時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

プチ自慢、故郷の天皇御陵

2024年03月28日 | 時のつれづれ・弥生 

多摩爺の「時のつれづれ(弥生の48)」
プチ自慢、故郷の天皇御陵

暇に任せてワイドショーを見ていたら・・・ 故郷に一人で住む母から電話がかかってきた。
なにごとかと思ったら、なんのことはない。
娘(ひ孫)が無事に保育園を卒園したと、息子(孫)から電話があったらしく、
申し訳ないが・・・ お祝いを立て替えておいてくれというのである。

もちろん二つ返事でOKしたが、雨が上がり天気は良いし、朝からそんなことがあったもんだから、
ちょっと良い気分で、ウォーキングを兼ねて散髪に行って、帰宅後くつろいでいたら、
お昼過ぎのワイドショーでは、大学卒業と就職の報告を兼ねて、伊勢神宮を訪れていた愛子さまが、
初代天皇とされる神武天皇陵がある、奈良県橿原市に向かわれたとの報道があった。

そんなことでというか・・・ 明らかに便乗なんだが、
故郷(山口県下関市)にも、天皇陛下の御陵があることをプチ自慢してみたい。

そもそも歴代の天皇は、古より天子の居城とされる畿内(大和、山城、河内、和泉、攝津)に、
居を構えておられ、代々の御陵(お墓)の所在地が畿内に集中するのは当然だが、
驚くことに・・・ 滋賀県(大津)、兵庫県(淡路島)、香川県(坂出)、山口県(下関)にも、
一ヶ所ずつ御陵があることを知る人は、そんなに多くはないだろう。

なお、東京都(八王子)にある御陵は、大正天皇(多摩陵)と昭和天皇(武蔵野陵)だけで、
東京に長く
住んでると、明治維新後は明治天皇の御陵も都内にあるように思ってしまうが、
東京で執務に就かれた明治天皇の御陵は、京都市伏見区にあり、
天皇家と東京の歴史は150年そこそこだから・・・ まだまだ京都の足下にも及んでいない。

また、大津、淡路島、坂出にある御陵のことについては、詳細は存じ上げないが、
故郷の下関にある安徳天皇御陵は、いまでこそ赤間神宮という神道形式の御陵になっているが、
明治になって廃仏毀釈が行われる前までは、
源頼朝の命によって埋葬されたのは、仏式の寺社(阿弥陀寺)だから、これはちょっと興味深い。

そういった視点で、天皇に纏わる歴史を振り返ってみると、
神式か、仏式か、さらには土葬か、火葬かなどといった基本的な事柄については、
明治以前は決まり事がなかったみたいで、
意外にも自由で、なんでもありだったようで・・・ これはこれで、けっこう興味深い。

明治維新後、廃仏毀釈を含めて、全国の神社で祭式の統一が進められたことを振り返ってみれば、
神式や仏式に基づいた、さまざまな伝統や伝承などが、
欧米に学んだ新しい古式として再生されていたという、新たな気づきに行き着く。

おそらく、欧米列強に対抗する国家を形成するために、
精神的な部分で神道を利用したんだろうが、
いまになって振り返れば、禍根を残すに至っており、歴史に学ぶと失政だったかもしれない。

ついでといっちゃなんだが、新たな気づきを一つ紹介すると、赤間神宮の現住所は、
廃仏毀釈後の、赤間神宮に因んだ赤間町ではなく、
廃仏毀釈前の、旧阿弥陀寺に因んだ阿弥陀寺町であり、
赤間町は阿弥陀寺町の西に隣接する、隣町だということに気づく人は意外に少ない。

さらにもう一つ・・・ 付け加えると、
地元では「阿弥陀寺」と書いて「あみだじ」とは読まず、「あみだいじ」と読み、
町も「阿弥陀寺町」は「あみだいじちょう」と言うことから、
初めて赤間神宮を訪れた人は・・・ 「あれっ?なんか違う。」って、思うかもしれない。

愛子さまの伊勢神宮、神武天皇陵への参拝に便乗して、いささか能書きを垂れ過ぎてしまった。
そろそろネタ切れなので・・・ 小難しいことは、これぐらいにするが、
4年前の春に、故郷・下関にある安徳天皇陵のことに触れた記事を書いていたので、
いささか図々しくもあるが、下記にリンクを貼らせていただいた。

ここ最近綴っている記事と比べても、よく書けてると思うので、
宜しかったら、読んでいただけるとありがたい。
また、調子に乗って故郷の有名人3名(高杉晋作、金子みすゞ、吉田松陰)について記した記事も、
ついでにリンクを貼らせていただいたので、併せて読んでいただけるとありがたい。



 

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故郷の海で、歴史の舞台に終止符を打った平家のこと、さらに安徳天皇陵について綴ってみた。


 

おもしろきこともなき世を - 時のつれづれ(北多摩の爺さん)

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回天の引鉄を引いたものの、維新後の舞台に立つことは適わなかった、
故郷の英雄「高杉晋作」について綴ってみた。


 

こだまでしょうか。 - 時のつれづれ(北多摩の爺さん)

多摩爺の「歴史の小径(その3)」こだまでしょうか。-みすゞのまなざし-(山口県長門市)思いだしてほしい。9年前の、あの時(東日本大震災の直後)のことを・・・テレ...

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悲運の詩人「金子みすゞ」が読んだ詩は、時空を超えてなお故郷の町に息づいていた。


 

諸君、狂いたまえ! - 時のつれづれ(北多摩の爺さん)

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回天の志士たちを育み、背中を思いっきり押した、
ちょっと思い込みの激しいオッサン「吉田松陰」について綴ってみた。

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3 コメント

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Unknown (1kamakura)
2024-03-28 09:46:45
江戸の秋

平家物語が好きですので、興味深く読ませて頂きました。
幼帝が海に沈んでしまった事で平家贔屓をしたくなるのですよね。
私は鎌倉が大好きですが、平家に味方したくなります。
耳なし芳一のお話しも、芳一可哀想よりも、壇ノ浦の語りを聞いて涙する、平家の亡霊に心を寄せたくなるのです。

赤間神社、一度は訪れてみたいです。
返信する
Unknown (1kamakura)
2024-03-28 09:48:53
あ、安徳帝を祀ってあるから、
赤間神宮ですね。
返信する
Unknown (多摩爺)
2024-03-28 13:22:20
1kamakuraさん、こんにちは

仰るとおりで、亡くなられた葉室麟さんが残された随筆のとおりだと思っており、
ちょっとだけ格好つければ、歴史の断片から敗者の生き様に、その価値を見いだしたいと思っています。
40数年前は、壇ノ浦に光る陽差しの照り返しを浴び、海峡を渡る風を感じながら毎日仕事に通っていました。
また、赤間神宮の隣は日清戦争の講和会議が開かれたふく料理の名店「春帆楼」があり、
ザビエルが本州に上陸した場所も直ぐ近くにあって、レリーフと記念碑が建っています。
歴史好きにはマジで堪らない町なので、是非とも来関してみてください。
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