身近にあった労働組合が、なんとなく遠くなったように感じていた。
いまのような成果主義の給与体系を求め、非正規社員という制度の引き金を引いた、
当時の若者(すでに、皆が年金生活者)が・・・ 軽々にもの申すのは、如何なものかと思うが、
厳しい、厳しいいまの時代に、最前線で頑張ってくれている、現役世代を支えるためにも、
労使は互いに知恵を絞って、絞って、絞りきって妥協点を見つけ、賃上げを達成してもらいたい。
いまこそが、労働組合がその本文を発揮して、輝きを取り戻すときではなかろうか?
まずはその軸足を、政治から・・・ 本来あるべき労使に戻し、
賃上げと、労働環境に、風穴を開ける朗報を届けてほしいと願ってやまない。
2023年、この国に吹く春一番が、大幅な賃上げであることに期待したい。
ガンバレ! 労働組合
ガンバレ! ニッポン
追伸
30年から40年ぐらい前を振り返って、主観的な物言いで能書きを垂れてしまったが、
ここに記したことは、私が40数年務めた会社の労働組合を、近くで見ていて思ったことであって、
コメントを頂戴しても、議論するつもりはないので、勝手で申し訳ないがご容赦願いたい。
近所に大手印刷会社で労働組合活動に熱心だった方がいて今は家業の塗装工場の経営者なのですが一度話を聞いてみたいと思ってます。終身雇用の時代が終わってからは労働組合の勢いも止まりましたよね。
組合には組合なりの立場で、苦労があったんだと思いますが、
社内での評価制度が確立されてから、組合の影が一気に薄くなったように思えます。
これも時代の流れだと思いますが、解雇が容易でないのも事実で、結果的に終身雇用は未だ継続中だと思います。
しかし、これが幸いして、この厳しい時代に給与は上がらなくても解雇されないので、この国の失業率は、思ったほど高くありません。
結果的に、なにが良かったのか分りませんが、給料が安いことだけは間違いないようです。
動かないなら休むと言う時代じゃなくてバスを乗り継いだりしていきました。
今ストライキでJRが止まったら大変でしょうね。
休めない人いっぱいいますものね。
昔はホントに大変だったというか、だからストライキという伝家の宝刀が効いたのでしょうが、
いまはコロナのお陰で普及した、リモートがあるので時代は大きく変わったと思います。
おそらく、いまストライキをやられて困るのは、宅配かもしれませんが、
それもたぶん、我々が知らないだけで、遅配してもペナルティが凌げるような、サービス利用約款になってるんだと思います。